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運動会-2 (副題:いろいろ楽しい!)
花が一番腹が立ったのは全く違う相手にだった。
「お前、苦労してきたんだなぁ…… あの親じゃ大変だっただろ、お前がこんな風になっちゃうのも無理な……い、いたい、いたいって、花、放せって!」
「このビッグマウスにゴチャゴチャ言われたくない! 俺の親の話を会社で欠片でも聞いたらただじゃおかないからね! 顔見る度にぶん投げてやる!」
「言わないって、いて、言わないから、はなせ、いてて、誰か助けて」
その場にいるほとんどが触らぬ神に祟りなしと言う顔だ。
「花さん、まだ喋ってもいないのに酷すぎるよ。浜田さんの頬っぺた、真っ赤だよ!」
「このぐらいしとかないと言うだろ、この人!」
それでもジェイと真理恵が取り成し、宥めて、やっと浜田は解放された。
「済まなかったね。私たちのせいだね、その頬は。申し訳ない」
真っ赤に頬を腫らした浜田にきちんと謝罪するのを見て(変だけど悪い人じゃない)と、浜田は認識を改めた。
(花よりずっと平和的だ……その遺伝子、どこ行っちゃったんだろ?)
多少なりとも危機感を覚えた宗田両親は大家さんの高橋夫妻の横に座った。穏やかな高橋さんは宗田両親と上手く行くらしい。
「マリエ、茅平のお母さん、まだかな」
「11時ごろになるって言ってたから。もうちょっと待っててあげて」
時恵は昨日入院した友人を見舞ってからここに来る。花にとって宗田両親を最も安心して任せられる神のような人だ。
気が付くとジェイがまさなりさんのそばで笑っている。
(あそこも気が合うのか……やっぱり世離れしてないとだめか?)
高橋さんにはその香りがほんの少しある。
(金持ちってあんな感じなのかな?)
他人事のように考える花。住む世界が違うのだと思っている。
「ねぇ、花月大丈夫だと思う?」
真理恵の声に、一瞬で親に戻った。そうだった、花月は転んだのだ。
「どうだろう、見た目たいしたことないように感じたけど。マリエ、そばに行ったんだろ?」
「だって、まさなりさんと夢さんで手いっぱいだったよ」
「花月、痛いでしょ?」
「大丈夫だよ、男だし」
膝からは結構血が出ている。保健の先生が傷に入り込んだ砂を除きながら簡単にガーゼを貼ってくれた。
「しっかり貼っちゃうとかえって傷に良くないから。時々消毒しようね」
本当はすごく痛い。動きが素早いから今まであまり転んだことが無い。花月にとっては初めての経験と言っていい。膝が痛くてびっこを引きたいのを、和愛がいるから懸命に普通に歩いた。
「どうするの? リレー、花月最後でしょ? 先生に言った方がいいよ」
それこそ花月が恐れていることだ。転んでアンカーを務められず、座って見ているだけ……
「僕が一番早く走れるんだから頑張るよ。心配すんなって」
花月は上手く誤魔化しているつもりだ。けれど不自然な歩き方に、和愛はひどく心配をしていた。
「花音も早かったな! 和愛も早かったし、花月以外は1着か」
「野瀬さん、花月は事故だからね!」
「分かってるって、お前に似て早いって言うんだろ?」
「あれは本物だよ、花。いい走り方だ」
蓮が熱っぽい目で言う。高校でも大学でも蓮は陸上部の部長を務めた。久しぶりにそんな血が騒ぐ。
「私が面倒見ましょうか?」
木下さんだ。花にしてみれば、譲が勝ったことで調子に乗っているように見えて仕方ない。
「いえ、大丈夫です。預ける相手、いるんで。河野さん、花月のことよろしく」
「いいのか?」
「もちろん!」
花月のいないところであれこれ話が進んでいく。
「花、花月は絵も描いてみたいと言ってたよ」
「ピアノも弾きたいって」
「いつそんな話したの?」
まさなりさんとゆめさんの話に真理恵もびっくりだ。
「花音じゃなくて、花月なの?」
「フェアリーはどうやら現実指向のようだね。どちらかと言うと君たちに似ているよ。でもベビーは私たちによく似ている」
「花月はベビーじゃない! それに男の子だ」
(おいおい、花、そんな怖い顔すんなよ)
ここで親子げんかになっては困ると、哲平は口を出した。
「小さい頃はたくさんの可能性があるからな。やりたいことは何でもやらせた方がいいぞ、花」
「……本人がしたいなら」
納得は出来ないけれど確かに我が子の持つ世界に必要以上に立ち入ることはしたくない。ただ、その『我が子』の対象が花月だけになっていることには気が付いていない。
