和愛っ -3

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和愛っ -3

   穂高は和愛の願いを叶えたい。いじめを心配しても自分がやってあげられることがない。哲平おじちゃんにも和愛を任せると言われた。 『いいか、穂高。人さまに頼まれごとをしてそれを請け負ったからには、(たが)えちゃなんねぇ。請け負う、約束をするってことはそういうこった。責任ってもんがある。やれないなら手を出しちゃなんねぇんだ。判断がつかなかったら大人に聞け。約束ってのは男が負うもんの中で、一番重いもんなんだ』  爺じの言葉は難しいがいつも真実を言っている。その時にも穂高は、『請け負う』『違える』などの言葉を調べたし、分からない意味は再度爺じに教えてもらった。  今は和愛を泳げるようにしなければならない。自分には母のやり方が一番早いと思えるし、それは正しかったと思っている。 『大人用のプールはどこですか?』  それで教わったプールに来た。 「ここ? 子ども、あんまりいないよ」  競泳の練習で来ている子どもはチラホラいるが、それでも自分たちよりもっと大きい。親子で来て、親の泳ぐのを上から見ていることももいるから、スタッフはそれほど注意を払っていなかった。連絡にあった二人の迷子の姿はプールではありふれている。 「ここに……入るの?」  和愛は怖くなっていた。 「僕はママに落とされたけど、和愛は女の子だから自分で飛込んだらいいと思う。でもどうしても無理だったら他のプールに行こう」  なんにでも『せんたくのよち(選択の余地)』はあった方がいいのだと父に教わっている。 『狭い考えはいい結果をもたらさないんだ。いつも広いしや(視野)を持たないとな。自分にも他人にもそういうのを残せるようにするんだ』  これも調べて、分からないところは父に聞き直した。だから和愛にも自分で選ばせてやりたい。  しばらく二人でプールのそばに座って他の人の泳ぐのを見ていた。穂高は慌てるということが無い。初めてのことをやる時、自分は急かされるとイラっと来るし、それでやっても上手く行かないと身で覚えた。だから和愛にも急かすようなことを言わない。  このプールでは当然、誰もがすいすいと泳いでいる。それはテレビみたいだし、気持ち良さそうだし。飛込む時の姿は去年見た父ちゃんにそっくりだった。テレビで見るような飛び込み方をする父ちゃんは、とにかくカッコいい! 見ているうちに(あんな風に飛込めるようになりたい)と言う気持ちが強くなっていく。  この時にここに走り込んだのは優作だ。周りを見回す。ぜいぜいと息を継ぐ優作の目に、座り込んでいる二人の背中が見つからない。優作の後からやっと花月が入ってくる。 (あれ、和愛かな!) 背を伸ばした。 「やって……みようかな」 「大丈夫? 今日は見とくだけってしてもいいんだ。目でたいかん(体感)するっていうのも、勉強の仕方の一つだって」 「穂高って時々難しいこと言うよね」  笑いながら和愛は立ち上がった。  哲平と花が走って来た。哲平は一目で和愛を見分けた。 「いた!」 「ホント!?」 「和愛!」  ホッとしたのも束の間。その和愛がプールに足から飛び込んだ。そこからは一度に幾つものことが起きる。  和愛が水に消えるのを見た優作は恐怖も忘れ飛び込んだ。だが泳げずに溺れ始める。  花月が飛び込む。水の中に和愛が見えて、もがいている和愛の手を掴んだ。  哲平が見事な飛込みをして水をかき分けていく。その後を躊躇わず花が飛び込む。これも見事だ。  スタッフが最初に見たのは男性が飛び込んだところだ。飛込むべき場所が違うし、水しぶきが激しい。笛を鳴らして警告を出し飛び込むと、明らかに溺れている男性を後ろから掴んだ。  哲平は潜ったまま和愛の姿を探した。前方に二人の子どもの姿が見え、全速力で潜水のまま泳いだ。その後ろを花が続く。  和愛は花月にしがみついていた。花月は和愛を掴んで上がれるほど力は無い。すぐに和愛がぐったりし始め、花月は掴んだ手を放すまいと必死になっているのが分かる。けれど上に上がろうとする花月の手も、あっという間に緩慢な動きになっていった。  哲平の手が二人を掴んだ。花がすぐに哲平の腕を叩いて花月を引き受けた。哲平は和愛を抱えて上に上がる。  プールサイドにジェイが駆けつけた時には騒ぎになっていて、哲平は和愛に、花は花月に水を吐かせている最中だった。呆然と立っている穂高をジェイは揺さぶった。 「ちゃんと見なさい! 穂高の取った行動は良くなかった。後で話を聞いてあげるけど、今ぼおっとするのはだめだ。自分でなにが悪かったか考えなさい!」  いつも穏やかなジェイが誰かを怒るところなど見たことが無い。そのジェイが叩いてまで怒っている。穂高はきちんと考えようとした。けれど目の前で起きたことはあまりにもショックだった。