ナッチの物語(完)

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   翌日には役所に行った。住所は三途川家に居候だから移した。電話は共同で使わせてもらう。三途川家には3台電話があると初めて知った。家族用と、居候用。もう一つが組用だ。  身元保証人には女将さんがなってくれた。 「これで何かごちゃごちゃ言ったら『勝蔵に保証人になってもらう』と言っておやり」  そんな恐ろしいことにならずに心底ほっとした。住所だけで向こうは分かってくれたのだ。 『三途川さんとこ? いいよ、いつから来る?』  最初はその日払いにしてもらうことにした。何せ手元に現金が無い。しばらくは日払い。そして週払い。その後は相談する。  最初に買うのは椅子と決めていた。けれどその日の賃金で買って帰ったのは煎餅だ。みんながよく食べているヤツ。 「ただいま!」 「お帰り! どうだった? 初めてのバイトは」  お嬢だ。今日は土曜だから家にいる。源やのんのも玄関で出迎えてくれた。 「俺、オーダー取るのミスしちゃって。アイスティーって言われたのにアイスコーヒー用意しちゃって」 「それは大変な失敗をしたわね!」  お嬢が言い、それにみんなが笑っている。 「俺もそう思っちゃって。どうしようって青くなってたらあっさり『次気をつけろよ』って言われて。給料から引くか聞いたら、引いてほしいのかって笑われた」  夕食の前。親父っさんの前に座った。煎餅をその前に置いた。何袋もある。 「これ、俺の初給料で買いました。みんなで食べてほしくて」  親父っさんの目が優しくなった。 「ばか。食べてほしいんじゃなくて、みんなで食べたいんだろ?」 「……はいっ! みんなで食いたいです!」  夏男はみんなを振り返った。 「当番のこと、教えて下さい!」 「こき使うぞ。覚悟しとけ、夏男」  カジの言葉に、笑顔が零れた。  ――「ナッチの物語」 完 ――   
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