和愛っ! -1

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和愛っ! -1

 よちよち歩きの頃から穂高は太々しさを醸し出していたから、『(わか)』と優作がふざけて呼んだ。それがあっという間に三途川一家に定着した。 「若、あれから恋の道はどうなりました?」 「こいのみち?」 「チョコレートをくれた子にキャンデーをやったでしょう」  ナッチが聞いているのを、にやにやしながら源は見ている。 「椿紗のこと?」 「そうそう、そのつばさちゃん」 「どうもなってないよ」 「進展なしですか!」 「しんてん……進歩ってこと?」 「……それ! 進歩」 「急がないし。ママもパパも勉強にうるさいからそっち先になんとかしないと」  両親はスパルタだ。泳げなければプールに投げ込むような母。言い返しそうになるとじろっと目を向けて、無言で『黙れ』と言う父。  愛情はたっぷり感じていた。なんにでもダイナミックな母は、褒めることも惜しまない。父が見せる威厳と包容力は、充分穂高に影響を与えているし穂高を豊かに包んでいる。  母は少し足を引きずる。手術をしたのだと聞いたが、それが最近になって痛むらしい。それでもずんずん歩く母に(ママは男らしい!)と感嘆する。  三途川の家に行くと、優しいお祖父ちゃんと威勢のいい爺やがにこにこと迎えてくれる。ここでも愛情はたっぷりだ。  威勢のいい爺やはママに内緒でいろんなことを教えてくれる。人情の大切さ。義理、謙虚、礼儀。こういったものをこんこんと語る。それを聞き、分からない言葉が入り乱れても、しっかり頷くことが爺や孝行だと思う。それにカッコいい言葉をふんだんに使う。  優しいお祖母ちゃんには爺やの言う『礼儀』をたくさん使う。楽しいから泊るのもしょっちゅうだ。 「穂高はいい子だねぇ」  昨日、そうお祖母ちゃんに言われて両親の前で返事をした。 「『いっしゅくいっぱんのおんぎ(一宿一飯の恩義)』って大事だって教わった」  母の背筋がしゃんと伸び、穂高は何かを間違ったのだと知る。 「ママ、どこ、間違った?」 「『一宿一飯の恩義』、誰が言った?」  穂高は考える。 (正直に言うと、『いっしゅくいっぱんのおんぎ』を守らないことになるかもしれない) 「忘れた」 「穂高?」 「『時に忘れることも大事だ』って聞いたし、『過去を引きずっちゃなんねぇ』ってのも教わった」  母にはその言葉だけで充分だったようだ。 「父さん! 穂高に近づくの禁止するわよ!」  夏休みだ。宿題が出ている。それは早々と初日から手を付けた。 (これ、僕たちの年の子の『ろうどう(労働)』だっけ。『ちんぎん(賃金)は出ない』って洋一兄ちゃんが言ってたけど、パパは『しっかり学ぶことはざいさんになる』って言った。ちんぎんが出ない、ざいさん。また辞書、見ないと)  母には、『愛読書は辞書にしなさい』と言われている。 「明日、和愛に会いに行きたい」  穂高はいじめの対象になっていた和愛のことが気がかりだった。  珍しく積極的なことを言う穂高に、ちょっと母は困った。穂高は消極的なわけじゃない。我を通さないだけだ。我がままを言わない。これは穂高の性質だ。だから母としてはせっかくの穂高の希望を叶えてやりたいけれど、明日は池沢の義父を病院に連れて行かなくちゃならない。そのために今夜は三途川家で一泊する。隆生ちゃんは今日は休日出勤だ。 「穂高、日程変更は出来ない?」 「できない」 「あら、譲らないの?」 「いつもゆずってると思う。だから明日は行く」  仕方ない、と母は立った。 「ちょっと!」 「なんですか、お嬢!」  すぐに優作がやってきた。 「あんた、明日花んちに穂高を連れてってくんない?」 「花んとこですか」 「ケンカしてくんじゃ無いわよ。