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ちょっとヤキモチ
和愛は真剣に悩んでいた。学校に入るまでは花月はいつも意地悪だった。
(私は好きなのに……)
嫌われているのだと何度も思ったものだ。けれど、学校に入ってからの花月はとても優しかった。譲とのことがあってから特に優しくなった。
でも。
(花月の優しいのは私にだけじゃないんだ)
他の女の子よりも優しくしてくれているとは思う。でもそれはお父さん同士が仲がいいからかもしれない、この頃はそう思ってしまう。
簡単に言えば、和愛の中に『ヤキモチ』が生まれ始めているのだ。
(運動会の時から私より譲くんと話す方が多くなったし)
そう思う目の前で繰り広げられているのは花月と譲の追いかけっこだ。譲が花月の下敷きを持って逃げている。その顔は最初の頃のような尖った顔じゃない。笑いながら花月を振り返っている。
「木下くん、イジワルしなくなったよね」
「……そう?」
「うん、花月くんと仲良くなってから全然イヤな顔、見なくなった」
「そうかな」
同級生の言葉に素直に賛同できない和愛。それにあれ以来、花月の人気は急上昇だ。クラスの中では元々人気があったが、休み時間になると教室を覗きに来る女の子が増えた。今日もだ。
「花月くん!」
「なに?」
会話は発生せず、花月に手を振ってきゃあきゃあ言いながら走っていく女の子たち。みんなの中では『花父&花月』で定着してしまって、そこに花音まで加われば当然『きゃあきゃあ』言ってしまう存在なのだ。
「名前だけ呼んで走って行っちゃう子って、僕に用があるんじゃないんだね」
帰り道。花音と一緒に三人で歩いている途中でそんな話を始めた花月にイライラし始める。
「自慢してるの?」
「なんで? どこが自慢なんだよ」
「女の子がいっぱい来るから嬉しいんでしょ?」
「どうしてさ! 僕だって気分悪いよ、返事したら逃げてくなんて」
「じゃ、逃げなかったらいいんだ」
「……和愛、おかしいよ」
「譲くんとも大騒ぎしちゃって、バッカみたい!」
そのままずんずんと和愛は先に行ってしまった。残されたのは訳が分からない花月と、(二人ともなんでこうなるんだろう?)と思う花音。花音には、花月が和愛を好きなのは見て分かるし、同じく和愛が花月を好きなことも見て分かる。
「運動会終わってから和愛って機嫌悪いよな」
「花月が悪いよ。みんなにおんなじ顔するから」
「おんなじ顔って?」
「いつも笑ってるでしょ? あれ、嬉しそうに見えるもん」
「そんなことないよ! 嬉しいんじゃなくて、呼ばれたらそうなっちゃうよ」
「笑わなくていいと思うよ。だから和愛ちゃん、怒ってるんだと思う」
「意味分かんない。呼ばれてイヤな顔しろって言ってんの? それにどうして和愛が怒るんだよ」
「真面目な顔でもいいと思う。笑い過ぎ。いいカッコしてるって思う時あるよ」
花月にしてみれば理不尽な話だ。別にいいカッコしているつもりはないし、ケンカする必要もない。何かされるわけじゃないんだし勝手に女の子たちが騒いでいるだけだ。だからそう花音に言い返した。
「勝手に騒いでるって、へぇ、花月ってそんなこと言うんだ。へぇ」
「なんだよっ! お前もケンカ売ってんのか!?」
「私たちにはそうやって怒るくせに、学校ではカッコつけてるんだ、花月は」
花月も頭に来てしまって花音を置いて先に家に戻った。
「ただいまー」
「お帰り、花月。ね、和愛ちゃん、どうかしたの?」
「和愛? なんか機嫌悪かったけど」
「帰っちゃったのよ、『今日は家に帰ります』ってそれだけ言って」
花月の目が丸くなった。
「だって、哲平おじちゃん、今日は横浜に出張で泊まるって」
「どうしちゃったんだろう…… 哲平おじちゃん、今大変なお仕事してるみたいだから心配かけたくないの。ウチで預かるから安心してくださいって言ったのに、これじゃ」
花月はランドセルを放り出した。
「和愛んとこ、行ってくる!」
走り出す花月に真理恵が叫んだ。
「花月! お夕飯のこと、言ってね!」
「はい!」
止まらずに走って来たからはぁはぁと息が切れる。チャイムを立て続けに何度か鳴らした。少しずつ息が治まって来たが中からの反応が無い。
(買い物かなんかに行っちゃったのかな)
また鳴らしてみた。
『はい』
「和愛!? いるんなら開けてよ」
『……用無いから、帰って』
「お母さんに言われたんだ、夕飯」
『真理おばちゃんが言ったから? 大っ嫌い! 花月なんか大っ嫌い!』
その後は幾ら鳴らしても出てくれない。だからと言ってすぐには戻れない。
(なに怒ってんだよ! 夕飯どうすんだよ)
そう思いながらしばらく待ったがなんの反応も無かった。
花月はとぼとぼと家に向かって歩いた。
(みんなが僕を呼ぶの、僕のせいじゃないよ!)
