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「何かあったんですか?」
テルは印象に残りにくいしその手の人間には見えない。イチは尖がっているからこういうことには不向きだ。テルが人の好さそうな年配の男に話しかけた。
「魂消たよ! 土座衛門かと思ったら息があるから慌てて救急車呼んだんだ」
「海の中ってこと?」
「そうそう! 浮かんでたんだ、すぐそこに。仲間と3人で抱えたんだけど真っ白な顔だから死体だと思ってたら少し水吐いてさ。あそこにいる古谷ってのが救命士の資格持っててな、もう辞めちまって勿体ねぇったら。それで救急車呼べって怒鳴られて電話したんだ」
古谷という男を見るとごく普通の男だ。ちょっとなで肩でいかにも頼り無いサラリーマンに見える。けれどイチは心の中で何度も頭を下げた。
テルに喋っている男はよほど興奮しているのだろう、状況を事細かに教えてくれた。
「途中で息が止まって古谷が『マズい!』って叫んで、それから、なんだ、救命措置とかって言うの? それ始めて、救急車来るまでずっと胸を押してたよ。まるでドラマみたいでアイツ、あんなに出来るヤツだったとは思わなかった。救急車から下りてきたのが中に運び込んだんだが、すぐになんか口に突っ込んでさ、マイクみたいなのに『出血多量』『心拍が弱い』とかなんとか言ってたよ。あの男もし助かれば、古谷のお蔭だよな」
「そうですか。古谷さんってすごいんですね!」
「人命救助ってヤツだよ、ほんとに。助かってほしいよ。まだ若い男だったな」
「この辺りで救急車の行く大きな病院ってあるんですか? 俺んとこも年食った親がいるから遠い病院じゃ困ると思って」
「ああ、こっから運ばれるなら多分川北総合病院だよ。他のは遠いしね。交通事故でもなんでもたいがいそこに運ばれるんだ。あそこ、面倒見のいい病院だから上手いこといってほしいね!」
テルは頭を下げてその場を離れた。刑事が事情聴取をしている。それに引っかかりたくない。いずれ優作の正体は分かるだろうが、今はそれより優作が無事であることを確かめたい。
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