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運動会-4 (副題:宝)
ついに入場。派手に音楽が鳴る。
「みなさん、お父さんやお母さん、頑張ってくれる大人の人たちに大きな拍手をしましょう!」
放送部の女の子が声を張り上げる。あちこちの1、2年生が自分の家族に呼びかける。障害物競走は年齢層からいって、低学年の保護者のみの参加となっている。3年生以上の保護者は借り物競争など、他の競技をすでにやっていた。
いよいよ始まる。スターターピストルが鳴った!
赤、白、共に3人ずつ走って行く。すでに平均台で落ちる人がいる。前転はお腹の出た大人にはキツいらしい。
キャタピラーはさっき見たよりも難しいようで、進みたい方向に進めない。下手をすると段ボールからはみ出しかねない。
逆走ではいいとこを見せようと少し走った男性はすぐに歩きに変更した。後ろを見ながら歩いても、結構足元が怪しい。
みんな互いの順位など気にするゆとりがない。自分のノルマをこなすのに必死だ。網の中で落としたメガネを探す人もいる。競争よりもちろんメガネが大事だ。
跳び箱はやはり飛べない人がほとんどで、後に続く大人たちはそれを見てほっとしている。
たすきを次の人に渡し終えた人たちはみんなその場に座り込んだり寝転がったり。けれどどの顔もやる前とは違っていい顔をしていた。
「やった! 木下さん、いいぞっ!」
哲平にたすきを渡す木下さんは後ろをかなり引き離していた。赤も白も複数人数で走ってくるが、アンカーは一番早く着いた人のたすきを受け取ることになっている。
6メートルほどの差をつけて哲平はたすきを体に掛けながら飛び出した。
「しーろっ! しーろっ!」
学年関係無く応援の叫びが届く。
「チクショウッ!」
歯噛みする花にも遅れてたすきが届いた。
「たのむっ」
「了解っ!」
花がR&D流に返事を返して哲平を追った。
先に平均台を下りた哲平はあっさり前転してキャタピラーに潜り込んだ。
(わくわくするっ! おんもしれぇっ!)
すっかり童心に返った哲平はただ楽しんでいた。
だがそこに大きな歓声が起きる。段ボールに入っている哲平には何が起きているのか分からない。
花は平均台をまるで地面の上のように走った。下りると言うよりマットに頭から飛び込んで止まることなく前転。流れるように立ち上がって素早くキャタピラーへ。
ここまで一気に来た花に子どもたちが総立ちになる。
「カッコいい!!」
「花音ちゃんのお父さんだよね!」
「花月、お前の父さん、すげぇな!」
しかし段ボールで花は手間取った。哲平は力技で段ボールの好き勝手な動きを封じ込んで真っ直ぐ進む。どちらもすごい勢いで、みんなは手に汗を握っている。段ボールから先に出た哲平がラインから逆走を始めた。走りはせず、手堅く速足だ。それにすぐ追いついた花。
「お先ーー」
足取り軽く後ろ向きのまま走っていくのを見て哲平が悔しがった。
「くそっ、無駄に動きがいいんだ、あいつは!」
哲平が抜かれたことで白組は騒ぎ、花が哲平を抜いたことで赤組が騒ぐ。
「父ちゃん!」
和愛の声はもちろん哲平には届かない。けれどまるで届いたかのように残りの2メートルほどは後ろ向きのまま走って、網の中に飛び込んだ。
前方を行く花を追う。砂が舞い、むせるのを物ともせず哲平が突き進む。二人とも砂だらけで網の中で抜きつ抜かれつ。
大声援の中、僅かに先んじた花が見事に跳び箱に跳ね上がる。一瞬静まり返り、跳び箱からはるか上の見事な跳躍の高さに一斉に驚きの声が上がった。
ここで花に不運が起きた。花自身が思っていたより跳躍が高過ぎたのだ。
「あうっ!!」
空中でバランスを崩した花は向こう側に不自然な形で落ちてしまった。
「花っ!」
夢さんが飛び出そうとするのを真理恵と時恵が掴んだ。けれどまさなりさんは掴まえそこなった。
「マイボーイっ!!」
突然走り込んできたロマンスグレーの美しい男性に、会場が混乱する。動かない花を見て、まさなりさんが叫ぶ。
「花っ、マイボーイ!」
「来るな、って…… だいじょ、ぶ、席に、もどって!」
