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お引越し
あれから宗田家では一つの日課が始まった。花は朝、必ず不動産のサイトを覗く。真理恵は新聞に折り込まれているマンションやアパートの広告を見る。
「駅近で買い物に困んなくて俺んちと和愛が安心して行き来できるとこなんて、そう簡単に見つかるわけ無いよな……」
「入学した早々に転校だなんて、和愛ちゃんも可哀そうだし。見つからなかったらそのまま今の家にいるしかないよね」
「哲平さんの実家からじゃ遠いしな…… 千枝さんの実家は、通勤に困るから独立したくらいだから問題外だし」
二人で真剣に頭を抱えている。
一方、宇野家。
「父ちゃん、どうすんの? 引っ越しするの? おばあちゃんの所にいるのは、イヤじゃないけど学校に行くのを考えたら無理だよね」
哲平は頭から布団を被ってしまった。眠いわけじゃない、布団の中ではしっかり目が開いているし、かなり悩んでいる。
(転校は可哀そうだよな…… 会社の近く、どうなんだろな。社宅は空いてないって広岡が確かめたし。部長も掛け合ってくれてるらしいけど今度の新入社員で埋め尽くされてるって言うし)
実は、広岡が社宅の空きを探しているのを部長が気づいてすぐに動いてくれたのだ。そして夕べ、部長から電話があった。
開口一番にいただいたのは『バカヤロー!』だった。
『もっと早く相談しろ! 俺が手を打ったのに、今は新人で人事は手一杯だ』
「すみません、思い付きで戻ろーかなぁって思ったもんで」
『……お前、俺を相手にそれを言うのか? お前がそんな適当なヤツだとは欠片も思ってないぞ。特にこういうことではな。いよいよとなったらジェイのところを空けさせる』
「ジェイはどーすんですか!」
『あいつは俺のところに来ればいい。お互いに独り身だ、どうということは無い。和愛を途中で転校させるのだけは絶対に許さん』
断っても取り付く島もない返事に、さすがに哲平も追い込まれた。
(俺を置いて事態を勝手に転がすなよ)
そうは思っても有難いというのが本心だ。自分と和愛のためにこんなにみんなが心を砕いてくれている。
部長、花、広岡、池沢、ありさだけじゃない、会社のメンバーたちも気にしてくれているし、厄介なことに親父っさんが表に出始めている。
『組のもんにも探させる。なんなら手頃な家を空き家にしてやる』
(冗談だろ、いくらなんでもヤクザに世話されて入居できるか。しかも『空き家にしてやる』ってなんだよ!)
それが行動に移ったらと思うと、気が気じゃない。けれど自分が今やっていることは布団に潜っているだけだ。
「父ちゃん! なんで動かないの!?」
簡単なことだった……
ここは千枝と見つけた家だ。ここで甘い新婚時代を過ごし、ここで生まれた天使を迎え入れた。別れる決意なんて簡単にできるわけがない……
(千枝…… 俺だけ我がままなんだ。ここを離れるのがいやだ、でも和愛にも苦労をかけたくない……)
結果、布団に潜るしかない。和愛にそこが分かるわけがない。
宇野の本家ではこのことについて彦助が沈黙の戒厳令を敷いていた。
『哲平の気持ちを考えろ!』
だから誰もなにも言わない。莉々だけが(そんなこと言ってる場合じゃない)と、夫と動いている。
いっそのこと、千枝が夢枕にでも立って決めてくれればいいのだが、そう都合よく行くわけが無い。和愛は頭に来て、わざと音を立てながら米を研いだ。
「ねえ、和愛ちゃん、いつお引越し?」
「まだ見つからないの?」
双子が心配そうに聞いてくる。早速花父は胡坐をかいて、自分の膝の上を空けた。当たり前のように双子がそこに座る。
「いい場所が見つからないんだよ。ワンルームっていって、一つしか部屋がないところならあるんだ。でもそれじゃ和愛が可哀そうだろ?」
「可哀そうだよ!」
即答した花月。和愛のことがどうしても気になる。時々寂しそうな顔をすると構いたくて仕方なくなる。髪を引っ張ったり、からかったり、追いかけまわしたり、結局最後には泣かせてしまうが。
他の女の子にはそんなことはできないが、どうしても和愛のあの顔を変えてやりたくなってしまう。
「そうだよな。だからせめて部屋が2つあるところを探してるんだけど」
花父が沈んでいる。
「この近くじゃなきゃ見つけようと思えばあるんだ。昨日も2軒あったんだよ、いいのがね。でも学校の区域がお前たちと違うんだ。知ってる子が一人もいないのも可哀そうだし」
「僕がそこに転校する!」
驚いて花月を見る。
「何言ってるんだ、無理だよ、それは。お前の区域はここなんだから」
「じゃ、『どくりつ』っていうのをする」
花は笑った。
「はいはい。じゃお母さんに相談しておいで」
母のところに走って行く後姿に、花は首を傾げた。
(いったいどうしたんだ?)