「今度はなんだ?」
澤田がプログラムを覗き込む。
「ピンポン玉リレーだね。楽しそう! 俺の時そういうのあったのかなぁ」
ジェイはほとんど覚えていない。運動会と言うと覚えているのは冷えたお握りと玉子焼き、ほうれん草のお浸し、漬物、つくだ煮の入ったお弁当だ。
「母さん……どうして運動会に来なかったんだっけ」
これは独り言だ。覚えていない、学校行事に母が来たことがあったかどうか。蓮がジェイの手にハンカチを滑り込ませた。知らぬうちに涙で視界が揺らいでいる。
独り言。けれどそれはみんなの耳に届いていた。
「ジェイ! 今度さ、R&Dで運動会やるってのどうかな!」
「運動会を?」
「いいね、それ! ホントにごくたまに浜田っていいこと言うよな!」
野瀬が乗っかった。
「ホントに? ホントに運動会、やる!?」
「部長次第だけどな」
哲平がにやにや笑いながら蓮を見る。
「……考えとく」
「やった!」
澤田が歓声を上げた。
大人になると旅行はあっても運動会のような体を動かすことはなくなる。筋肉自慢や脚力自慢をしたくても、デスクワークでそれを披露することなどない。またもや新しいイベントがありそうだ。
「そう言えばさ、常務が言ってたよ」
花火大会の後、礼を言いに行った哲平に大滝が提案したのだ。
『正月には餅つき大会でもやるか? あれは縁起もいいし華やかだしな、会社の1階ホールでやるってのもいいぞ』
「お餅つくの!?」
「ジェイ、会社にいる間に楽しいこと全部やっとけ」
花がぽつんと呟いた。
「うん……そうしたい」
ピンポン玉のリレーに花月は出ていなかった。転んだばかりだからと、保健の先生が参加させなかったのだ。結構傷が広い。
この競技は男女の差がはっきり出た。和愛は上手く運んで男の子のお玉に入れたが男の子は次の男の子のお玉に入れる時に落としてしまった。
花音も似たようなものだ。
「これはしょうがないね、個人競技じゃないんだから」
そう言って蓮の顔を見ると楽しそうな顔でグランドを眺めている。
(蓮……本当に子どものこと、諦めてるの? 本当は欲しいんでしょ?)
ジェイの心にまた不安の雲が広がっていく。
午前中の1年生の競技は玉入れだけ。応援合戦もあるが、それは学校全体で6年生を中心にやる。競技とは言えない。
――後日談――
この応援合戦。花月は6年生で応援団長になる。
騎馬戦では花月は1騎だけ中央に残り、周りを取り囲まれ、それでも押し寄せる敵の赤い帽子を次々に取った。最後に土台の騎馬が崩れて負けることになるが、取った帽子の数は一番多かった。
和愛と花音は、組体操で一番上で愛らしいポーズを決める。でもそれも未来のこと。
――後日談終了――
玉入れは午前中の低学年の競技で一番盛り上がった。先生が背負ったカゴを目がけて玉を投げ入れる。先生はあちこち駆けまわるのだが、途中で男の先生が子どもを避けようとしてつんのめってしまい、カゴの中身を空にしてしまった。いったんそこでやり直し。最初は白組、つまり花月と和愛の側が勝っていたのだが、仕切り直してからは圧倒的に赤組が優位に立った。
「24、25、26、27、」
そこで白組の玉が尽きる。
「28、29、30、31! 赤組の勝ちです!」
悔しそうな花月と譲の顔が見えた。今日はわだかまりなく、協力し合っているようだ。
最近の譲は落ち着いている。木下さん夫婦は互いを見つめ直すことにしたのだと、競技の合間に真理恵に語った。
「夜ね、譲が起きてくるんですよ。お父さんは本当にいる? お母さんもいる? って。あんな思いをさせていたのかと…… 親なのにそんなことにも気づかなかったです」
後悔もあるけれど、木下さんご主人の声には違う力強さも感じた。
午前中の父兄の出番は無い。午後に綱引きと障害物競争が待っている。1年生は借り物競争と障害物競争、リレーがある。
お弁当の時間。子どもたちは大騒ぎで駆けっこや玉入れのことを喋っている。
「宗田、お前足、大丈夫なの?」
譲がお父さんの買ったお握りを頬張りながら聞いている。手元の紙皿には真理恵が取ってあげた鶏の照り焼きや煮物なんかが載っている。
木下さんも高橋さんも宗田両親も、そしてやっと来た時恵もお昼を堪能していた。
「足? とっくに治ったよ」
「リレー、最後俺走ってもいいけど」
「だいじょぶだって!」
頑強に言う花月を心配そうに見る和愛。