切れ切れでも凛とした花の声にまさなりさんはそこで立ち止まった。
ドンっ! と、重い音を立てて花の近くにずっしりとした足音が響いた。
「花っ!」
「ちぇ…… 負けた! てっぺぇさん、ゆずるよ、勝ち……」
「立てないのか!?」
「だめ。行って」
「そんなわけ行くか!」
躊躇わず哲平は花の左脇に腕を滑り込ませた。
「ばか! なに、やってんのさ、これ、競争だよ?」
「うるさい! こんなんで勝って誰が嬉しいんだよっ!」
初めは白組の子どもたちから抗議の声が上がった。
「白の勝ちなのに!」
けれど哲平は真っ直ぐ前を見て花を担いで歩いていく。走れない花の足はやっと地面をついて、ほとんど歩けずにいる。和愛が飛び出してきた。
「父ちゃん、頑張れ! 父ちゃん、頑張れ!」
花月も飛び出した。
「お父さん! 哲平おじちゃん! お父さん!」
花音が泣きながら走ってくる。
「もう、おわりにして、お父さん、いいよ、もう動かないで」
「和愛! 俺は花を担いで行く。それでいいな?」
「うん! うん、父ちゃん! それでいいよ!」
「ランナーを触ったんだ、失格だぞ」
「いいよ! そんなのどうだっていいよ!」
「てっぺいさん……」
「黙ってろ! 上司命令だ!」
「むちゃくちゃ、言って…… 哲平さん、担ぎ直して。俺も少しでも歩く」
「大丈夫なのか?」
「ただ担がれてたんじゃ、みっともないからね。俺にも意地、あるよ」
哲平が立ち止まり、花は哲平の肩にしっかり腕を回した。
「後半分だ、頑張れ!」
譲が走ってくる。それをきっかけに1組の子どもたちが教師の制止も聞かずに二人の周りで「がんばれ、がんばれ!」と一緒に歩き出した。まるで感染したかのように3組が、2組が。そして2年生も哲平と花の周りを一緒に歩く。
とうとう上級生たちが動き出した。誰からともなく、応援合戦の声が響き渡る。
「赤、赤、がんばれ! 白、白、がんばれ!」
まさなりさんと共にジェイも歩いた。いつでも花を引き受けられるようにと、のせたんも、さわじゅんも、はまも来る。本人たちにはまるで分かっていないが、子どもたちはみんなが泣いていた。
「あと少しだよ!」
「もうちょっとだから!」
杉原先生と3組の吉田先生が白いテープを持って走って来た。
ゴールが目の前にある。その向こうに先生たちが並んだ。そして、哲平と花はゴールのテープを並んで切った。二人が抱き合って肩を叩き合う。哲平も花も晴れ晴れとした顔だ。
「勝負、来年だね」
「ああ、決着つけようぜ」
その言葉が子どもたちに浸透していく。
「来年だ!」
「来年もがんばってね!」
「もう一回だよ!」
そんな声が飛び交う。
「みんな! 約束だ、来年も頑張るぞ! 次があるっていいもんだな!」
父兄による障害物競争は、引き分けに終わった。本来なら失格となるランナーを触る行為を咎めるのは、この空気の中では野暮と言うものだろう。
放送部員に変わって、校長がマイクを取った。
「素晴らしい障害物競争でした! みなさん、もう一度拍手を!!」
哲平に変わってのせたんや、さわじゅんが席まで花を担いだ。その途中でまさなりさんが追い縋る。
「代わってもらってもいいかな?」
花が止まった。のせたんの肩から離れて、まさなりさんに手を伸ばす。
「父さん。連れてってくれる?」
「もちろんだとも、マイボーイ」
さわじゅんに替わってもう片方はジェイが担いだ。
「兄さん」
「ジェイ?」
「俺の兄さんだ。哲平さんも。俺の二人の兄さん、すごくカッコ良かったよ!」
病院へ、という周りの声を断って花は花月のリレーを見終るまで動かなかった。ソーメンを冷やすために持って来たクーラーボックスの中は、氷が解けて冷たいままだ。それでタオルを濡らして花の足首に巻きつけてやった。
「花、これは折れてるかもしれんぞ」
見事に腫れあがっている。蓮の気遣う声に花は参った! という顔をした。
「そうかも。でも仕事は休まないからね」
花月は必死に走った。転んだ時の膝が痛い。足を上げるのが途中から辛くなっている。でもお父さんが見ている。
(痛い……でも負けない! お父さんだって頑張ったんだ!)
