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目を開いた母が夏男を見て真っ先に言った言葉は、
「ごめん……ごめんね、夏男、ごめんね……」
だった。
「なに? なんで謝ってんの? それより大丈夫? あまり喋んない方がいいよ」
目が覚めたことにほっとした。声が聞けてほっとした。なのに、『ごめんね』。
手を握られた。それはいつもの乾いた温かい手じゃない。小刻みに震えて冷たかった。その手を温めたくて両手で包んだ。
「ね、誰が母さんをこんな目に遭わせたの? 強盗? それとも」
「父さん」
「……ね、冗談言ってる場合じゃないよ」
「父さんなの、私が悪いの、ごめん、ごめん……」
それ以上言わない母に、何も聞きようがない。
(父さん、が? 叩いてるの見たことあるけど、父さんが、あんなに血が出るほど……?)
どこか現実味の無い母の言葉。斜に構えて両親を見てはいたが、よくある仲の悪い夫婦なのだと思っていた。元々は恋愛結婚だったのに、会社での出世問題が引き金となって壊れていく、よくある夫婦なのだと。
けれどここまでするほど、父は何を怒り狂ったのだろう。
ベッドの母の事情聴取、家に財布を取りに戻った間抜けな父。
母の浮気も、それが父の良く知っている相手だったという事実も、今さらどうでもいいことで、それを聞いたから知ったから自分までいろいろ聞かれたから、だからといって現状が変わることも無くただ足元が崩れて。
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