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なかパパの有くん -1
最近やたらと宗田家に『なかパパ』が来る。
『やたらと』は大袈裟じゃない。普通週末に来る。時選ばず来るのは哲平くらいなもんだ。それが3月半ばも過ぎ、仕事は忙しいはずなのに月曜と水曜と木曜日に来た。
「どうかしたの? なんかあった?」
「いや、別に……」
「ふぅん」
夕食が終わってちょっと一杯の酒。ここには電車で来たのだと言う。
「なに? 夫婦喧嘩?」
「まさか!」
中山は有名な愛妻家だ。ハワイに行きたいと言う妻のために『コーヒーを飲む』というささやかな一息もやめたくらいだ。
「あれからハワイ、行ったの?」
「行ったよ。すごく喜んでな、コーヒーやめて良かった! って思ったくらいだ」
「変なこと聞くけど、コーヒーやめないと連れてけなかったの? だってお金かかること、中山さん他にしてないでしょ」
「アメリカに行くことになってたんだ、本当は。だから余計な出費になると思って行きたくなかった。けど好きなコーヒーやめれば(せっかく我慢してるんだから行かないと)って思えるだろ? 金の問題じゃない、気持ちの問題だったんだよ。今はもうコーヒー飲んでる」
花にはちょっと分からない心境だ。
「そういうもんなのかな…… 中山さん、真面目過ぎるんだよ。もっとこう……自分を解放したらいいのに」
「お前や哲平みたいにか? ちょっと俺には無理だな」
「そういうとこが桜井をビビらせるのかな。断固としたもん持ってるよね」
「そんなんじゃないよ、俺としては普通のつもりだ」
河野が中山に持っている印象。
『あいつには根っこがある。だから田中が営業に行った後も任せたんだ』
それはこういうところなのだろう。
「ね、ホントに何も無いの? らしくないから聞いてんだけどマリエも哲平さんも割と本気で心配してるよ。中山さんっていつもポーカーフェイスだし。初めて会った時からそれ、俺の中で変わんないイメージだからさ。俺んとこに何度も来るって、何か用があんでしょ?」
「…………変なこと……聞いてもいいか?」
「中山さんの変なことなら聞きたい!」
「なんだよ、それ。あの……」
本当に聞きにくいことなのだろう。言い出すのに花がイラっとするほどに時間がかかっている。花は耐えて待っているが。
「思い切って言う! 今は他言無用だ、たとえ真理恵さんでも」
(なんだ? 何があったんだ?)
言うと決めた中山は素早かった。なんだってそうだ、決めるとこの慎重の塊の男は行動が早いのだ。
「結婚して10年経って子どもが出来たらどう思う? それ聞いてどう感じる?」
面食らった。みんなが避けていることだ、中山に『子どもはまだ?』なんて話題を振るのは。中山の子ども好きは有名だからこそ、誰も言わない。
「ね! 出来たの!? だから聞いてんの!?」
「ああ、出来た。男の子だ。名前は『有』だ。すごくいい男だ」
「ちょ、ちょっと待って! それって、もう生まれてるってこと!?」
「生まれてるよ」
事も無げに言う中山に二の句が付けない花。
「生まれたのは去年の1月。どう伝えていいかと思って迷ってた」
いくら慎重派でもほどがある。
「あのさ! なんで言わなかったの!? おめでたいことじゃん! それを聞いてどう感じるかなんて、そんな問題じゃないよ!」
「本来なら子どもが出来ないんだよ、俺に問題があって」
「問題?」
聞くんじゃなかったと思った、そんなこと。
「俺の精子は品質が悪いそうだ。これは医者の言った言葉そのままだからその通りなんだろうと思う」
「そんな……医者の使う言葉じゃないっ!」
「いいんだ、事実だから。で、二人でいろいろ調べて子どもを授かるのにAIDを受けることにしたんだよ」
「AIDって?」
少しの間があってきっぱりと中山は言った。
「『非配偶者間精子提供』。つまり第三者の精子を受け入れるって言うことだ。日本でも認可はされてるんだがドナーが少なくてな、でアメリカで受けることにした」