男心に疎い父。そもそも、花月を『男』などとは思っていない。
「どうしたの、花音ちゃん。いやなことでもあったの?」
「大家のおばちゃん!」
花音はこのおばちゃんが大好きだ。花月は苦手にしていてあまり大家さんの家に来たがらない。
「今日はお花いくつ咲いてる?」
「もう2月も終わりね。春になればいっぱい咲くわよ。今は水仙かな。見においで」
「うん!」
大家さんの庭は花音の家より広くて、いつもたくさんの花が溢れている。家の花はプランターに咲いているだけだ。母も父も、庭の花より子どもたちが庭に出る方を選んでいるからだ。
「きれい!」
水を撒くための細い道があって水仙があちこちから顔を出している。知らない花や梅も頭の上で咲いていた。そこを行ったり来たりするのがお気に入り。
「たまに蜂が出るから気をつけて。逃げたり払い落したりしちゃダメよ」
「知ってる!」
これも花月がここに来たくない理由の一つだ。2ヶ所刺されてからここの花壇には近づかない。花音も刺されたが、その蜂に『ごめんね』と言った。
『蜂には縄張りがあるから、侵入する相手を敵だと思うの。「お邪魔します」っていう気持ちでいなきゃだめなのよ』
母の言葉はいつも生きている。
白い花を見ながら溜息をついた。
(3月になっちゃう……和愛ちゃん、可哀そう)
自分なら一人で学校なんて行けないと思う。花月が一緒なのは本当に心強い。和愛は自分なんかよりずっと強い。お母さんがいないのに『あの哲平おじちゃん』のお世話ができる。台所で母と並んで米を研いでいるのを見た。洗濯ものも畳んでいたし、干すのだって上手だ。
けれど、そんな和愛が泣いていたのを見ている。ずっと前のことだ。
『どうしたの!? 花月に苛められた?』
花月はそばでおろおろしながら持って来たタオルで和愛の涙を一生懸命に拭いていた。その時には花月にからかいの表情など無かった。
『お父さんが……泣いてるの』
『お父さん? 哲平おじちゃん?』
『昨日の夜、私が寝てた時。泣いてるから起きちゃったの』
『どうして泣いてたんだろう』
花月には想像もつかない、『あの哲平おじちゃん』が泣くなんて。
『昨日ね、お母さんの誕生日だったんだよ……お父さん……写真抱いて泣いてた……私、そばに行ってあげられなかった……』
あれから和愛は自分たちの間で特別な存在だ。花月の普段の態度には腹が立つけど、和愛のいないところではかなり気にしている。和愛が帰った後には必ず花月は言うのだ。
『夜、泣かないといいなぁ』
「どうしたの? お父さんに怒られた?」
おばちゃんが おいで をするから縁側に座った。お盆にりんごジュースが載っている。ストローで飲みながらぽつんと言った。
「お友だちが困ってるの」
「大事なお友だち?」
「とっても! ウチに来るみんなが大事にしてるんだよ」
大家さん……高橋さんは知っている。毎日賑やかな花の家。家を大事にしている若い夫婦。今時の人は洋間が好みだろうと、建て替えを言ってみたが、『あのままがいいんです』と、何度もご主人が言いに来た。
あの家には高橋さんにも思い入れがあった。高橋さんの両親が住んでいたからだ。子どもたちが離れて、何度か家も手離そうと思ったがなかなか決心がつかない。だから貸し出すことに決めた。
築年数で言えば古くはあるが、借家として出す前にちゃんとリフォームはしておいた。お風呂や台所など、使いやすいようにと。
(いい人たちが住んでくれた)
そう思う。家を大事にするということを知っている人たちだ。そして、そこに集まる若い人たちもいい人ばかりだった。笑い声が絶えない。いつも温かく人を迎え入れてくれる。
「花音ちゃんの大事なお友だちはどうして困ってるの?」
「住むお家が見つからないんだって。花音のそばに引っ越したいけど全然見つからないってお父さんもお母さんも毎日探してるの」