30メートルリレーだが、アンカーは50メートル。3番目に走った譲のお蔭で花月はトップを走っている。これを負けるわけにはいかない。
コースに出てはいけないから、その外側で和愛と譲が叫ぶ。
「花月、がんばって!」
「宗田! 負けるな!」
(がんばる! あとちょっと、あの白いのを僕も切るんだ!)
もうみんな花月がケガをしていることを知っている。けれど大きな期待がある。だってあのお父さんの息子なんだから。
走ってくる足音を後ろに聞きながら、花月はテープを切った。リレーは赤組が勝った。
6年生のリレーは見応えがあった。みんなさっきの障害物競走で興奮状態が続いている。白熱した競り合いに、学校中が湧いた。みんな、活き活きと今日を生きている。
総合優勝は白組となった。悔しいと言うより、精いっぱいやりつくしたという顔が多かった。
校長先生の挨拶を花と哲平は聞いていない。蓮の運転でジェイと共に病院に向かったからだ。
「今日はとてもいい運動会になりました! みんな、授業よりもっといい勉強をしましたね。競い合うということ。助け合い、支え合うということ。大人の人が体で語る生き様を認めること。低学年のみんなにはまだ難しいことだと思います。ですが、高学年のみんなには分かるね? 君たちには今日という日が宝になると思います。どうか忘れないでください!」
花音も花月も和愛も、あの父たちの姿をしっかりと心に焼き付けた。
(僕も忘れないよ。お父さんも哲平おじちゃんも、どっちも凄かったよ!)
「宗田、勝ってくれてありがとう」
譲だ。いい笑顔をしていた。
「俺、お前と仲良しになりたい。今度遊びに行ってもいい?」
花月も笑顔になった。
「うん! じゃ、今までのこと仲直り!」
未来の哲平と花がここに誕生する。花月は妻和愛、親友となる譲と共に緑化運動に心血を注いで尽力することになる。
「どうだった!?」
みんなと一緒に家に戻った真理恵は夕食を作って花たちの帰りを待っていた。
「折れてるって」
「ゆめさんっ!」
卒倒しそうになるゆめさんをまさなりさんが支えた。時恵さんが手伝ってゆめさんを座らせる。
「しっかりなさい! 折れてるって言ったってもう花ちゃんは大人なのよ」
「お義母さん、『花ちゃん』って言わないでよ、説得力無くなっちゃうよ」
「しまった!」
周りから笑い声が漏れる。
「今日は大変な騒ぎだったな。花、明日は無理しなくてもいいぞ」
「冗談でしょ! こいつに休まれたら俺が困ります!」
本人ではなく哲平からの抗議の声に蓮は苦笑した。
「いいけどな。お前たちに任せるよ。ただ無理はして欲しくない。そこは真理恵さんの言うことをちゃんと聞くんだ」
その言葉に真理恵が大きく頷く。
まだ9時にもなっていなかったがよほど疲れたのだろう。子どもたちは夕飯を食べると早々に眠ってしまった。今夜は哲平も宗田家に泊まる。どうせ花を車に乗せて会社に行くのだから。
「ゆっくり休め。真理恵さん、こいつが無茶しないように頼むよ」
「はい。会社では部長さんが頼りなのでお願いします」
「引き受けた。当分哲平が転がり込むだろうけど、こき使ってやれ。子どもたちによろしくな」
「はい。今日はありがとうございました。お弁当、美味しかったです!」
真理恵はもう一言言いそうになって口を閉じた。
(ぶちょーさんが決めることだもん、いつ言うかって。余計なこと言わないようにしなくっちゃ)
蓮が『バカ』と言った3人組も、洗い物を全部してから帰った。『マイボーイが心配だからどうしても泊まる』というまさなりさんをしっかりと連れ帰ったのは時枝。その代わりゆめさんが泊まることになった。どう役に立つのかは分からないが。
子どもたちは明日は休校だ。木下夫妻は帰ったが、譲は泊って今は子ども部屋でみんなと一緒に眠っている。
「花くん」
「うん?」
「私ね、幸せなの。何もかも最高よ。とっても幸せ! きっとね、子どもたちも幸せだと思ってる」
「俺もだよ、マリエ。考えてみるとさ、イヤだとしか思ってなかった過去って、今ここに繋がってるんだよな。いいことじゃなかったけど今は幸せだ。そのことが大事なんだって思ってるよ」
「そうだね」
自分たちにはいったい何人のソウルメイトがいるのだろう。片手では足りない。両手でも足りないだろう。かけがえのない人たち。それこそが宝だ。
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