若頭 イチの物語(完)

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   あれきり河野は来なかった。しばらくはお嬢がすぐにでも結婚の話をするんじゃないかとヒヤヒヤしていた。けれど、日々はそれなりの日常を繰り返していく。  新しい若いのをその時々で親父っさんは拾った。パチンコ屋で暴れてるヤツ。厄介ごとを背負った若いスリ。  そんな毎日の中で初めて親父っさんに息子がいるのを知った。何も聞けずにいるが、『幸司』というお嬢の弟は18の頃、ふらっと出て行ったらしい。ふんわりと浮世離れしたような息子だったと聞いた。いなくなって数年してから東南アジアから葉書が来ただけで後は消息不明。  時々親父っさんの顔が寂し気になる。 (若いのを拾うのって、幸司さんのことを思い出すからかな……)  そうなのかもしれない。クセのある連中ほど放っておけない。そしてその連中は今はこの一家の中で笑って暮らしている。それを親父っさんは目を細めて眺める。 『ここは通過点だ、いつ出て行ったっていいんだ』  親父っさんのあの言葉を、消息不明の息子のことと重ね合わせると悲しい。 (俺、親父っさんにどこまでもついて行きますよ)  組のもんになっているのは、この家の中で自分だけ。育ててくれている親父っさんと女将さんに恩返しをしたい。    お嬢は結婚した。池沢隆生。お嬢の旦那さんだ。何度か遊びに来たことがあって知らぬ間じゃなかった。第一印象は『図太いな、こいつ』だった。 (縁、無かったな……)  しばらくここで一緒に暮らしたが、今では近くの一軒家を買ってそこに親子4人で暮らしている。お嬢は仕事を辞めた。時折、ハイキングだなんだと一郎にも声が掛かる。だから荷物持ちについて行く。  最近じゃ事務所の間がガタガタしている。どうも東井が反旗を翻そうとしているらしい。一郎はそっちに全身の神経を尖がらせた。  若いのが親父っさんに気に入られて一家を背負うことになるそうだと噂になった。それが原因だろうと言う。 (親父っさんの背中を守んなくちゃいけねぇ!)  この世界は、いつ何が起きてもおかしくない。独り者の柴山とそこの連中も今では一緒に住んでいる。親父っさんの警護も兼ねて。  一郎は三途川一家で骨を埋めると決心している。生き死にがいつだろうとどこだろうと、そんなことはどうでもいい。 『筋の通った生き方をする』  それこそが一郎の信条だ。  ――「若頭 イチの物語」 完 ――           
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