でも一人でいる和愛が気にかかる。
「ねぇ、まだ捕まってないんだって」
「やだ、安心して寝てられないじゃない」
立ち話をしているおばさんたちの会話に足が止まった。
「鍵かけてても簡単に開けるって言うし、気が付いたら部屋に男がいたりしたらぞっとする!」
「今のところ商店街付近だけだからいいけど、早く捕まえてほしいわ」
『今のところ商店街付近だけ』。
「あの、」
「なに?」
「捕まらないって、なんですか?」
「泥棒よ。もう3軒! 眠っているうちに入り込むって。僕、商店街の子? だったら寝る前にちゃんとお母さんに鍵確かめてもらいなさいね、危ないから」
くるりと踵を返すと、花月は和愛の元にまた走った。
チャイムを何度も鳴らし、ドアをどんどん叩いた。やっとインターホンが繋がったが、ドアを開けてくれない。
「なに?」
「和愛、ウチにおいでよ。一人でいたら危ないよ」
「自分の家だもん」
「夜中に入ってくる泥棒がいるんだってさっき聞いたんだ、まだ捕まってないって。だから一人でいるのだめだよ」
心の中では怯んだ。父ちゃんがいない。そんなのが入ってきたら殺されてしまうかもしれない…… けれど今は母譲りの強情さが悪い方へと傾いていた。
「平気! 一人だって怖くないから!」
和愛はインターホンを切ってしまった。それ以上いくら読んでも中からはなんの返事も無かった。
「和愛ちゃんは?」
「来るのいやだって。どうしよう、さっき捕まってない泥棒がいるっておばさんたちが話してるの聞いちゃったんだ。お母さん、どうしたらいい?」
「お母さんが電話してみるね」
真理恵は何度かかけてみた。だが和愛の応答はない。電話のディスプレイにはきっと『宗田』と出ている。
「僕がかけてるって思ってるんだ、きっと」
「どうしてそんなにひどいケンカをしたの?」
「分かんないよ、勝手に怒っちゃって」
そこに花音が来た。
「あのね、花月が誰にでもカッコつけるから和愛ちゃん、怒っちゃったんだよ」
「カッコなんかつけてないよ! それにどうして和愛が怒るのか分かんない!」
真理恵には様子が掴めてきた。ちょっと微笑ましい気持ちになる。
「いいよ、お母さんが行ってみる。心配しなくていいから」
夕食を作ってから真理恵は商店街に向かった。2月だ、暗くなるのは早い。もう6時になる。一人で夜を過ごさせるなんてとんでもない。
和愛はベッドに潜っていた。何度か鳴った電話も無視してしまったけれど、それきり家の中はしんと静かになってしまった。薄暗いから電気を点けたけれど急に怖くなってくる。さっき花月に聞いた泥棒の話が蘇る。
その時不意にチャイムが鳴ったからドキッとした。
(泥棒じゃないよ、だって泥棒なら黙って入ってくる……)
黙って入ってくる。それで尚怖くなった。
(父ちゃん、父ちゃん、父ちゃん……)
下でガタンと音がした。心臓がバクバクしておかしくなりそうだ。
(怖い! 怖いよ、父ちゃん!)
明らかに聞こえる1階からの音。
(花月、花月!)
いつの間にか『父ちゃん』が『花月』に入れ替わった。
「和愛ちゃん? どこ? 真理おばちゃんだよ。迎えに来たよ」
(真理おばちゃん?)
そう思った時にはベッドから飛び出していた。
「真理おばちゃん!」
「和愛ちゃん! 良かった、お部屋にいたんだね」
しがみついて泣く和愛の頭を何度も撫でた。
「どうしたの? 寂しかったの?」
「うん、怖かった、怖かったよぉ」
「大丈夫。おばちゃんが来たでしょ? お泊りしてくれる? 父ちゃんが帰って来るまでおばちゃんとこにいようよ。ね?」
「うん、行く」
今度は素直に和愛は答えた。
「じゃ、ランドセル持っておいで」
「はい」
顔はまだ涙で濡れていたけれど、和愛はやっと笑顔を浮かべた。
次の日、花月と和愛は仲直りしたらしく元気に3人で学校に行った。風花を抱いて八百屋の朝市に向かう。巧みにタマネギとニンジンを取りつつ、井戸端会議の会話を耳にした。
「捕まったって!」
「泥棒?」
「若い男だって聞いたけど。留守の家に入ろうとしてるのを見つかったんだって」
「それ、宮田さんのところに入ろうとしてたって聞いたわよ」
真理恵の手が止まる。
(宮田さん……哲平さんのすぐ近所じゃない!)
3軒隣の家だ。
(良かった、もしかしたら和愛ちゃんが大変なことになってたかもしれない)
そうなったらどんなに悔やんでも悔やみきれない。
(もっと私がちゃんとしないと。昨日みたいに放っておいちゃだめだわ)
真理恵は深く反省していた。
「花月くーん!」
廊下からのいつもの声。花月は振り返らなかった。
「花月くん、こっち向いて!」
「うるさいな! 用無いなら来るなよ!」
いつもと違う怒った花月に、女の子たちは驚いて逃げてしまった。
「いいの? お前目当てだったのに」
譲が突っついてくるのを振り払った。
「別にいいよ、そんなの。お前も変なこと言うなよ」
そんな話が聞こえて、なんとなく和愛は嬉しくなった。
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