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ピンポンダッシュ
――ぴんぽん ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん
玄関のチャイムが鳴った、それもけたたましく。
「はーい」
ジェイが立ち上がる。宗田家では普通のことだ。大した用じゃ無ければ全部ジェイが動く。
「どちら様ですか?」
聞きながら開けると誰もいない。
「誰かいますか?」
やはり返事は無く、周りも静かなもんだ。
花のところに戻る途中で、足元に抱きついて手を伸ばしてきた花音を抱き上げる。ジェイの首にしがみつく花音の頬に ちゅっ として、花の元に行った。首にはしっかり花音の両手が巻きついている。
「どうだっ…… 降りなさい! 花音!」
「花さん、怒り過ぎだよ。ただ抱っこしてるだけだって」
「その『抱っこ』が問題なんだ! 花音!」
ますますジェイにしがみついて花音は泣き出した。
「やだもん、ジェイくんがいいもん……嫌いだ、花くんなんか」
慌てた花父。
「花音、怒ってない、怒んないよ。だからおいで。ジェイおじちゃんだって困ってるよ」
「本当? 花音がそばにいると困るの?」
「困んないよ! でも、お父さんがおいでって言う時は行かないと」
「やだ! ジェイくんの抱っこが花音は好き!」
(そろそろ花さんの顔が引き攣っちゃうよ!)
ジェイは花音を下ろそうとしたがそう簡単に花音は剥がれない。
「花音ちゃん、あのね」
耳元に小さな声で囁く。
「トイレ、我慢してるんだよ。だから下りてもらってもいい?」
「……うん……お漏らししたら恥ずかしいもんね」
「うん、恥ずかしい。だからお願い」
花音はジェイの頬に ちゅっ とした。
「ジェイっ!」
(来た!)
素直に花音が下りる。
「ジェイ、座れ!」
花父の理性がふっ飛んでいる。
「だめ! ジェイくんは座れないの!」
「なんで!」
「お漏らししちゃうから」
「花音ちゃん!」
あ! という顔をする花音。
「ごめんなさい、ジェイくん……内緒だったのに……」
なんとなく花は事情を察した。自分のためにジェイはそう言ったのだと。
「行けよ。途中で漏らすなよ」
「バ! 花さんのバカっ!」
足音高くトイレに入ったジェイを見送って花音は花父を睨んだ。
「花くん、サイテー」
「花音!」
トイレで深呼吸のジェイ。
(漏らさないよっ! 花さん、酷いよっ!)
花のために嘘をついたのに。そのトイレをノックされた。
「入ってます」
「知ってる」
花だ。
「悪い。さっきはごめん。ありがとう、花音を下ろしてくれて。キスなんかされてるから腹が立った」
ジェイがトイレのドアを開けて恨みがましい顔で花を見る。
「腹が立ったって…… 花音ちゃんはまだ6歳だよ? あんなキスなんて挨拶にもならないよ」
「おい、ウチはお前みたいに西洋かぶれしてないんだからな。もうキスは禁止だぞ。自分で防衛しろ」
取り敢えず、花が本気でジェイが漏らすとは思ってないと分かったが。
(俺、大人だからね! お漏らしなんかしないんだから。それに西洋かぶれしているのは髪と目だけだよっ!)
その時また ぴんぽん ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん とチャイムの音。
「誰だよっ!」
花が玄関に立った時、また ぴんぽーん と鳴る。
「いい加減にしろっ!」
開けると同時に怒鳴った。
「おい、どうしたんだよ」
「こんにちは、花さん! なんで怒ってるの?」
「広岡さん……莉々さんも、さっきチャイムかなり鳴らした?」
「かなりって、たった一回だけど」
「どうしたの?」
「ぴんぽんダッシュしていくヤツがいるんだ」
「わっ、懐かしい! 私も小さい時兄貴とずいぶんやったよ」
莉々が嬉しそうに言う。
「こんにちは、花おじちゃん」
玄関から上がった椿紗がきちんと挨拶した。
(この雰囲気、広岡さんの娘って感じだ)
花はしゃがんで椿紗と同じ目線になった。
「椿紗ちゃん、『花お兄ちゃん』。前にも教えたでしょう?」
「花お兄ちゃん」
「そうそう」
「でも、パパがそう呼んじゃダメって言うの。正しくないって」
「広岡さん、娘になに教えてんですか」
「男が30過ぎて『おにいちゃん』はないだろう? なに、儚い抵抗してるんだよ」
広岡が真面目な顔で言うから、本当に自分が無駄な抵抗をしているような気がしてくる。
花音が走って来た。
「椿紗ちゃん!」
「花音ちゃん! 遊びに来たの、後で和愛ちゃんも来るって」
「知ってるー、あっちに行こ!」
走り出そうとして椿紗は父を見上げた。
「行っていいよ。でも走らないで」
「はい」
女の子二人がお喋りしながら歩いていく。どうやら花音の怒りは治まったらしい。
「やっと安心出来る! やっぱり女の子は女の子と遊んでなくちゃ!」
「その様子じゃまたヤキモチか?」
「ジェイが悪いんですよ、人の娘にちょっかい出すから」
「ちょっかいなんか出してないって! 広岡さん、いらっしゃい! あ、莉々さんも」
「花月くんはいないの?」
広岡は男の子と遊びたい。
「マリエの買い物についてったんだ。何か一つでも持つって。でもその分幾つか増える気がするんだけどね」
そこにまた、 ぴんぽんぴんぽんぴんぽーん
「……犯人、分かった」
花はドアを開けて怒鳴った。
「哲平さんっ! うるさいよ、どうせその辺にいるんでしょ」
少しして出てきたのは和愛。申し訳なさそうな顔をしている。
「ごめんなさい、父ちゃんがうるさくて」
和愛は本当にしっかりしている。あの父だからそうならざるを得なかったのかもしれない。物心ついた頃の父はひびの入った曇りガラスだった。今は元の強化ガラスに戻るためのリハビリ段階にはいっているが。
どちらにしろ哲平は娘に苦労をかけている。特に今は余計な苦労を。
「和愛が謝ることじゃないよ。どこに行った? 問題児は」
「逃げました」
花は大きなため息をついた。
「入って、今日は椿紗も来てるよ」
「本当!?」
やっと子供らしい声を上げる。花は笑顔を見せた。この子にだけはいつまでも笑っていてほしい。
まるで靴を放り投げるように脱いで奥に走って行くのを微笑ましく見送って靴を揃えた。そして外に出る。哲平の姿は見えない。
(ご機嫌取りにビール買いに行ったんだな?)
きっと文句は言うけれど、花は自分がすぐに許すのが分かっていた。
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