「あら……」
高橋さんは考えた。
「花音ちゃんのお家に近い方がいいのね?」
「うん」
「住むのは何人なの?」
「二人」
「お友だちは?」
二人と聞けば、普通は夫婦ものだ。
「お友だちと、お父さん」
「お母さんは?」
聞いて悪かったかと思った。最近は離婚する人も多い。
「お母さんは死んじゃったの。哲平おじちゃんはお母さんが死んじゃったから夜泣いてるんだって和愛ちゃんが言ってた。でも哲平おじちゃんって、ウチでは『お笑い担当だ』ってお父さんが言うんだよ。とっても元気で面白いの! だから夜泣くって、びっくりしたんだよ」
高橋さんにはだんだん様子が掴めてきた。
「どうして花音ちゃんのそばにお引越しするの?」
「哲平おじちゃんがね、やっと仕事に行くって決めたんだって! みんなすごく喜んでるんだよ。あのね、花音の家にはお父さんの会社の人がいっぱい遊びに来るの。みんな哲平おじちゃんが大好きなの! だけどお父さんが会社に行ってる時に和愛ちゃんが一人になるのが心配なんだって。うちのお母さんがそばにいたら安心だって」
事情がよく分かった。
お父さんの会社のお友だちの『哲平おじちゃん』が職場復帰するのだ。その人は亡くなった奥さんを思って夜は泣くような人だけど、みんなの前では明るく振る舞う繊細な人。一人娘が心配だから宗田さん親子のそばに家を探している。でも見つからない。
「花音ちゃん。あまり心配無いと思うわ。きっとみんなが安心できるようになるから」
夜、8時過ぎ玄関のチャイムが鳴った。
「ごめんください」
花が玄関に出た。
「高橋さん! どうかしたんですか?」
前に大家さんの旦那さんの方がぎっくり腰になった時に飛んで行ったことがある。夜だから病院を探して連れて行った。その時は入院になって、週末は何度か花が奥さんを病院まで送った。
「いえ、ちょっと用があって来たの。今日都合悪かったら明日来ますよ」
「どうぞ入ってください。マリエ! 高橋さんが見えたよ、お茶!」
「はぁい」
今日は誰もいなくて静かな居間に通した。
「真理恵ちゃんは順調なの?」
「お蔭さまで順調です。ウチに来る人たちが全部やってくれて」
「いいお友達が多くて羨ましいわ。今はなかなか宗田さんみたいな人たちはいないからねぇ」
「いい人たちばかりなんです。だから助けてもらってます」
この、ほわほわした感じが高橋さんも好きだ。
「何かあったんですか? 男手が必要ならいつでも行きますよ」
このご主人はきれいなのは玉に瑕だけど動き惜しみをしない。てきぱきしていて困っている時にはいつも手を差し伸べてくれる。見た目とはまるで違って、男らしい。
「花音ちゃんの悩みを聞いたの。家を探してるんですって?」
「花音が高橋さんに相談に行ったんですか!?」
それは筋違いだと花は思っている。慌てて高橋さんは手を振った。
「違うのよ、花音ちゃんが沈んだ様子だったから聞き出したの。場所ならここから近い所に空き家があります。でも家そのものはあまりお勧めじゃないの。だから貸し出してないんだけど」
「え?」
花と真理恵が顔を見合わせた。
「どこですか!?」
「ちょっとうるさいけどね、商店街の中よ」
途端に花の顔が曇った。商店街は駅のすぐそばだ。
「あまり高い家賃だと無理なんです」
「今まで空けてたんだもの、そんなのはいいのよ。税金はしっかりかかっちゃうから売ってしまおうかと思ってたくらい! すぐに知ってるリフォーム屋さんに頼めば3月半ばにはお貸しできる状態になるわ。ただねぇ、お部屋が」
「なんですか?」
花も真理恵ももうどきどきしている。場所としてこんなに好条件のところがあるだろうか。