ただ穂高を置いて来ればいいの。連絡入れとくから穂高のこと、よろしくお願いね」  お嬢の指示なら仕方ない。あの『ふにゃふにゃした優男』のところに行くしかない。 「いい? 穂高の前で礼儀正しくしないと承知しないわよ」 「……はい」  そんな段取りがついて、穂高は宗田家に行くことになった。 ――三途川一家あれこれ――  ここでちょっと優作と、三途川一家の若いもんの簡単な現状を。  4年前、親父っさんはイチとカジを除く全員に言い渡した。 『そろそろ身の振り方を考えちゃどうだ? お前たちがやりたいことで力を貸せるもんなら、いくらでも口利きをしてやる』 『特に優作、源太、洋一、夏男。このままここで埋もれちゃなんねぇ。真剣に考えろ。俺に答えを寄越せ』  そして優作は『親父っさんから離れるわけにはいかねぇ!』と決意するに至っている。 ――三途川一家あれこれ 終了―― 「おはようございます!」  優作はまるで出入りのような声で玄関で吠えた。飛び出してきたのは双子たち。 「優兄ちゃん、いらっしゃい!」   可愛らしい花音は優作のお気に入りだ。ただ花の目の前で花音を抱っこしたりするのはご法度だ。触れているところを花に見られようもんなら花は本気でかかってくる。  花月は可愛かったのに最近花に似てきたからちょっとやりにくい。 (変なとこ似てきやがって) そう思うことが増えてきた。 「どうしたの?」  真理恵が不思議そうな声で聞く。優作が一人でこの家に来るのは初めてだ。けれどその後ろから姿を現した穂高を見て納得した。 「いらっしゃい。穂高くん!」 「今日は若をお連れしました」 (礼儀正しく、礼儀正しく) 「池沢さんとありさちゃんは?」 「お二人は池沢の親父っさんを病院に連れていかれたんで」 「穂高くんは遊びに来たと思っていいのかな?」 「うん。遊びに来ました。お泊りもしていいですか?」 「もちろん、いいわよ」 「あのっ!」  優作は『お泊り』の話は聞いていない。だから着替えも何も用意していない。 「ちょうど良かった! これからプールに行くのよ。穂高くんも一緒に来るでしょ?」 「行きたいです」 「若! 着替えや水着は」 「いいわよ、優作さん。心配しなくても大丈夫」  お嬢にはきちんと穂高を『よろしくお願い』された。だから自分を置き去りにして進行しそうなこの成り行きに穂高を任せたくない。 「じゃ、これから着替えと水着を用意して来ますんで!」 「行って戻ってだと1時間半はかかるでしょ? もう出かけるつもりだから」 「じゃ、お嬢に断りを得ますんで!」  そこに花月が入って来た。 「優作兄ちゃん。聞いてどうすんの? 穂高は遊びに来たのにここに一人で置いていくことになるんじゃ可哀そうだし意味無いよね」 (このガキャ!) 言っていることは尤もだが、花父の声が被さって聞こえるような気がしてくる。 「花月、俺はお嬢に頼まれたんだ」 「穂高を誰もいない家に置いて来いって?」 (クソガキャ!) そして本物が出てきた。 「優作さん、聞こえてたけどさ、ずい分聞き分けが無いな。穂高、今日は何しに来たんだ?」 「遊びに来た」 「じゃ、遊ぶ相手が必要だよな」 「そうじゃなきゃ遊べない」 「で、みんなプールに行く。哲平おじちゃんとこもだ」 「行く!」  元々目的は和愛に会うことだ。対象者がプールに移動する。なら当然行かなければならない。 「よし。着替えは花おにいちゃんに任せるな?」 「任せる!」 「話は決まった。じゃ、優作さん、また今度」  さっさと奥に引っ込んでしまう花。苦し紛れに優作は口走った。 「俺も一緒に行きます!」  哲平の車と花の車に分れることになった。当然のことながら哲平の車の後部座席は和愛を挟んで両脇に花月と穂高。そして助手席に優作。花の車には真理恵と花音。 