変わっていく花月

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変わっていく花月

    クリスマスには花音にはゆるゆるしたゲームソフトを、花月には冒険もののゲームソフトを、真理恵の猛反対を押し切ってプレゼントした。  そしてもう一つ。 「これは今度から誕生日に一つずつプレゼントだ。大切な石だから失くすんじゃないぞ」 「お父さんの大事にしてるブレスレットと同じだね!」  花月はこういうことにすごく敏感だ。 「石の名前は『スギライト』って言うんだ。今度意味を調べてごらん」 「ゲームは良くないけど、パワーストーンのアイデアはさすがだね! やっぱり花くん、大好き!」  すっかり真理恵の機嫌が直って花もほっとした。ずい分前に真理恵が機嫌を悪くした時に痛い目に遭っている。『ノーラブメイクストライキ』を起こされたのだ。つまり、大人の夜からの締め出しを食らったのである。 「ジェイにさ、スギライトとラリマーとチャロアイトのブレスレットをやったんだ。どれだけの効果があるか分かんないけどあいつを支えたくって」 「それ、すごくいい!」  パワーストーンに明るい真理恵は心から喜んだ。どれもこれからのジェイに必要なものだと思う。 「石の説明、したの?」 「名前だけ。押しつけるもんじゃないし」 「そういうとこも私は好きだよ」 「じゃ、今夜!」 「風花が大人しかったらね」  花の膨れっ面に笑う。なぜか花がその気になるとぐずる風花は、夜の夫婦には天敵かもしれない。本当は毎日だって真理恵を抱きたいのに。  花月はちゃんとスギライトの持つ意味を調べた。分からない言葉は辞書で調べる。辞書で分からない言葉は、さらに調べてなんとか意味を理解した。 (すごい…… これ、和愛にもあげたい!) 外出の用意をしている母のところに急いで行った。今日は夕方からまさなりお祖父ちゃんのところでクリスマスパーティーだ。もちろん知っている人がたくさん集まる。 「お母さん! スギライトって、幾らするの?」  真理恵は「え?」と顔をひそめた。 「花月。もらったプレゼントの値段を聞くなんて、贈ってくれた人に失礼です」  母が丁寧な言葉を使う時にはうんと警戒しなくちゃならない。けれど今の花月はそれどころじゃない。 「和愛にプレゼントしたいんだ、どうしても!」  母の表情が和らいだ。 「そうか…… あのね、安くはないの。でも今日は値段の話はしたくないな。だから今度お店に連れてってあげる。うんとお小遣い貯めることになるよ」 「がんばる!」 「花月、お母さんはお父さんと同じくらいに花月が大好きだよ」  ぎゅっと抱いてくれた母が嬉しい。『お父さんと同じくらい』それは最高に好き! という意味だから。  曾お祖父ちゃんの能は、花月に大きな変化をもたらした。曾お祖父ちゃんとの電話が増え、まさなりお祖父ちゃんのところに一人で電車で行くことも増えた。 「なんの話をしてるんだ?」  そっち方面にはほとんど気が向かなかった花父には、息子の行動が理解できない。ピアノはショパンくらいなら弾けるが、自分から弾こうとも思わない。 「曾お祖父ちゃんとはこの前見せてもらった能の話をしてるよ。まさなりお祖父ちゃんのところでは描いているところを見てる。時々ゆめお祖母ちゃんがピアノも教えてくれるよ。僕は下手なんだけど」  すごく嬉しそうに話す花月に不安が生まれてきた。 「マリエ、花月が父さんみたいになったらどうしよう! 隔世遺伝なのかな、どう思う?」 「困ることじゃないでしょ? 心が豊かってことじゃないのかな。花音は『女の子』って感じがするけど、花月には違うものを感じるよね」  一卵性の双子は本当に不思議だ。眠くなる時間はほぼ一緒。ぱっと顔を上げるタイミングが同じだったり、言葉が重なったり。けれど二人の感性はかなり違うような気がする。  次に花月が「まさなりお祖父ちゃんのところに行ってくる」と言った土曜日、花はついていくことにした。 「お父さんと二人だけで電車に乗るの!? 男同士だね!」  花月は大喜びだ。 「花月がどんな勉強をしてるか見たいんだよ」  心配で堪らない花父の心を余所に、花月はすごくはしゃいでいる。 「こんにちはぁ! 今日はお父さんも一緒だよ!」  奥からぱたぱたという軽い音と、少し重い足音が聞こえた。 (また走ってる…… 母さん、この前滑ったの忘れたな) やはり親子だ、そんな心配も出る。 「マイボーイっ! 来るとは思ってもいなかったよ!」 「電話してくれたら良かったのに! お昼はなんにしましょうか」 「ほら、騒がないで。花月に笑われるよ(俺が)」  父も母もいまだに自分を小さな子ども扱いするのだから、それが困る。昔のように(鬱陶しい!)と思うことは無くなったが、運動会の時のように結構恥ずかしい思いをする。 「もう足は大丈夫かい?」 「父さん、それ聞くの8回目だよ。