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準備万端
――ジェイサイドの前夜――
「蓮にも来てんの?」
「ほら、これ」
「おんなじだね!」
「あいつら……」
蓮の声が止まる。コーヒーを淹れていたジェイは蓮を振り向いた。心なしか蓮が震えているように見えて急いでそばに行った。
「どうしたの? お腹でも痛い?」
「ばか、ガキじゃあるまいし……そうか。有難い話だ」
最後の方は呟くような声だ。
「何が?」
「こっちのこと」
「なんでさ! 俺にも関係あるんでしょ?」
「どうせお前はぽよんとしてるから分かんないんだろ? いいよ、そのままで。その方が連中も喜ぶ」
「……気にくわない、そういう謎の言葉。夫婦なのに隠し事? 週末は無しだからね!」
「ずい分厳しいな! でも言わない」
「あっそ! 夕飯作んないから」
「今週はお前が当番だろ」
「2日サボる」
「じゃ、俺は外食する」
「決裂だね!」
「久しぶりの夫婦喧嘩だな」
「俺、今夜は向こうで寝る! チェーンかけるからこの前みたいに寝込みを襲おうとしても無駄だから」
「いいよ、こっちもチェーンかける。寂しくなったって知らないからな」
「俺、携帯も電源切るから!」
というくっだらない痴話喧嘩を楽しんだ夜だった。
――ジェイサイド終了――
◆花音◆
「ジェイくんも浴衣かな!?」
「それは無理だな。今日花火大会だって知らないから」
「じゃ、お電話する!」
花父は慌てた。それじゃ計画がおじゃんになる。
「花音、お誕生日とかクリスマスとか、プレゼントの中身先に聞いたらつまんないでしょ?」
女神、真理恵が花を窮地から救う。
「うん、びりびりっ! て紙を破いてびっくりするのがすき!」
「今日の花火大会はそれとおんなじなの。ジェイくんには内緒でやるんだよ。花音が行くってことも知らないの。きっと花音を見てびっくりするよ。それでも電話する? 花音を見てもびっくりしてくれないけど」
「……しない。夜、びっくりさせてあげる!」
「いつもながらお見事! 俺はだめだ」
「相手が花音だって思わなきゃいいのに」
「そうはいかないよ! 目の前に天使がいるんだぞ」
「天使ねぇ。いつか花くんにとって『小悪魔ちゃん』になると思うけど。今のまま甘やかしてたら、いつかそうなるからね!」
(『小悪魔ちゃん』って……あの花音に限ってそんなこと、あるもんか!)
世の父親族はそう思うものだろう。近々花父は花音に泣かされることになるのだが。
◆穂高◆
池沢家ではありさが陣頭指揮を執っているから昨日から携帯が鳴りっ放しだ。
「今月の携帯代、覚悟しなきゃな」
「あら、統括課長。結婚した時になんて言った? 私が贅沢が好きだって言ったら」
「はいはい、確かに言ったよ、出世するの任せとけって。だからって携帯代を気にしちゃいけないってことは無い」
「今日本番なのよ? 男がみみっちいこと言いなさんな。ほら、さっさと会社に行く!」
愛妻弁当を持たされて、池沢は車に向かった。この愛妻弁当、池沢は何かの罰に思えてしょうがない。拝み倒して、週に2度は外食させてもらっている。
『頼むから白飯にハートをつけるのはやめてくれ!』
『なに? 私への愛情、隆生ちゃんはとっくに枯れてるってこと?』
だからまるでがっついているように、蓋を開けるとすぐに白飯の表面を削るように早く食べる。
『穂高、お前はいいな』
『なにが?』
『給食だからさ』
(大人になったら、椿紗にお弁当にハート描いてもらおう)
穂高のささやかな野望だ。
◆椿紗◆
「椿紗の浴衣姿、きっと一番可愛いだろうな!」
「私は花音ちゃんの方が可愛いだろうって思うけど」
「莉々、事実を真っ直ぐ言うのが好きなのは分かってるけど、親になっている時の発言ではやめてくれないか?」
「ねえ! それって、まぁくんは椿紗のことで嘘ついてるってこと?」
「違うよ! 親だから自分の子が一番可愛く見えて当然だろ?」
「でもねぇ、そういう育て方、どうかと思うのよね。父さん、私のことを『誰よりも一番可愛い!』って言ったけど、茉莉にも『お前が一番可愛い!』って言ってた。それから冷めたのよね、私」
「娘として冷めるのはしょうがないけど、親として冷めるなよ」
「じゃどうするの? 次の赤ちゃんも女の子よ。どっちに『一番』をつけるつもり?」
広岡は難問題を妻に突きつけられて、黙って駐車場に向かった。
(『一番』をどっちに…… 『すごく』と『とても』に分けたらどうだろう?)
