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お誕生日／前編
『お誕生日、好きな物を買ってあげるよ」
親として一番言ってはならない言葉を口にした花。花月は『曾お祖父ちゃんの能が見たい』と言い出した。
「欲しいものとか無いのか？」
花は不思議でならない。能を見ることがプレゼントになるだろうか？
「もう一回見たいんだ、どうしても」
きらきらと輝く瞳は本当にそれを望んでいるのだと花父に告げている。
「マリエ、どう思う？」
「好きな物を買うって言ったのに、それよりも観たいってことでしょ？ いいんじゃないかな、花月が納得してるんだし」
「じゃ、それとは別に何かを買って」
「だめ！ それはダメだよ、花くん。クリスマスも近いでしょ？ 私、思ってることがあるの。誕生日のやり方を変えない？」
「やり方？ ケーキとか？」
「それはやろうよ、ちゃんとした誕生日にしてあげたい。でもプレゼントを考え直したいの。クリスマスが近いんだから好きな物や楽しいものはその日にあげればいいじゃない？ でも誕生日には意味のあるものを渡したいよ」
意味のあるもの。花は自分の誕生日を思い返す。小さい頃はとにかくバカでかいケーキが出てきた。ほとんどが四角い形で色鮮やかだった。超愛は食用色素でケーキに絵を描いたのだ。よくある食用色素ではなく、天然成分のもの。
『人工のものは怖いからね、石油やタールが原料だったりするんだ』
そんなことを聞いたような気がする。ほぼ忠実に描かれた自分の笑顔を食べるのに大きな抵抗があったことも覚えている。あれに意味はあっただろうか。
「どんなものを考えてるんだ？」
「例えば本。ジグソーパズルとか組み立てるものだったり博物館に連れて行ったり」
「それがプレゼントなの？」
「ちゃんと身になるものにしたいの。お誕生日だもの、騒いで終わりにしたくない。それならクリスマスで充分だよ」
その考え方に花は納得出来た。子どもたちの記念日だ、親として真剣に考えたものを贈りたい。
「分かった。来年からはそうしよう。でも今年は自由にしてやろうよ」
問題は花月を田舎にどうやって連れて行くかということだ。残念ながら風花がおたふく風邪に罹ってしまったから真理恵は出かけることが出来ない。花がついていくとなると、花音をどうするかという問題が生まれる。
花音は案の定「そんなの見たくない、行きたくない！」と言った。離れることを好まない二人だが、今回はそうは行かないらしい。
「だって私のしたいことじゃないもん！」
確かに言うことは尤もだ。珍しく花は父の超愛に相談してみた。
「任せなさい、花。私がパードレとママンのところに連れて行くよ」
「父さん、花月の前では『曾お祖父ちゃん』『曾お祖母ちゃん』って言ってくんないかな。前から不思議なんだけど、どうしてイタリア語の『パードレ』とフランス語の『ママン』を使うのさ」
「美しい言葉だからだよ、マイボーイ」
「祖父ちゃんと祖母ちゃんがそれを受け入れてんのもよく分かんない」
けれどその『祖父ちゃん祖母ちゃん』は花月の望むものを聞いて大喜びだ。祖父ちゃんは早速稽古に励んでいると言う。
「花音はどうしたいんだ？ 金曜の夕方には花月はお泊りに出かけるよ。帰ってくるのは日曜のお昼ごろだ。花音はお父さんとどこに出かける？」
そして出たのが、花音の爆弾発言だった。
「お父さん、花月にはしたいことをさせてあげるんだよね？」
その前置きから入った。
「誕生日だからね。危ないことや悪いことじゃなければいいよ。花音は何をしたいんだ？」
「ジェイくんのお家にお泊りしたい！」
衝撃的な発言に、花の頭が沸騰した。