「1階が台所とお風呂と6畳なんだけど、2階は3畳と4畳半なのよ。若い人には不向きでしょう? でもそこしか思いつかなくて」
真理恵の顔が輝いた。花も即食いついた。
「中を見せてもらえますか?」
「いいですよ」
「いつならいいでしょうか!」
「いつでも大丈夫。夜でも構いませんよ。電気だけはブレーカーですぐ点きますからね」
時計を見る。8時過ぎだ。いくらなんでも高橋さんに申し訳ない。
「明日はどうでしょうか」
「急ぐんでしょう? 私も決まればすぐリフォームにかかりたいし。あなたたちだけでも今日見ますか?」
二人の目がこれ以上無いくらいに見開いた。
「何時ごろまでいいですか!?」
高橋さんはにっこりと笑った。
「11時じゃ困るわ」
「すぐ呼びます! 来たら伺いますのでよろしくお願いします!」
「はい。……うちのお父さんがぎっくり腰でお世話になったのは夜9時でしたよ。それからずっと真夜中まで付き添ってくれましたね。有難かったです、本当に。じゃ、家で待ってるわね」
花はすぐに哲平に電話した。
『マジ!?』
「今日来れる?」
『すぐ行く! 和愛、和愛! 花おじちゃんのとこに行くぞ! 家があるって!』
そのまま電話が切れた。受話器を見る花がすごく嬉しそうで、真理恵は心が熱くなった。
まだ8時半。花音も花月も起きている。
「花月、花音!」
花はいつも呼ぶ順番に気をつけている。年が同じだからこそ、兄としての自覚を持たせたいし、それを花音にも分からせたい。
「なに?」
「あのな、哲平おじちゃんの家が見つかりそうなんだ」
「ホント!?」
花月が先に興奮した。
「お父さん、どこにあるの? 和愛ちゃん、泣かないところ?」
「心配無いと思うよ、花月。花音、ありがとう。さっき大家さんが来てね、それで教えてくれたんだ。いいお家があるって」
二人が騒ぎ始めた。
「和愛ちゃんに電話する!」
「もうお父さんが連絡したから。後で哲平おじちゃんと来るよ。それで二人でお留守番をしてほしいんだ」
「ええぇ、行きたい!」
花音が駄々をこね始めた。花は花音の両腕を握った。
「花音、気持ちは分かるよ。でもそこに住むかどうか、決めるのは哲平おじちゃんと和愛だ。いくら場所が良くても、住むのがいやだと思う時はあるんだよ。その時にお前たちがいたら気持ちに素直になれなくなる。考える邪魔をしちゃいけないんだ」
父の言うことの意味の大半は分からなかった。あまりにも複雑な内容だから。でも一緒に行くことが和愛たちには困ることだということは分かった。
「じゃ、お家で花月と待ってる」
「ありがとう。花月もそれでいいか?」
「帰りに和愛ちゃん来るかな」
「少しだけど寄ると思うよ。お父さんと哲平おじちゃんとで話すことがあるからね」
花月の顔に笑顔が広がる。
「花音のこと、任せて。僕がちゃんと守ってるから」
「さすがお兄ちゃんだな! お前に留守を頼む。窓を開けたりお父さんたち以外に玄関を開けたらだめだぞ」
「はい!」
哲平の到着は早かった。
「まさかスピードオーバーしてないだろうね」
「俺の運転はいつも穏やかなもんさ」
後ろを見ると和愛が引き攣った顔を横に振っている。花は溜息をついた。
「大家さんのところに行ってくるよ」
「俺も行く。お世話になる人だ、ちゃんと挨拶したい」
「まだ決まってないでしょ」
「俺の勘がそこにしとけって言ってるから大丈夫だ」
抵抗が無かったのだ。久しぶりに勘が働いた。だからそれを信じることにした。自分の再出発をそれに賭ける。
(隣がコンビニだったら外れだ。近くにパチンコ屋があっても外れだ)
決めているのはその2点。ここの商店街には入ったことが無い。差し入れは自宅そばで買い物して来るし、ビールもつまみも花の家の近くのスーパーで買う。
「ごめんください!」
「哲平さん! 声、デカいよ!」
「あ、済まん」