大丈夫だから」 「数えててくれたんだね! 感激だよ、花!」  両親が自分に注ぐ愛情には圧倒される。時には、自分はそれ以上の愛を子どもたちに注いでいるだろうか? という疑問まで生まれてくる。 「いつもの通りにして」という花の願いを聞いて、超愛と夢は花月に集中した。こういう素直さは、ジェイにもある。だから気が合うのだろう。  最初は紅茶が出た。自分はウバが好きだが、花月が『ケニア』を好んでいるという話には驚いた。 「家でそんな話を聞いたことが無いよ」  ちょっと花にはショックだ。ここに知らない花月がいる。 「僕はミルクを入れてもらうの。そのままでも美味しかったけどミルクを入れた方が好きなんだ」  花月の前にはマフィンが3個乗った皿が置かれた。 「いただきます!」 「召し上がれ」  母の嬉しそうな顔に、ちょっぴり罪悪感が生まれた。  ティータイムが終わると、超愛が絵を描き始めた。 「画風、変わった?」  何気なく聞いたその一言に、ぱっと超愛の顔が輝いた。 「花! 私の絵を分かってくれてたのかい?」 「そりゃ……父さんの絵は俺も好きだし」  夢が小さく奏でていたピアノの音が止まった。 「仙台で見た時と違うから……」  実は個展もこっそり見に行っていた。これは真理恵にも内緒にしている。なんとなく言いにくくて。  超愛が飛びついて来た。 「花! 花、嬉しいよ! 私は全部否定されているのだと思っていたよ」 「泣かないで! お願い、父さん! 花月が見てるから!」  夢まで目をハンカチで抑えている。花月が嬉しそうに言った。 「まさなりお祖父ちゃんはすぐに泣いちゃうんだ。僕が最初に来た時に、絵を描いてるところを見せてって言ったら夢お祖母ちゃんとわんわん泣いたんだよ」  ようやく絵が再開したのは10分も経ってからだった。そこからは誰もいないような、超愛だけの世界が広がっているらしい。時々夢を見るように目を閉じて微笑む。きっと記憶の中の風景を思い描いているのだろう。そして手が動き始めると止まらない。  花月が静かにそれを見ていることにも驚く。自分もそうだった、強い自我が芽生えるまでは。あの頃の花には、ダディのこの時間は神聖なものだった。まるでダディの中に時間が吸い込まれていくように感じたものだ。  1時間以上が経って、超愛の手が下りた。使い果たしたのだ、さっき持っていた感覚を。 「花月、今日は短いけどここまでだよ。何か聞きたいことがあるかい?」 「お祖父ちゃん、もう一回デッサンを見せてくれる?」  超愛が何枚かのデッサンを取り出した。 「やっぱり不思議だよ。今描いているのが今度出す絵なんでしょう? どうして見えないところまで描いてるの?」 「デッサンの考え方は人によって違う。私は心に感じたことを全部描いておきたいんだ。例えば人の背中を描くなら、お腹はどれくらい出てるだろう? とかね」  花月が笑う。 「そうすると何が変わるか分かるかな?」 「……よく分かんないよ」 「花はどうだ?」  いきなり来た質問に慌てて考える。 「……奥行きが出るね。ただ背中を描くだけなら二次元の世界だ。でも描き手がいろんな角度からの体つきを考えると……生まれる構想の下地が多いほど、生きた絵になっていくんだと思う。……デッサンは貯金なんだ……そしてそこについた利息が絵を育てていく……見る側にとってもその向こうの景色が見えてくる」  超愛は目を大きく見開いた。 「花、それは私の考えと同じだよ! デッサンでたくさんのものが生まれる。その通りだ、貯金だよ。線が増えて色濃くなるほどに向こう側が透けて見えてくるんだ! 花! お前の感性はやっぱり素晴らしいよ!」 「いつもあんな話をするのか?」  帰途の電車の中。 「お祖父ちゃんと? うん、そうだよ。お祖母ちゃんともするよ。二人とも言い方は違うんだけど、言ってること同じなんだと思うの。曾お祖父ちゃんの能もそうだよね」 「でもお前に絵や音楽の才能があるようには見えないけど」  言って(しまった!)と思った。今のは言っていい言葉じゃない。赤い顔をして花月が答える。 「知ってる……描いたり弾いたり床をあんな風に歩くって、難しくて出来ないよ。でもね」  窓から外の風景を眺めて黙る花月が、超愛にそっくりに見えた。遠くを指差す。 「あの向こうに何があるのかなって思うと、ドキドキするんだ」 「何が……何があると思う? 花月は何があってほしい?」 「緑! たくさんの木や花や……ね、お父さん! 木も花もお喋りしてると思わない? 僕、時々道の間から出てる草が、『苦しいよ』って言ってるような気がするんだ」  この子はどうなっていくのだろう。花の心の表面に生まれかかっていた危機感が消えていく。 (見守ってやりたい)  我が子が心から愛しかった。   
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