和愛っ! -2

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和愛っ! -2

  「穂高、すごい!」  思わず花月が叫んだ。 「穂高って泳げるんだね!」  和愛の声も興奮している。すいすいクロールで戻って来た穂高はみんなが自分に注目していることに驚いた。 「穂高、やるな! ちゃんと泳げるなんて思わなかったよ」 「穂高、私に泳ぐの教えて」  目をぱちぱちとする。和愛が自分をご指名だ。今日は和愛が心配で来たのだからそれは都合がいい話だ。 「泳げないとママにプールに投げられるから」 「三途さんらしいや!」  花も哲平も笑い転げた。  穂高にしてみれば冗談じゃない、命懸けだったのだから。何度たらふく水を飲んだことか。泳げないとママは『体は浮くように出来てるの。水と体を信じなさい。あんたは勝手に慌ててんのよ。自然に任せれば何とかなるって』 (自然にすると体、あばれるんだけど) それは口にしなかった。 「えと、僕が和愛を泳げるようにしていいの?」 「いいよ。お前に頼む」  哲平は穂高に和愛を任せることにした。ここで一人、慌てた男の子がいる。 「和愛! 僕が教えてあげるよ」  花月だ。多少なりとも泳げる。たいがいのスポーツならこなしていける花月だ。泳ぎも教わってはいない。だが泳げはする。 「だって穂高凄いもん。花月より上手だしたくさん泳げるし早いし」 (花月、だいぶ焦ってるな) 哲平は笑っている。そこに花月の腕にぺとっとくっついた違う手。 「花月、私泳ぐの教えて」  椿紗だ。 (チャンスだな、椿紗!) 「椿紗! お父さんが教えてあげるから! あまり泳げない子に教わるんじゃない」  これは花月の心をいたく傷つけ、負けん気に火をつけた。 「教えてあげるよ、椿紗。僕の教え方は上手だよ」  椿紗の目が輝く。  和愛の心がチクりとする。花月と妙なことになったような気がした。穂高も妙なことになったと心がチクリとする。好きな椿紗が花月にべったりすると言うことだ。けれど元々目的が違う。穂高は割り切った。和愛は明るい声で花月に声をかける。 「花月、今度来た時一緒に泳ごうよ」 (じゃ、今日はもう一緒にいる気無いんだね。ずっと穂高のそばにいるんだ) やはりまだ子どもだ。花月はそれに答えず、椿紗の手を握った。 「椿紗、僕のそばから離れちゃダメだよ」  その手をぎゅっと握った顔には至上の喜びが溢れている。 「うん! ありがとう!」  広岡の憮然とした顔が哲平のツボにはまる。 (広岡。初めて会った日のお前が嘘みたいだな)  ここから哲平はしんどい一日を味わうことになる。それは久しぶりの辛い時間になった。 「ジェイくん、私に教えて!」  変な言い方だが、ジェイは安全パイだ。誰もジェイにくっついて来ない。花音はこれ幸いとジェイのそばに近寄っていく。 「花音! ジェイは裸だし、お前も水着だからだめだ、お父さんの所に来なさい!」 『おれ、何も着てなくて……』  脳内に反響するあの言葉。連想してしまうのは、アレだ。 (裸って……花、いつからジェイは変質者に格下げになったんだ?) 今日は楽しい一日だと見回しているといつの間にか和愛と穂高が消えている。 (あれ? 和愛は?) 「おい、誰か和愛見なかったか?」 「その辺にいないの? 穂高に教わってるんだろ?」 「いや……見当たらない。誰か知らないか?」  子どもたちは口々に見ていないと答える。 「花月、お前見てなかったのか?」  名指しで哲平に聞かれ、うろたえた。見たかったのだ、何度も。けれど穂高と仲良くしているところを見るのはいやだった。だから和愛から目を背けていた。  哲平はプールに入らずにいる優作に呼びかけた。優作が見ていないはずはない。 「優作! 穂高、どこに行った!?」 「えっ、いないですか!?」  実は優作は水恐怖症だ。小さい時に川のそばで足を滑らせ溺れている。流されて岩にしがみついて、30分以上経ってから救助された。それから風呂以外で水に入ったことが無い。バレるとお嬢に水に叩き込まれるのは確実だから話したことも無かった。  みんなが集まってわいわいやっていたから、優作はなんとなく周りを見渡したりしていた。その間、穂高から目を離してしまった。 「探します!」  優作は二人の姿を求めて走って行った。  真理恵はパラソルがちょうど空いていたから、そこで風花の面倒を見ている。子どもが離れているとは思ってもいない。それぞれの大人たちは自分の子どもにたかる害虫駆除に夢中だから他の子どもを把握していなかった。 「みんな動くな! 哲平さん、子どもたち見てて! 中を回ってくる!」  花は広い子どもプールの中を探し回った。和愛に万が一のことがあったら…… プールに行こうと誘ったのは自分だ。迷子にだってさせたくない。 「どうだった!」 「いなかった…… みんな、いったんプールから上がれ! 和愛と穂高が見つかるまでお母さんの……真理おばちゃんと一緒にいなさい!」  がっかりしながらもみんなだって二人のことが心配だ。花に言われた通り、真理恵のそばで固まって座った。 「真理恵さん、みんなをお願い! 哲平さん、俺トイレ見てくる!」  ジェイは走った。哲平はそれを聞いて自分がうろたえているのが分かった。そんなことに頭が回らずにいる。 「俺は迷子センターに届けてくるよ!」  それにも気づかなかった。花が走っていく背中を見送る。 (和愛がどこにいるか分からない)  パニックが起きそうになっている。足元から恐怖が這い上がり、しっかりそれに捕まってしまった。 (千枝!!) それに広岡がすぐに気づいた。 「哲平! 深呼吸だ、お前が落ち着かないと!」  背中に広岡の手がある。 「俺の言う通りにするんだ。ゆっくり、吐いて。吸って。吐いて。吸って。今のリズムで呼吸続けて。真理恵、水くれる?」 「はい!」  子どもたちはこんなに青くなっている哲平を初めて見た。哲平は水を飲まされて少しずつ落ち着き始めた。 「いいか、ちょっと姿が見えなくなっただけだ。みんなが探してるからお前はまず落ち着け。花もジェイも優作も探してる。俺も行くから。お前、真理恵のそばにいるか?」 「大丈夫だ、落ち着いたから。俺も和愛を探す」  顔色は悪いが、しっかりした喋り方だから広岡は頷いた。ジェイが走ってくるのが見えた。 「近いトイレにいなかった。混んでてたくさん並んでるんだ。違うトイレに行ったかもしれない。俺はトイレを回るよ。真理恵さん、みんなの携帯預かってるでしょ? くれる?」  真理恵はテーブルの上に携帯を並べた。 「花さんと優作さんが戻ったら持たせて。連絡取り合いながら探した方が効率いいよ。じゃ、行くね」  有能な補佐はこういう時に力を発揮する。テキパキとした指示と対応に、すっかり哲平も立ち直った。携帯を掴む。広岡が待ったをかけた。 「やみくもに動いてもしょうがない。真理恵さんは中継地点になって。ジェイはトイレを回る。ここ以外に大人用の深いプールと流れるプールと子供向けの1メートルの深さのプールがあったな」  真理恵がパンフレットを出した。 「俺は流れるプールの方に行くよ。みんなには他に行ってもらってくれ」 「ジェイくんはトイレ。哲平さんは流れるプールだね。途中のどこかを歩いてるかも知れない」 「もちろん周りを見ながら行くよ」 ジェイが頷いて走って行った。 「じゃ、俺は子ども向けの1メートルプールに向かう」  広岡が請け負う。 「真理恵、二人はここに戻ってくるかもしれない。悪いが周りに目を配っていてくれ。お前たち、真理おばちゃんのそばから離れるんじゃないぞ。周りを見て和愛と穂高を見かけたら真理おばちゃんに言うんだ。頼んだぞ」  哲平と広岡はすぐに散った。 『迷子のお知らせをいたします。6歳の女の子、青い水着の宇野和愛ちゃん。6歳の男の子、池沢穂高くん。お父さんが探しています。赤いベストを着た人にお名前を言ってください。二人を見かけた方はお近くのスタッフ、または案内所までお知らせください』  花が戻って来た。 「みんなは?」 「哲平さんは流れるプールの方に行ったよ。広岡さんはもう一つの子ども用プール。ジェイくんはあちこちのトイレ」 「優作は?」 「分からない、飛び出して行ったから」 「あの役立たず! 俺、哲平さんの方に行くよ。流れるプールは行く可能性があるけど広すぎる。手伝ってくる」  真理恵から携帯を渡されて花はそっちに向かった。真理恵は周りに目を配る。  5分ほどして優作が走って来た。 「若は!? 和愛ちゃんは戻りましたか!?」 「ううん、まだみんな探してる。哲平さんは取り乱しちゃって……今は落ち着いたけど」  穂高を見失うなんて、大失態だ。それに哲平の心情が伝わってくる。哲平が寺から戻った頃、一時期三途川一家でも和愛と一緒に預かったことがある。哲平に残ったのは和愛だけ。その切なく辛い姿を見てきた。  真理恵からみんなの行き先を聞いた。深いプールには誰も行っていない。優作の頭にあることが浮かんだ。 「俺、深いプールに行って来ます!」 「でもそれは一番可能性低いでしょう?」 「逆だと思います。若はお嬢に泳ぎ方を叩き込まれたんだ、自分が泳げるようになったのはそのお蔭だと嬉しそうに言ってらした。同じことをしないとも限らない」  今度は真理恵が蒼褪めた。 「どうしよう! 穂高くんならやりそうだわ、でも私動くわけに行かないの」 「だから俺が行きます。当たりなら急がないと!」  優作はまた走っていった。 「僕も行く!」 「待ちなさい、花月!」  けれどパンフレットを掴んだ花月は優作の跡を追った。 「私も!」  立とうとする花音と椿紗に、断固とした口調で言う。 「いけません! ここにいなさい。離れたら許しません」  この真理恵に逆らうなんて出来ない。  哲平の手の携帯が震えた。 『どこ!? 俺も流れるプールのそばだよ!』 「滑り台の脇に立ってる。水には入ってない」 『あ、見つけた! そこに行くよ!』  花が走って来た。 「人が多過ぎる、ここ。俺たち二人でもこの中から見つけるのは難しいよ」 「花、どうしよう……見つからなかったらどうしよう!」 「しっかりしてよ! 迷子になったってこの区民プール施設の中なんだ。絶対見つかるって!」 「でも溺れたら? 誰かに(さら)われてたら?」 「事故の放送も流れてないし、何かあればみんなの携帯に連絡入るようにして来たから」 「そうか……悪いな、あれもこれも」 「いいって。それより……」  哲平の携帯が震えた。 「真理恵だ!」  真理恵は優作の話をした。二人で目を見合わせる。日頃の穂高を思い浮かべる。 「それだ! 行ってみるよ!」  二人も迷わず深いプールに向かった。真理恵から受けた連絡で、ジェイはもう一ヶ所トイレを見てからそっちに向かうと言ってきた。広岡は引き続き、1メートルの深さのプールを探すと言う。 「見つかるかな……」  真理恵はべそをかき始めた花音と椿紗に手をやった。 「みんなが探してるからきっと大丈夫だよ」   
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