広岡も親になると『バカ』がつくらしい。
◆和愛◆
「私、真理おばちゃんと一緒に行けばいいんだよね?」
「迎えに戻る時間が無いんだ。ごめんな」
「いいんだけど。真理おばちゃんの運転、遅いんだもん」
「ああ……なるべく我慢しとけ。あのな、世の中にはハンドル握ると人が変わる人って多いんだ。母ちゃんもそうだったぞ……いや、あれは普段からだったかな……でもすごく優しい時もあったし……可愛い笑顔だったし……でも怒ると怖かった……ハンドル握った時は超怖かった……」
「父ちゃん! 会社行くの忘れたの? もう時間だよ!」
「わ! ごめん、行ってくる! いいか、真理おばちゃんに『速く』って言うなよ! 黙って座っとけ!」
◆花月◆
(和愛のゆかた着てるの、早く見たい!)
浜ちゃんが何か言いたそうに部長のそばに行ったり、ジェイのそばに行ったりしている。そのたびに近くの席から用も無いのに呼ばれてしまう。
(みんな苦労してるな)
蓮の顔に苦笑が浮かぶ。
ジェイはさっきから花に「浜田さん、何かあるのかな? 俺と話したいみたいなんだけど一緒に4階に行ってきていい?」と聞いている。
「今忙しいんだからダメ! 業務3日前倒しって聞いたろ?」
「どうしてだろうね、そんなに仕事押してないと思うんだけど」
「きっと次の案件がデカいんじゃないのか? だから今のうちに片付けろとかさ。部長補佐が言うんだから仕事から離れるな」
「でも休憩くらい……」
「じゃ俺と。浜ちゃんとは、だめ!」
そのそばでチーフの石尾が笑いを隠しているが、肩はヒクヒクと動いていた。
「花課長、大変だよな」
翔が小さな声で言う。
「まったくな。しかもジェイ先輩っていつまでも鈍だし。部長はなんかあるって思ってるみたいだけど、さっきジェイ先輩になんて聞かれたと思う?」
「なんだよ」
「『この封筒置いた人誰か知らないかな。なんの招待か聞きたいんだけど』だってさ」
翔は両手で口を塞いでコピー室に飛び込んだ。そこに中山がいたらしい。突然コピー室から聞こえた中山の大笑いに、オフィスは しん となってしまった。誰かがぼそっと呟く。
「今夜、まさか大雨にならないだろうな」
「なんのご用ですか?」
「座れ。ちょっと話がある」
哲平はドキッとした。仕入れ代金は後日清算となっている。今さら常務に『手を引く』などと言われたら困る。
「悪い話じゃないでしょうね?」
すぐに牽制した。
「なんだ、悪い話が良かったのか?」
大滝がにやりと笑う。哲平は大きく息を吐き出した。
「なんだ、びっくりするじゃないですか! 『今さら裏切んないでよー!』 って、泣くとこでしたよ」
大滝は、哲平とやっていくのも悪くないと思っている。蓮はクールなジョークを飛ばすが、哲平にはどこか人を釣り込むところがある。小学校の成績表を見たらきっと納得するだろう。
『人を丸め込もうとする傾向があります』
「で、なんです?」
「花火大会、9時には終わるんだよな?」
「はい。なにせ子どもがいますからね、遅い時間までは無理なんですよ。パッとやって、パッと解散です」
「まさに『花火』だな。8時55分から10分、私にくれないか?」
「えええ、締めの挨拶ですか? それ、一番嫌われるヤツですよ」
「お前もずい分だな。私からのプレゼントだよ」
「常務から?」
「実はな……」
哲平は半分泣きそうな顔で常務のオフィスを出た。
(そうだよな……俺より部長とつき合い長いんだ、思い入れも強いよな。俺たちとは桁が違う。今度はこの大滝常務の下になるのか。俺、本当に人に恵まれてるよ、千枝)
参加者にもいろんな人が来る。きっとリストを見たら部長もジェイもびっくりすることだろう。哲平はその顔を見るのが今から楽しみだった。
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