「それ、ハワイ行きと関係してる?」
「ハワイは純粋に行きたがったんだよ、響子が。だから渡米する前に行ったんだ」
「……それが上手く行ったってことなんだね?」
中山自身の心が掴めなくて余計なことを言いたくない。それで良かったんだろうか。本当に納得しているだろうか。誰の子どもか分からないのに受け入れられるもんなんだろうか……
中山が微笑んだ。
「そうなんだ、俺たちに子どもが出来たんだ」
その笑顔に花は自分が救われたような気がした。
「ならなんで黙ってたの? 別に出来た経過なんて言わなくたっていいじゃん」
「俺らしくないんだが……少し躊躇ってしまった。響子が浮気したのかと思われないかってね。でも部長にも報告したい。出来ればここに来れるようになりたい。響子がすっかり参ってしまってるんだ。ここに来ることで少しでもあいつの気が楽になったらって」
そう言って中山が出した財布には写真が入っていた。それを渡される。花の顔が固まった。
そこには仲のいい親子の姿が写っていた。嬉しくて堪らないと言う笑顔の中山が子どもを抱いている。奥さんは少し俯いて、中山の腕に手を差し込んでいる。そして赤ちゃんは……
可愛い。とても。くりくりとした目。目鼻立ちがはっきりしていて彫りが深くて。けれど……
「どうして……どうして日本人を選ばなかったの?」
「登録は日本人だったんだ。ドナーを間違えたんだよ、向こうが」
髪は黒っぽい巻き毛、瞳も黒。けれどはっきりと濃い褐色の肌。赤ちゃんはどう見ても日本人ではない肌の色をしていた。
「結構よくあるらしい」
「そんなことって……こんな、」
「可愛いだろ? でも響子はそれを自分の責任だと思ってしまってる。俺はあいつを何とかしてやりたいんだ」
「中山さんは……こんなこと言っていいか分かんない、けど聞きたい。中山さんは納得してんの? いいの?」
「俺はお前の実家に初めて行った時にお父さんが言った言葉が忘れられないんだ。俺が……国の違い、人種の違いなんてことを話した時……多分俺にも子どものことで迷いがあったんだろうな。そんな話をした時に言ってくれたんだよ」
『みんなそのことで躓くね。私は勿体ないと思うんだよ、そんなことに時間を割くのを。人として受け入れればいいだけのことなんだ。空は空。海は海。魚は魚。なら、人は人だと思わないか? そこに垣根を必要としているのは、他でもない、『人』自身なんだよ』
「俺は目が覚めたんだ。会って良かった、話が出来て良かった、そう思ったよ。自分が愚かだったって思い知らされた瞬間だった」
花は思う、父には敵わないと。
(父さん……父さんの言葉に救われる人が何人もいるよ。ジェイと部長もそうだ、中山さんも。そしてきっと俺も救われたんだ)
ジェイと部長の関係を受け入れられた。昔はあれこれ思ったことを、それでも貫いている父に感嘆する。
(そうか。父さんも『根っこ』を持ってるんだ)
「来てよ、家族で! 俺んとこに来ることで奥さんが少しでも笑顔になれるなら俺だって嬉しい! いつ来る? ここで一緒に『親父の会』をやろう!」
「いいか? 受け入れてくれるかどうかってちょっと心配だった。俺だって人並みの心臓はしてるんだよ」
「けど、愛してるんでしょ? 奥さんも子どもも……名前、『有くん』だよね?」
「お前は何でも持ってるんだ、いろんなものが有るんだってそう伝えたくてな。俺が抱っこするとすごく喜ぶんだよ。あまり夜泣きもせずにいい子に育ってる」
「いつにする? 会社ではまだ言わない方がいい?」
「まずここに連れて来たい。それから会社でも写真をみんなに見せるよ。『ファミリーの会』にも連れて行きたい。有に世の中を怖がるような生き方をさせたくないんだ。俺の家に生まれてそんな思いはさせない」
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