デートから始めましょう

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デートから始めましょう

   『今日は何時ごろがいい?』  少し躊躇うように哲平の方に視線を送る。 『8時過ぎると思う。いいかな?』 『はい。連絡待ってるね』  哲平の結婚披露宴の後、三次会で知り合った可愛い女性は哲平の妹だった。知った時にはすでに遅し。広岡真伸は莉々に心を奪われていた。そういう意味では一目惚れ。しかもちゃんとした女性とのおつき合いは初めてだ。  ハードルが高い。哲平と同じ年の29歳。僅かに月数で哲平が上。だが童貞だ。好きになったはいいが、そこは男として年齢的にまずいのではないだろうか。けれどそんなことを相談する相手などいない。唯一いるとすれば哲平だが、それはこの状況で有り得ない。  それとなく遠回しに婉曲的に話を向けると呆気なく莉々は話してくれた。 「付き合ってた人? ノルウェーで働いてた時にね、優しい人がいたの。いい人だったわ。とってもロマンティックで初めての私を Riri Riri って抱き締めてくれたのよ。情熱的な夜だったわ…… 今じゃ思い出よ。結婚まで考えなかったし」 (情熱的な夜 情熱的な夜 情熱的な夜 ……)  自分は莉々に『情熱的な夜』をもたらせるのか? 久々にパニックを起こしそうになる。『情熱的な夜』を莉々に捧げたい。そのノルウェーのロマンティック野郎よりいい気持にしてやりたい…… (いや、目の前の哲平が問題だろう! すっ飛ばして俺は何を考えてるんだ! まず『お兄さん』の攻略を……) 「おい、広岡、ひ、ろ、お、か! お前、起きてるか?」  頭が現実に戻る前に口が先に開いていた。 「お兄さん?」 「は? お前、目開けて寝惚けてんの? し、ご、と! やってくれませんかね! お前んとこの進捗待ち!」 (しまった! 『お兄さん』の前に、今はただの哲平だ!) 「大丈夫か? ……お前、パニック起こしかけてんじゃないか!? 薬! どこだ!」 (ああ…… いいヤツだなぁ)  胸ポケットから尻ポケットまで探られながらぼんやりと考えている。心なしか息が荒い、鼓動が早い。頭の中が混乱してて現実が遠い。 (今夜、8時過ぎ……情熱的な夜……今日は金曜……お兄さん、いいでしょうか……)  口に錠剤が突っ込まれて水を飲まされて座らされた。 「ジェイ! ちょっと広岡のそばについててやってくれ!」 「はい!」  ジェイがそばに来て広岡をソファに連れて行く。 「横になる?」  言われるがままに横になった。というより、今夜のことで頭はいっぱいだ。 (どうしよう、童貞だってバレるんだろうか……)  午後8時。待ち合わせのホテルのラウンジ。ホテルだ。金曜だ。そこがいいと莉々が言った。経験者の莉々がホテルを望むならそれ以上に望まれているのは一つのはず。  早めについた広岡はカウンターでなるべくいい部屋を取った。キーをポケットへ。ホールで莉々を待つ。  遠くからでも一目でわかった。何と言っても莉々は絶世の美女だ。このホテルにいる女性の中で一番美しくて愛らしい。ほら、あっちの男もそっちの男も、気がつけば全ての男が莉々を見ている……(広岡視点)  急いでそばに行く、いつ誰に彼女の腕を取られるかもしれない。 「ごめんね、待たせた?」 「全く! 全然!」  深呼吸をする。パニックなど見せたくない。哲平以外に見られたくない、堂々としていたい。 「ここのディナーがどうしても食べたかったの! スプリング・ブッフェが今評判なのよ」  手をどうすればいいか分からない。きっと海外なら腕を差し出しエスコートするのだろう。パニック症候群があったから海外勤務も出張も経験が無い。 上げたり下げたりしているうちに席に案内されてしまった。 (椅子を引く?) そこはウェイターがさりげなく引いてくれて、広岡はえらく不自然に遅れて座った。 「こちらがワインリストでございます」 (ワイン? リスト? え?)  そんなの知らない。ビールとかじゃないのか? まごまごしていると莉々がすっとリストを手にした。 「広岡さんってどういうのが好き? 私は軽いのが好きなの。白とか」 「俺もそれで」 「じゃ、これでお願いします」  莉々がにこっと笑う。 「ごめんね、無理にここにしてもらって。でも嬉しい!」 「いや、無理なんて」 「そうだ、広岡さんってこういうとこ今まで来てないんだよね。うっかりしてた。発作起こさずに済みそう?」  なんて情けないんだろう。エスコートどころかパニック発作を心配されている…… ポケットにあるキーがすごく重くなってきた。  並んだ料理を気もそぞろで食べた。莉々は観光船で料理をしていたからその話が面白く可愛い口から流れてくる。 (これは……音楽だ)  デザートが出る。いよいよ食事が終わる。いよいよ、だ。 (俺は今夜、男になる!) 「ご馳走さまでした! 今度は広岡さんの好きなお店に行こうね。あ、遅くなっちゃった! 私タクシーで帰るから心配しないで。また連絡ちょうだい。私も連絡するから」 「あのっ、」 「あ、そうよね」  広岡の頬で可愛らしい『チュッ』という音がした。 「お休みなさい! 次のデート、楽しみにしとくね!」  カウンターに向かう。 「当日のキャンセル料は12,800円となります」  8割の空しいキャンセル料を払う。がっかりしたような……ほっとしたような。  けれどこのままでは済まない。いつかその日が来る。まさか他で童貞を失っておくわけには行かない。  広岡の悶々とした日はまだまだ続きそうだ。  
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