「なんか窮屈だな」 「俺は花と一緒の車はだめです!」  確かにそうだ。プールに着くまでに何かあっても困ると哲平は思う。 「じゃ、和愛。花音がいるし女の子同士花おじちゃんの車に乗るか?」 和愛:いや!(副音声:花月と一緒!) 花月:このままがいいよ!(和愛の隣で) 穂高:このままでいいけど。(それ、目的だし)  優作は穂高から離れるわけには行かない。子どもたちの3人模様を承知の哲平。 「いいよ、しょうがない」  電話が入る。着信の名前は可愛いはずの義弟だ。 「どうしたんだよ、広岡」 『遊びに行こうと思ってさ。しばらく行ってないだろ? 椿紗が行きたいって』 「悪い、みんなで新しく出来た区民プールに行くんだ。デカいって聞いたしさ、子どもたちも乗り気だから」 『プール? ……合流してもいい? 莉々はダメだけど』 「構わないよ」 『じゃ、真っ直ぐ向かうよ。向こうで連絡取り合おう』 「了解!」 (椿紗が来るのか。花月の奪い合いか? どっちが勝つかな) まだこの時点では哲平は事態を甘く見ていた。  途中穂高の着替えと水着を選んでいたせいで、広岡の方が先にプールに着いていた。 「遅かったな!」  真理恵が事情を話している間に広岡の後ろから1名の問題児が現れた。真っ白なTシャツ、細身のジーンズ、ラフに羽織った水色の薄い生地のパーカー。 「ジェイ、お前も来たの?」 「うん、広岡さんのところにちょうどいたんだ。泳ぐって聞いたからくっついて来た」 「くっついて来るなよ!」  花の尖った声にジェイは思わず首を竦める。  ジェイはかなり泳げるようになったのをどうしてもみんなに披露したい。かなりどころじゃない、蓮と広岡の手解きで今じゃターンも楽々とできる。身体能力は高かったし水泳は性に合っているようだ。300メートルは軽く泳げる。ただバタフライが上手くいかない。蓮に『それ、バタフライって言うより「ジタバタ」だな』  どうしても両腕を上げると体が沈む。花はなんでも来いだから、今日はコーチを受けたかった。  お父さんの前で露骨にジェイくんのそばに行くのはジェイくんに辛い思いをさせることになると、最近花音は分かって来た。お父さんが悲しむより、ジェイくんの悲しい顔を見たくないからお父さんがいる間はなるべく大人しくする。  けれど、今日はダメだ。真っ白なTシャツが良すぎる。パーカーを着るジェイも初めてだ。その手にしっかりと自分の手を巻きつけた。 「今日は二人で泳ごうね!」 「花音!」 「かのちゃん、今日はみんなで楽しく泳ごうよ」  時々、ジェイくんは『かのちゃん』『かづくん』と呼んでくれる。ジェイくんだけがそう呼ぶのでそれを言われると花音は弱い。 「分かった。ジェイくんの言う通りにする!」  納得の行かない花だが、じゃ、お父さんとは泳がないなんて言われそうだから我慢した。 (相変わらずだな、この空気) 優作は花のうろたえる姿が見られるからすごく嬉しい。 「こどもの、ぷーる……」 「どうした、ジェイ?」 「哲平さん……ここでバタフライは泳がない方がいいよね……」  水深70センチ。 「泳ぎたきゃ構わないぞ。ただ子どもたちは避けてくれな」  哲平はにやにやしている。 「深いとこは行かないの?」 「今日は子どもたちのために来てるんだ。行きたかったら一人で行って来い」  それじゃ意味が無い。ジェイは見せたいのだ、カッコよく泳げるところを。そしてバタフライを習いたい。すっかり落ち込んだけれど仕方ない。子どもたちのために来たのなら暗い顔をしてはいけない。 「分かった、今日は遊ぶことにする」 (おい、子どもたちのためだぞ、お前は自分が子どもになるのか?)   
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