不思議の家の花音

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不思議の家の花音

    転校生である菅野(こう)は不思議でならない。他の子はうるさいほどそばに来る。あれこれ聞いて来るし、必ず聞かれるのは『ドイツに住んでたの?』。 必ず頼まれるのは『ドイツ語、喋ってみて』。  そのたびに言う。 『住んだこと、ない。喋れない』  嘘だ。本当はドイツで生まれ、転校してきたのはドイツからだ。けれどそんなことを言ったら大変なことになるだろう、と賢明にもそう思っている。  だが、唯一その手の話をしてこない女の子がいる。花音だ。話し方も他の子より大人っぽいし、頭もいい。1組に双子の花月という子がいるけれど、一緒にいるところを見た時には思わず見とれた。 (鏡みたいだ)  確かに男の子と女の子なのに、二人で一緒にいると余計きれいに見える。二人とも花父の髪を受け継いでいるし、鼻筋が通っているのはまさなりお祖父ちゃんから譲られたもの。くりっとした目は茅平のお祖母ちゃんによく似ている。そして、いつも笑みが浮かんでいるような口元は真理恵そっくりだ。  ただ、キツい顔をするとそこに花の血が顔を出すし、喋ると花の口調そっくりに辛辣な時がある。 (黙ってればいいのに)  何度かそう思った。けれど一番思うことは、とにかく花音は変わっているということだ。  花音にしてみれば混血など珍しくもなんともない。なんたってジェイくんがいる。(柏木の)お兄ちゃんには『ベルギー』という国の女の人と『けっこん』してハーフの芽緯(かい)くんがいるし、この前有くんというなかパパの赤ちゃんが来た。お祖父ちゃんがドイツ人だからと言って、『何を今さら』みたいな気持ちがある。  加えてまさなりお祖父ちゃんと夢お祖母ちゃんはたっぷり外国の話をしてくれる。ドイツなんか、あちこちの町の名前まで言えるくらいだ。 「そーだ、さん」 「ソーダじゃないからちゃんと呼んで」  結構プライドの高い花音は前に『もう話しかけないで』と言われたことを覚えている。だから自分からは決して話しかけない。  なのに、最近は晃の方から話しかけてくるのだ。しかも時々アクセントが変わるから、みんなにはこっそり『田舎から転校してきたのかな』なんて言われているのも知っている。けれど花音はなんとなく、それが外国訛りなのだろうと思う。『外国訛り』という言葉自体は知らないが、要するに宗田のお祖父ちゃんお祖母ちゃんの喋り方の雰囲気を感じる。多分昴が口数少ないのはそのせいだ。 「なに?」 「これ。先生が渡しといてって」  広報役員をしている花父への連絡の手紙だ。 「ありがとう」  手紙を受け取ってさっさと席に戻ろうとしたが、何かを喋りたそうにしている昴の様子が気になった。 「なにか用があるの?」 「今度、勉強教えて」 「勉強? だって菅野くん頭いいじゃん」  家では『そんな喋り方をしてはいけません』と真理恵に言われているが仕方ないというものだ、花父が連発するのだから。ちなみに花月は普段は言わない。 「漢字が、苦手で……」  他の子や先生に聞けば? と言いそうになって、なんとなく昴の気持ちが伝わって来た。多分、他の子が煩わしいのだ。そして先生となるとさらに煩わしいだろう。  ちょっと考えた。学校でそんなことをしたら、絶対に周りが騒ぐ。 「ウチに来る? 今日の帰り」 「え、そーださんのウチ?」 「うん。ウチはたくさんの人が来るから誰もなんとも思わないよ」  チャイムが鳴ってその話はそのままになった。給食の時に、チラチラと昴の視線を感じたが、何しろ、『もう話しかけないで』と言われている。あんな会話をした今も、昴から言ってこなければそのままにする気だ。  帰りの時間。掃除当番でもない二人は同じくらいのタイミングで廊下に出た。花音はいつも通りに1組の方に体を向けた。 「そーださん」  昴だ。やっとの思いで花音に話しかけた。 「行っても、いい?」 「いいよ」  呆気なくOKをもらって、少々構えていたのに拍子抜けした。 「なんて言うの?」  歩きながら和愛が聞く。 「菅野昂」 「こうくん?」 「知ってる、3組に田舎から転校してきたドイツ人だよな」  今日は譲も一緒だ。この後花月と一緒にゲームをして夕飯をご馳走になる。もうすっかり宗田家の仲間になっている。 「田舎からじゃないし、ドイツ人じゃない」 「でも外国に住んでたんだね」  花月はほんの少ししか喋っていない昴の言葉の中に、宗田本家の会話の匂いを感じ取っていた。