花父がまともに喋れなくなったから真理恵が花音を引き受けた。
「花音、それはだめよ」
「どうして？ 花月は曾お祖父ちゃんのところでたくさんお泊りするでしょう？」
「それは曾お祖父ちゃんのところだからいいの。ジェイくんは家族とは違うのよ」
「家族だよ！ 運動会の時からジェイくんはお父さんのことを『兄さん』って呼んでるもん」
そうなのだ、あれ以来ジェイは花と哲平のことを時たま『兄さん』と呼ぶようになった。始めはくすぐったくて『やめろよ』と照れていた二人だったが、今ではジェイの呼びたいようにさせている。
「でもね、お父さんの本当の兄弟じゃないのは分かってるよね？」
「ずるい！ 花月は行きたいところに行ってお泊りするのに、どうして花音はだめなの!?」
「花くん、話があるんだけど」
「いやだ」
「まだ何も言ってないでしょ？」
「聞きたくない」
「花月だけってわけには行かないの分かってるでしょ？」
「分かりたくない」
花は今布団に潜り込んでいる。頭からすっぽりと被っているが、足先はその分掛布団からはみ出している。真理恵はちょっとその足の裏をくすぐってみた。
「や、やめろ！ マリ、エ、やめろ、って！」
真理恵の力で足首を掴まれては花も逃げることが出来ない。仕方ないから胡坐をかいて座った。
「なんだよ！」
「ね、お泊りは私もどうかと思うの。だから花くんが連れてったらどうかな？ 土曜のお昼前に遊びに行って夕方帰って来る」
「……その様子だと花音に負けたんだな？」
「じゃ、花くんが花音と話せばいいでしょ！ 私はお泊りはだめって納得させたからね！ 花月だけ好きなことさせるんじゃ花音が駄々をこねるの、無理ないと思うよ」
もう一度布団を被ろうとした花は、真理恵に取り上げられてしまった。
「もう！ 父親でしょ！ 花くんが駄々をこねないで！」
追い出された花は花音の前に座った。口を開いた父を見て、花音が泣き始めた。
「お父さん、だめって言うんでしょ？ お母さんとお泊りはしないって約束したのに、お父さんは行くのもだめって言うんでしょ？」
こうなると花は何も言えなくなってしまう。とうとう腹を括った。
「じゃ、こうしよう。花音はぶちょーさんも好きだよな？」
「うん、好き」
「ジェイくんのお隣のお隣のお隣がぶちょーさんの家だ。ぶちょーさんがお料理上手なの、花音も知ってるだろう？」
「うん」
「ぶちょーさんがね、花音のお誕生日にお料理を作ってくれるって。……ケーキも作ってくれるって、ジェイと一緒に」
「本当!?」
「花音のお誕生日会をジェイの家で、お父さんとぶちょーさんとジェイでやろう。それならいいよ」
「分かった！ 行く！ ジェイくんがケーキ作ってくれるんだよね？」
「そうだよ、花音」
この誕生日祝いがジェイに不幸を呼ぶことになる。けれど花がそれを知るわけが無い。
『ケーキだって？』
さすがのぶちょーも降って湧いた話に、電話の向こうで素っ頓狂な声を上げた。
『おい、それ確定事項で言ってるんだよな？』
「はい……すみません。花音にそう言っちゃいました」
『すみませんって…… 会社で言えよ、そんなこと。これから買い物じゃこっちだって困るぞ』
「え、だめじゃないの？」
『だって花音と約束したんだろ？ 約束は破るんじゃない』
「ぶちょー……」
『泣くな！ ジェイじゃあるまいし。明日の昼だな？』
「はい」
『ケーキだけじゃだめだろ？』
「……はい」
『和愛はどうするんだ？』
「哲平さんが出張だから本家の方で面倒見てます」
『じゃ花音だけなんだな？』
「はい」
『分かった』
（今、分かったって言った？）
「あの、言い出しておいてなんなんですが」
『なんだ』
「ぶちょー、ケーキ作れるんですか？」
『要求しておいて文句か？ 作って悪いか？』