(和愛、お前花月の心配し過ぎ。いくら大らかな父ちゃんでもヤキモチ妬くぞ)
いささか哲平も穏やかならぬ心中だ。戻ってきて一度も和愛が哲平のそばに来ない。花月のそばから離れない。
「花音! こっちに来て食べなさい!」
相変わらずの花父に花音は舌を出してジェイの隣にくっついた。
「花音ちゃん、今日はお父さんのお隣にいて。良くないよ、学校の行事はお父さんやお母さんと一緒にいないと」
いつになく真剣に言うジェイに、花音は大人しく従った。
(ジェイ……今はお前の周りにはこんなに人がいるんだ。寂しい顔するな)
蓮の心が伝わったのかジェイが振り向いて、少し目が赤い、けれど優しい笑顔を向けた。
(俺、大丈夫だから)
そんな言葉が聞こえそうだ。
「真理恵ちゃん、とても美味しいよ!」
宗田父が真理恵を褒める。他の面々が大人しいのは、黙々と食べているからだ。
「違うんです。今日は全部河野さんに作ってもらっちゃいました」
時恵と高橋さんが驚いた声を上げた。
「すごい! 部長さんってなんでも出来るんですね!」
日頃時恵は蓮の話をいろいろと聞いている。お嫁さんをもらわないのが不思議だったが、これでは無理もないと思ってしまう。
「お一人なんですって? いいお嬢さんを何人か知っていますよ。良かったらご紹介しますが」
高橋さんご主人がそんなことを言い出す。
「いえ、私は……」
「だめなんです!」
思わず出たジェイの言葉に野瀬、澤田、浜田が顔を上げた。
「いや、会社を次の春に辞めるもんですから。しばらくのんびりするんですよ。女性とおつき合いするような状態ではないので」
ジェイが余計なことを言う前に蓮が説明をする。
「そうですか…… じゃ、落ち着かれてそんな気持ちになったら是非ご連絡ください。年を取るとそんな世話を焼きたくなってしまうもんなんです」
「気にかけてくださってありがとうございます」
こんなやり取りは日常的にありふれているものだが、その場にいる何人かにはドキドキするような内容だ。いつジェイが立ち上がって抗議し始めるかと気が気じゃない。
「午後は何から始まるのかな?」
話を逸らしたい蓮が花音に聞く。
「借り物競争だよ。茅平のお祖母ちゃん、書いてあるの大きな声で読むから、持っている物だったら手を振ってね」
「いいわよ、花音ちゃん。立って手を振るからね。ここにいるみんなもきっと協力してくれるから」
みんなが花音に頷いた。
「和愛も助けてくれるでしょう?」
「もちろんよ、花月。花月も困ったらこっちにおいで」
「はい、お母さん」
「譲くんもおいで。持ってるものなら貸してあげる」
譲がジェイを見てにっこりと笑って頷いた。どうやら譲にとってジェイは特別な存在らしい。
ソーメンは大好評だった。
「これは……」
木下さん夫妻も舌鼓を打っている。
「まさか運動会でソーメンを食べられるなんてね!」
高橋さんの奥さんも満足そうだ。
「いい腕をお持ちですね。とてもIT企業の部長さんとは思えない」
不動産の会社に勤める高橋さんだ。不思議なことに、たった数時間の内に木下親子はこのファミリーの一員になりつつあった。友だちが少なかった譲はずっと楽しそうで、それを見ているジェイも嬉しそうだ。
(そうだよ、譲くん。一人でいちゃだめだ。いろんな人とお話するんだよ)
澤田が譲をからかっている。浜田は余計な口出しばかりして周りから怒られる。いつの間にか譲はこの中に溶け込んでいた。
お腹いっぱいになった子どもたちは整列して借り物競争の準備に入った。子どもたちばかりじゃない、新米の親たちもドキドキして何を探すことになるのか固唾をのんでいる。
競技用のピストルが鳴って、一斉に机に置かれているメモを目がけて子どもたちが走り出した。
「かさ! かさ持ってる人、かしてください!」
「みどり色のクツ、ありませんか!?」
「青いTシャツの女の人……」
「三つ編みの人」
子どもたちは一生懸命探している。日傘を借りたり、スニーカーを借りたり。
そんな様子を蓮は楽し気に眺めていた。女の子がその前に走って来た。いきなり手を掴まれる。
「背の、たかいひと、おねがいします!」
息が切れている。突然のことに何も出来ずにいると浜田が叫んだ。
「行ってあげてよ、河野さん! ほら、早く!」
立ち上がると女の子に引っ張られるままに走り出した。途中で転びそうになったその子を抱っこして、蓮はゴール目指した。
(蓮、カッコいい!)