「はい」
「大声ですみません、宗田です」
「待ってましたよ」
表に出てきた高橋さんは哲平をまじまじと見た。哲平も高橋さんを見返す。
「あなただったの?」
「おばさん!」
「知り合い、ですか?」
高橋さんが笑い出した。
「そうなの! 3回くらいかしらね、お会いしたのは」
「そうです」
「最初は荷物を持ってくれたのよね、同じ方向だからって。でも途中で他の買い物があるから別れようとしたんだけどついて来てくれてね」
「あっちに魚屋があるなんて初めて知りましたよ」
「そこで鮪のお刺身を買ったんだけど、この人値切ったのよ。値切りなんて久しぶりに見たわ」
高橋さんが笑っている。
「お前んとこにシャケの大きいの買ってきた時あったろ? あん時だよ」
「併せて買うんだからまけろってね。お蔭で800円のお刺身が500円になったの」
「その次は散歩でしたっけ」
「あの時はずい分話を聞いてもらって。嬉しかったですよ……」
「3月からお世話になります! 宇野哲平、これは娘の和愛です。父娘二人暮らしです。どうぞよろしくお願いします!」
「ちょっと、哲平さん! 部屋見て……」
「花、これは縁だ。知ってたか? この人のお母さんの名前は知恵さんって言うんだ、字は違うけどな。これは運命だよ。部屋を見なくても分かる、ちゃんとした家だ」
高橋さんが涙を落した。
「本当に……ご縁なんですねぇ。和愛ちゃん、お父さんだけで決めていいのかしら?」
「はい! 父ちゃんのこういうとこ、絶対間違いないから大丈夫です」
こうして哲平の家が決まった。
引っ越しはみんなでやった。リフォームはしっかりされていてなんの不自由もなさそうだ。和愛は初めての階段を上ったり下りたり。部屋は和愛の反対を押し切って、和愛が4畳半、哲平が3畳を使う。
「お前はこれから物が増えるし女の子だ。小さい部屋じゃやっていけなくなる。父ちゃんはこれで充分なんだよ」
和愛の窓には真理恵が縫ったカーテンがかかった。哲平のカーテンはありさが。
「カツアゲされてる夢、見そうなんだけど」
そう言って池沢のゲンコツをもらった。
本家はリノリウムのカーペットを1階に敷いてくれた。1階は洋間だ。千枝のご両親は和愛にランドセルを買ってくれた。
広岡は新しい電灯を、部長は玄関を測って、それに合う下駄箱を。野瀬は和愛にそんなに大き過ぎない本棚を。他のみんなは物よりも現金だと、引っ越し費用にカンパしてくれた。
そして、花は。
「真理恵にカーテンもらったんだぞ」
「知ってるよ。でも俺、これを贈りたかったんだ。今なら……今なら大丈夫でしょ?」
「……うん」
額縁に入った、池沢チームでカラオケに行った時の写真。大きく引き伸ばしたその写真を哲平の部屋の壁に掛けた。ちょうど飲み物を運んで来た店員に撮ってもらった。みんなが若い。
花は生意気な顔で口元に笑みが浮かんでいて、ジェイは恥ずかしそうにしている。池沢はあまり変わらない貫禄があって、三途はさらに変わらない貫禄があった。
哲平はふざけた顔をして千枝は……その哲平を見て口元に手を当てて笑っている……
写真を掛けて、花は黙って部屋を出て襖を閉めた。
1階でみんながしゃがんでビールを飲んでいる。賑やかな引っ越し風景だ。狭い台所ではあるけれど女性たちが蕎麦を用意している。
子どもたちは2階の部屋だ。哲平の部屋の反対側、襖を開けた和愛の部屋から歓声が聞こえる。隣は3階建てのビルだから大声も気にならない。
「和愛ちゃん、この机は誰が買ってくれたの?」
「これは父ちゃん! 一緒に選びに行ったんだよ!」
上気して言うその顔を花月は見つめていた。
(守ってあげたい)
そう思った。
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