一筋の涙が伝う。 「穂高、俺を見て」  穏やかになったジェイの声。 「今は難しいかもしれない。けどね、いいと思ったことでも、今の君たちの年じゃ大人に聞かなくちゃ。特にこういうことって、相手の子のお父さん、お母さんに『行ってもいいよ』っていう了解をもらわないと。分かる?」  穂高は頷いた。そうだ、自分にはそれが足りなかった。  花月が気がついて、すぐに「和愛っ!」と叫んだ。少し間が空いて、弱々しい声で「父ちゃん……」と和愛が呟く。  その後で優作が落ち着き、それぞれ救護室に運ばれた。 「申し訳ありません。今隆生さんとお嬢がこっちに向かってます。俺がついていながら本当に申し訳ありませんっ!」  頭を下げっ放しの優作の隣で穂高も頭を下げていた。 「優兄ぃは悪くないです。悪いの、僕です。ごめんなさい、ちゃんと言わなきゃだめだってこと、忘れました。いいって言われてないのに和愛を連れてっちゃいました。本当にごめんなさい」  花も哲平に頭を下げた。 「俺も悪いです。集めたのは俺なのに全体を把握してなかった」 「私も。一番みんなを見るゆとりがあったはずなのに目を離しました」  哲平の膝に抱かれている和愛のそばに座っているのは花月だ。花月は哲平ではなく、和愛に謝った。 「ごめん。和愛を見てなかった。見てればどこに行くのか聞いたし、止めたのに。ごめん」  まだ僅かに震えている和愛を胸に抱き、哲平は激しく震えていた。失ったかもしれない…… それは哲平自身が下した判断だ。穂高に任せればいい、そう決めて口にしたのは自分だ。 「穂高、お前が悪いんじゃない。おじちゃんは分かってるから。和愛、お前もそう思ってるんだろ?」 「うん……みんなに心配かけてごめんなさい。穂高は、やれって言わなかったよ。だめなら戻ろうって。だから穂高は悪くない。私がいけなかったの」  父ちゃんを見上げる。自分より震えている父ちゃんにしっかりと抱きついた。 「ごめんね、父ちゃん。私はもう大丈夫だよ。ごめんね」  哲平は和愛を抱え込み、肩を震わせて泣いていた。  みんな落ち着き始め、救護室のスタッフに礼を言って外に出た。着替えて帰り支度。その最中に花の携帯が鳴る。 『見つかったって!? どこにいるの? もうすぐ区民プール!』 「入ったらホールがあるんだ。ソファがあるからみんなで座って待ってる」 『分かった。私が行くまで動かないで』 「お願いがあるんだ」 『なに?』 「穂高を叩かないでくんないかな、みんなもいるし良くないと思う。穂高、反省してるよ。それはみんなにも伝わってるんだ」 『……考えとく』  池沢夫婦は速足で近づいて来た。双葉は預けてきたのだろう。少し足を引きずるありさより先に、池沢が早くソファまで来た。止るなり頭を下げた。 「みんな。済まん。俺かありさが付き添うべきだったし、まだ穂高を一人で自由にさせるべきじゃなかった。本当に迷惑をかけた」 「座ってよ。一応みんな無事だったんだし」 「結果じゃない、そんなことは問題じゃないんだ」  ありさが追いついて来て夫の隣で頭を下げた。 「申し訳ない。特に哲平。あんたにはキツい思いをさせてしまったね。謝って済むことじゃないと思ってる」  哲平は膝から和愛を下ろさない。けれどさっきよりはずっとマシな状態に戻っている。 「謝って済むって。和愛も花月も優作さんも無事だし、穂高はちゃんと謝ってくれた。もう終わってます」 「それは違う! 無事ならいいってもんじゃ」 「池沢さんっ! 俺にはそれでいいんだ。無事ならいい。それ以上のこと、望んじゃいない。仲違いはイヤだ。そんなのいやだ……」 「哲平……」 「俺、みんなの存在に救われた。誰も手離したくない。このままがいい。関係が壊れるようなことは……いやなんだ。みんな無事で穂高は悪かったって分かってくれた。俺にはそれで充分なんだ」  自分たちの存在が哲平にとってどれほどのものかよく分かった。哲平も誰かが悪かったわけじゃないと分かっている。みんなで楽しい一日を過ごすはずだった。悪い者がいるとしたら自分だ。自分が和愛から目を離したことが一番悪い。そして、自分で飛び込んだ和愛だ。  穂高は和愛に無理を強いなかった。優作は泳げぬまま飛び込んだ。花月は和愛を思うから飛び込んだ。  池沢の父は、親父っさんとイチが病院に付き添った。帰ると言う親子に、花は泊まって行ってくれと頼んだ。 「これで離れたら哲平さんは自分を責める。だからいてくんないですか? ……優作も。今日はわいわい過ごした方がいいって思う。ジェイも頼む」  まだ哲平にはこういう試練は早すぎる。そう花もみんなも思った。父親と二人きり。世の中にはそんな父子はたくさんいるだろう。けれどみんなにとって、宇野父子は特別な存在なのだ。  
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