「いえ！ すげぇ、ぶちょー、ケーキも作れるんだ……」
『やめたっていいんだぞ』
「お願いしますっ！ 来週残業でもなんでもやりますから！」
『その言葉、忘れるなよ』
（しまった！ 言わなきゃ良かった！）
というわけで、明日の土曜はジェイくんの家に行くことになった。
朝から大騒ぎだ。
「お母さん、この服でいいかな！」
「可愛いよ、それでいいと思う」
「三つ編みにしたい！ ジェイくんがこの前褒めてくれたの。可愛いよって」
（あのヤロー、言葉巧みに花音に言い寄ったな!?）
うきうきと用意をする花音とは正反対に、花父はすこぶる機嫌が悪い。
「花くん！」
「なんだよ！」
「誕生日なんだよ、もっと優しい顔して！」
「……ごめん。肝心なこと忘れそうになってた」
「しっかりしてよ。いい？ 今日は花音のためにたくさん我慢してきて」
「うん」
頬にチュッと真理恵がキスをした。
「仲良くね。ジェイくんは何も悪くないんだから怒っちゃダメ。」
（でもアイツは天然を武器にして花音をたぶらかすんだ！）
心の声が聞こえたのか、真理恵はさらに言葉を重ねた。
「花くんにとってジェイくんは大切な弟なんでしょ？ もっと強いお父さんになって。花音の誕生日に、花くんも変わってあげてね」
（ジェイに……罪は無いんだ……）
そこでちょっとだけ、良くない考えが頭を持ち上げた。
（あいつは悪くないけど、あの『天然』がクセ者なんだ！）
ジェイのところに花音を連れて来るのは初めてだった。そんなに余所のマンションと違わないのに、外観が見えてから花音は車の中でずっと興奮している。
「今からそれじゃ疲れちゃうぞ」
「大丈夫！ お父さん、ジェイくんに抱っこしてもらってもいい？」
「……特別だぞ。でもあんまりしつこくしたらジェイに嫌われちゃうからな」
「……はい」
その素直な返事に満足して、花はエレベーターの８階のボタンを押した。
「いらっしゃい！」
部屋の中の様変わりに驚いた。至る所に飾ってある色取り取りの折り紙やチェーン。金や銀、赤、青、緑のモール。天井に溢れている風船。
（昔のジェイの誕生日みたいだ……）
懐かしい思いがこみ上げる。
「ジェイくん、すごいね！」
「花音ちゃんの誕生日だからね、頑張って夕べから飾ったんだよ」
折り鶴は下手くそで、裏の白い部分がかなり見えていた。やたら多い紙飛行機。なぜか手裏剣があって、変な顔のペンギンと（多分カエルか？）と思えるものもある。
「花」
ぶちょーが手招きしてバスルームの方に花を呼んだ。
「これを見てくれ」
割と大きめの手提げ袋。中を覗くと半分ほど折り紙の失敗作が入っていた。
「夕べ、あいつ料理も手伝わないでネット見ながらずっと折ってたんだ。折り紙を折った覚えが無いって言ってたが多分記憶が無いだけだと思う。だが子どもみたいに夢中になって折ってたよ。これ」
くしゃくしゃになった紙飛行機を渡された。
「それ握って寝落ち。作ったことはあっても外で飛ばしたことは無いそうだ」
花の顔がくしゃっと歪む。
（ジェイ……）
「これ、俺がもらっときます。俺の誕生日に何ももらってないし」
「そうか……ありがとう」
部屋に戻るとジェイが花音に説明している。
「違うよ、虫じゃなくてカエルだよ」
「ええ、カエルなの？」
「そうだよ。ほら、顔も描いてあるでしょ？」
「でもカエルには歯が無いよ」
「え？」
（相変わらず天然だ）
花は少し大らかな気持ちで二人を見ることが出来た。
（あんなに上手く行ってるのはジェイの精神年齢が低いせいかな？）
そう思えばいろんなことを許すことが出来そうだ。
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