宗田本家で最も時間を過ごしているのは花月だ。 「そんなこと、無い!」 「めんどくさい。いいじゃん、どこだって」 「花音! その言い方しちゃいけないってお母さんが言ってただろ!」 「この前ケンカしてた時、花月も言ってたくせに」 「あれは…… 普段は使っちゃいけないんだよ」 「お父さんは普段言ってるもん」  そう言われると花月も何も言えない。 「ただいまー」 「こんにちは!」 「お帰り、花月、花音、和愛ちゃん、譲くん」  真理恵は律儀だ。ちゃんと全員の名前を言う。けれど今日は一番後ろに知らない子がいた。 「菅野昂くん。転校してきたの。花音のクラスの子だよ」 「こ、んにちは」 「はい、こんにちは、初めまして。花月と花音のお母さんの真理恵です」  昴は目を白黒させてどう答えていいか分からずにいた。 「入って」  花音に言われてそのまま子ども部屋に連れて行かれる。 「昴くん、何しに来たの? 遊び?」  和愛は昴が誰に用があって来たのか首を捻っている。遊ぶといっても、花月とも譲とも初めて喋っているように聞こえた。花音が答えた。 「勉強。漢字教えてって言われたの」 「じゃ、ここじゃダメでしょ? ゲームうるさいし」 「あっち、行く」  大人の人たちの部屋に昴を引っ張って行く。真理恵が裁縫をしていた。 「あら、こっち?」 「勉強するの。お母さん、ジュース出していい?」 「いいわよ。昴くんも一緒に行っておいで」  きょとんとしているのを花音に手を引っ張られた。 「どれがいい?」  冷蔵庫の中を見せられて戸惑った。まず、冷蔵庫が大きい。その隣にあるのは、冷凍庫に見える。  麦茶を入れるようなボトルに大きくマジックで『花』と書かれている。他にも何本かそんなのがある。『哲平』『花月』『和愛』『真理恵』。来る頻度が多い人、飲むものが決まっている人のボトルを真理恵はいつも用意しているのだ。 「どれでもいい」 「そういうの、ウチじゃだめなの。どれがいいって言って」  困った昴はアップルジュースを選んだ。花音も同じものをコップに注ぐ。 「自分で持って行ってね。片付けるのはあそこに置いてればいいから」  流しを指差して、花音は自分のコップを持つと元の部屋に戻る。その後を昴はついて行った。  ジュースを飲みながら勉強する。昴は書き順が苦手らしい。何度も花音に訂正されて何とか苦手な字は克服できた。 「ありがとう…… この前はごめんね。慣れてなかったからイヤなこと言った」  ストレートに謝るのは、やはり外国暮らしだったからだろう。 「いいけど。じゃ、私から話しかけてもいいってこと?」 「いいよ! ごめん、ホントに」  そこに花月が顔を出した。 「勉強、終わった?」 「終わったよ」 「じゃさ、昴くんも一緒にゲームする?」  もたもたと考えていると花音に追い立てられた。 「男の子はあっちで遊んで。和愛ちゃん、どうする?」 「まだ明るいから公園に行こうか」 「じゃ行こ」  肝心の花音がさっさと出て行ったから花月が誘うままにゲームをしに行く。遊んでいれば、もちろん楽しい。結構話も弾んで、気がつけば6時近くになっていた。 「昴くん。お家の人にお友だちの家に行くって言ってあるのかな?」  真理恵に言われて昴は部屋にある時計を見た。 「あ!」  こんなに長く人の家にいるつもりは無かった。日本に来てから誰かの家に行くというのは初めてのことだった。 「言ってなかったのね。遅くなっちゃったし、お家に送って行ってあげる。何かあったら困るからね」  真理恵は遅くなったことをご両親に謝らなくては、と思っている。連絡網には昴の連絡先が追加されていなかった。 「電話番号、教えてくれる? 先に連絡しないとね」 「誰もいないから」  花月が敏感に反応した。 「いないって、家で一人でいるの?」  一瞬、『ムッティ』と言いそうになって昴は言葉を呑み込んだ。 「おかあさんは、仕事。帰ってくるの、遅いから」  真理恵が困った顔になる。宗田家に来ているのを知らせないのは良くない。だが昴を一人、誰もいない家に帰すこともしたくない。 「お母さんの会社の電話番号、分かる?」 「これ」  携帯を出されて、真理恵は笑顔になった。 「連絡できそう? おばちゃんがお話してあげるから」  昴は首を横に振った。 「僕から電話しちゃいけないんだ。だからいい。帰る」  事情があるのだと思う。深く立ち入るわけにも行かない。 「夕ご飯はどうするのかな?」 「コンビニで買って帰る」  途端に真理恵の母性本能が攻撃態勢を取った。 