ジェイの目には他に何も見えていない。
「のせたん!」
息せき切って来たのは花月だ。
「ペンダント! 貸して!」
「そんなもん、持ってな」
「お願い! 負けたくない!」
澤田たちの目が光る中、仕方なさそうにシャツのボタンを外してロケットを花月に渡した。
「絶っ……対に返せよ!」
「うん!」
和愛が泣きそうな顔であちこちを見ているから哲平が立ち上がった。
「和愛! 探してるのはなんだ!」
「父ちゃん! 帽子被ってる人、見つからないの!」
後ろを振り向いた哲平は高橋さんのご主人に頭を下げた。
「お願いします! 和愛を助けてやってください!」
「だが、こんな年寄りじゃ」
「関係無いですよ! お願いします!」
立ち上がった高橋さんを見て和愛が走って来た。
「和愛ちゃん、おじいちゃんは走れないよ」
「いいです。手を繋ぐから歩いてね」
高橋さんはこんな形で参加できたことが嬉しいらしくて、奥さんに手を振って中央に歩いていった。
花音は赤いリボンをした女性を、譲は鏡を借りてゴールに走った。
1位は3組の女の子だ。抱いた蓮の足が速かった。先生たちが協議の上、1位を認めてくれた。2位は1組の男子。全体的に赤組が優勢で、花月は5位。花音が11位。譲は17位で、和愛は47位。
戻ってきた高橋さんは申し訳なさそうな顔をした。
「悪かったね、哲平さん。私が腰を傷めてるから和愛ちゃんはゆっくり歩いてくれたんだよ」
「こちらこそ! すみません、無理言いました」
「とんでもない! 久しぶりに子どもたちに囲まれて……運動会に参加できるなんて思ってもいませんでしたよ」
少し上気した顔はまるで若返ったようにも見えた。
花月に返されたロケットを野瀬は急いでシャツの中にしまった。
「それ、誰の写真が入ってるの?」
一番聞かれたくない相手、浜田が覗き込もうとするのを野瀬の手が押しやる。
「きれいな女の人だったよ! のせたん、カッコよかった!」
「見たのか、花月!」
怒鳴って慌てて口を塞いだがもう遅い。一日中、うるさく浜田と澤田につきまとわれることになる。
「野瀬、結婚予定か? 早めに言えよ」
蓮の言葉に、野瀬は否定はしなかった。
いよいよ、綱引きだ。赤対白。哲平と花の対決だ。とは言ってももちろん他に参加者がたくさんいる。子どもたちの声援を受けて、決戦が始まる。
哲平はパッと作戦を立てて白組に伝えた。
「力自慢の人、体重のあるどっしりした人は後ろへ! 力こぶのある人は先頭に! 他の皆さんは隙間を空けずに綱を掴んでください!」
哲平はそれほど体は大きく無いが、力はかなりある方だ。自ら後方へ下がる。
「いいですか! せぇの! せぇの! このリズムで腰を深く落として引きますよ!」
声がデカい。統率力は日頃の培った賜物だ。
一方、花はヤキモキするが、声では勝てない。図太そうな男性を焚きつけてリーダーシップを取らせたが、そこは哲平に敵う訳もない。その場限りとはいえ、チームとして形の出来た白組の前で、2回戦とも赤組は負けてしまった。
戻って来た花は不満たらたら哲平に文句を言う。
「汚いよ、哲平さん! あっという間にボスになっちゃってさ」
「真剣勝負だ、愚痴るな。和愛のためなら俺は手を抜かないんだ」
子どもたちの障害物競走と子どもたちのリレーに挟まれる父兄の障害物競走。これは、先生たちの胸にも残るドラマチックな展開となった。
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