「だめです、そういうものを食べちゃ」  その勢いに昴は黙ってしまった。 「食べていきなさい。おばちゃん、お母さんにお手紙書くから。いいわね? 嫌いなものある?」 「あの、無い」 「今日はオムライス作るけど、いい?」 「はい」 「じゃ、そうしましょ。待っててね。花月、お願い」 「はい!」 「お前、一人でいつもいるのか?」  譲も気になったようだ。最近まで自分も似たようなものだった。 「うん」 「何時ごろお母さん、帰ってくるんだ?」 「8時ごろ」 「それまでコンビニの弁当で留守番なの?」  和愛が驚いた顔になる。 「じゃ、帰りはいつもここに来ればいいよ」  花月が当たり前のことのように言う。こんなことは初めての経験で、昴はどうしたらいいのか見当もつかなかった。 「ただいま!」 「お帰りなさい! 花くん、哲平さん、今日はお客さんがいるの」 「誰?」 「花音の同級生の菅野昴くん。お母さんと二人暮らしで、帰って来るまでコンビニのお弁当食べて待ってるんだって。だから夕飯ご馳走しちゃった。8時に帰ってくるっていうから、もう少ししたら送ってくるね」  花からも哲平からも笑顔が消える。 「それ、どうすんの? 今日はいいけどさ、明日からは?」 「いきなりそんなこと言ったって。事情があるんだと思うの。転校してきたばかりだって言うし、今の段階であまりお節介はしたくないな」  真理恵の言うのも尤もだ。赤の他人にとやかく言われたい親がどこにいるだろう。 「そうだな。花、余計なこと今はやめておこう。子どもにもプライドがある。ごちゃごちゃ言われたくないだろう」  納得は行かないけれど、花は納得した。 「じゃ、俺が送っていく。暗いからな、マリエは表に出ちゃだめだ」 「花くんいない時にはいつも一人で出てるよ」 「いるんだから俺が行く」  花がそう言うなら、それは決定事項だ。哲平も何も言わない。これは花の家の事情だ。 「ごめんなさい、遅くまでいて」  花は昴に合わせてゆっくり歩いていた。 「なんで謝るの? いいんだよ、ウチのことなら。それよりお母さんに怒られたりしないか?」 「大丈夫。帰ってきた時に勉強してればなにも言われないから」  ムカムカしてくるのを花は堪えた。 「そうか。また遊びにおいで。さっきも譲って子が来てただろ? 花月のクラスの和愛もいるし。ウチはそういうの平気だから」  花は気が付いていないが、友だちとの交流が無かった昔の自分を心のどこかで慰めているのだ。 「はい、ありがとう」  花は気になった。喋り方、イントネーション。日本語とは違う。無理やり日本語に転換した昔の自分がこんな喋り方をしていた。けれど真理恵の言った言葉を思い出す。 『今の段階であまりお節介は……』 「おじちゃんと手を繋ごうか」  びっくりした顔の昴の手を握って花は歩き出した。二人は昴の家に着くまでそのまま無言で歩いた。始めはそっと握っていた昴の手は、いつの間にかしっかりと花の手を握っていた。 「家に入るまで見てるから」  そう言われて、昴はにこっと笑った。 「はい。ありがとう!」 「またな。お休み」 「おやすみなさい」  中からガチャ、カチャン と、鍵とチェーンのかかる音がして、電気がつくのを確認する。花はちょっとの間そこに立ったまま、寂しげだった昴の顔を思い出していた。 「ただいま」 「お帰りなさい。昂くん、家に入った?」 「ちゃんと確認したよ、花音。あのな、学校で余計なこと言うんじゃないぞ。ウチで一緒に夕飯食べたとか」 「花音はお喋りじゃないよ! そんなこと言わない!」 「ごめん! そうだよな、花音はそんなことしない。ごめん、怒るなって」 「今日は口利かない! お父さん、嫌い!」 「ごめん! 花音!」 「またぁ? もう花音にもちゃんとしたお父さんになって。この前そう言ってたでしょ?」  確かにジェイの誕生日の日、花は父として大らかな気持ちになろうと思いはした。だがそう簡単にいかないものだ。 「もう一回、頑張ってみるよ、マリエ」 「そうして」  最近花を慰めることが多くなったような気がしている。真理恵は大きく溜息をついた。  一人、ムッティの帰りを待つ。『今日は残業』とラインが入った。昴は『はい』とだけ返事を返した。もうすぐ9時。言われている通り、あちこち戸締りを確かめてベッドに入る。  花音の家を思い出していた。不思議な家に住む、不思議な花音。なんとなく気になりながら昴は寝返りを打った。    
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