平和

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平和

   なぜか花の家は人気がある。みんなが自然にここに集まる。 (何が違うんだろうな)  広岡はさっきからずっと家の中を見回していた。自分も何度もここに来る。親類の家に行くより抵抗が無い。かといって、花の辛辣ぶりは会社にいる時と変わらないのだ。むしろ我が家だから好き放題にやっている。  奥の部屋から女の子たちの笑い声が聞こえてきた。 (ここは学童保育になれそうだな) そう思うが、実際はみんな離れて住んでいる。だからこうして週末しかここには来られない。  広岡は寝転がった。莉々は台所で買ってきたものを冷蔵庫に入れている最中だ。まるで我が家にいるのと変わらない。真理恵には持って来たものをラインで送ったから同じものは買って来ないはずだ。返事は無いけれど既読はついていた。 (静かだ……) 目を閉じるとふわふわと眠ってしまいそうになる。 「広岡さん」  ジェイだ。 「眠くなっちゃった? あのさ、将棋教えてほしんだけど」 「お! いいね。持っといでよ」 「うん!」  ジェイは最近覚え始めた将棋で蓮に惨敗している。だからどうしても戦略を身に付けたい。  指していると後ろから花が来た。 「ああ、そこだめだめ!」  ジェイが置いた駒を見て花ががっかりしたような声で言う。 「黙っててよ、花さん。俺今広岡さんに教わってんの」 「俺が教えてやるのに」 「花さんは人に教えるのに向いてないから」  広岡がくすっと笑う。 (ジェイは花には言いたい放題だな) こんな関係になった二人が不思議だ。多分花を上手にコントロールできるのは、真理恵以外にはジェイだけだ。 「ただいまー」  玄関から真理恵の声。 「ただいま!」  花月の声が響く。 「お帰り。重かったろ」 「僕、ちゃんと荷物持ったよ」 「で、花月は何を買ってもらったんだ?」 「えっと……ポテトチップとおセンベとセロリ」  花月のおかしなところは、こうやってちょっとした捻りがあるところだ。もちろんお菓子も好きだが、セロリが大好き。極端に言うと、お菓子が無くてもセロリを齧っていればいいのだから健康的。  ちなみに花音はレタスが好き。おかずが無くても、皿にレタスを山盛りで食べる。ゴマドレッシングで食べるのがお好みだ。だからジェイのお土産は時々セロリとレタスだったりする。家では蓮に『お前はピーマン齧らないのか?』なんてからかわれるが。 「で、花月の持ってあげた荷物は? お母さんの何を持ってあげた?」 「ポテトチップとおセンベとセロリとレタス」  怒るより呆れるより、笑ってしまう。結局自分たち双子の分だけ持ったわけだ。  花月を先に行かせた。 「俺が一緒なら良かったな。ごめん、持つよ」 「ううん、大丈夫だったの、途中で哲平さんに会って。どこか行くつもりだったらしいけど荷物を持ってくれたから」 「で、哲平さんは?」 「荷物置いてまた出てったよ」  どうも哲平の行動はいつもながら読めない。 「莉々さんのライン、見たんだよね?」 「うん! お蔭で買わずに済んだのが幾つもあるよ。特に野菜は重いから助かる!」 「だからそういうのはジェイが買ってくるって。頼めばいいんだよ」 「花くん。そういうの、良くないと思う。頼まれたジェイくんが嫌な顔したことも躊躇うようなことも無いけど、花くんのそういうとこ、私はいやだな」  広岡はなんとなく聞こえてくるその会話に(うんうん)と頷いていた。  気がついた。 (そうか。この家ではみんな正直でいられる。取り繕わなくていいんだ。それにこの家がいい。洋間が無くて広々とした和室。2階が無いから子どもたちの様子が離れていてもすぐに分かる。そうか……真理恵か)  真理恵がいるから花の我が侭は増すけれど、上手い具合にストップがかかる。真理恵がいつも素のままだから、訪れた者は変な気の回し方をしないで済むし、何も気にすることは無いとそんな気持ちになれる。 (莉々は最高の嫁さんだけど、真理恵さんは最高の奥さんだよな) 同じようで、その二つは違うと思う。愛しているのは莉々なのだから。 「広岡さん! これ、どっちを大事にしたらいいの?」  将棋盤を見る。声を上げて笑った。ちょっと離れていた花もやってきた。 「ジェイ……お前、どれを大事にしたいんだ?」  分かっていて広岡は聞いた。花も一目見ただけで大笑いし始める。 「どれって……この飛車(ひしゃ)とこの(かく)。どっちを守ればいいか分からない」 「あのな、その前に王を見ろよ」 「王?」  そう。今飛車も角も取られそうだが、それより何より王手がかかっていた。これは広岡が手を抜いてやったお蔭でどれも取られずに済んでいるだけで、状況はどんどん悪くなっていたのだ。 「だって! 広岡さん、()とか桂馬(けいま)とか香車(やり)ばっかり持ってったでしょ! なんでこうなんの?」 「そういうのを大切にしないと将棋って負けるんだよ。飛車と角ばっかり持ってて強くなった気になっていても、実際に強くなったわけじゃないんだ」 将棋盤にはジェイの飛車と角が一枚ずつ。そして、ジェイの手元にも飛車と角が一つずつある。 「そんなに持っているのに使いどころがないだろ?」 「……うん」 「そして今、お前の王の前には何がある?」 「広岡さんの歩」 「で、その歩をお前が王で取るしか無いよな?」 「うん」 「するとどうなる?」 「広岡さんの歩を桂馬が守ってるから王が取られる」 「じゃ、横に逃げたら?」 「右側も左側も広岡さんの香車が待ってる」 「そうだ。だからもう、ジェイには逃げ場がないってことだよ」 「つまり、俺は負けたの?」 「だって、それを見もしないで飛車と角のどっちを守るかずっと迷ってたんだろ?」 「ここまで!」  花が裁断を下した。 「これ以上ジェイを虐めると本格的にいじけるから。だからお終い」 「了解。後でもう一回やろう。今度は細かく教えてあげるよ」  どっちにしろちょっと膨れたジェイ。片付けもしないで立ち上がった。 「おい、どこ行くんだよ」 「花音ちゃんのとこ」 「なんで!」 「花音ちゃんは俺を慰めるの上手だから。慰めてもらってくる」  どうやら将棋での失態で本当にジェイはいじけてしまったらしい。自分が花の地雷を踏み潰しかけているのにも気づいてもいない。 (こういう天然、こいつ一生治んないってことか?」 本当は広岡はその方がいい。そしてそれは花も同じはずだ。  ジェイの『花音ちゃん』という言葉が聞こえたらしい。 「ジェイくん! またお父ちゃんにいじめられたの?」 「花音ちゃん……頭、撫でて」  ジェイが花音の前に頭を突き出した。その頭にゲンコツが降る。 「痛いよっ!」 「俺の前でいい度胸だな!」  広岡は止める気にもならない。ちょっと離れて胡坐(あぐら)をかく。目の前で花とジェイが『花音争奪戦』を始めている。もちろん勝つのはジェイだろう。  ほのぼのとした気持ちになってくる。台所の方からは莉々と真理恵の声。奥の方から椿紗と和愛と、後から加わった花月の声。目の前には呆れるほど真剣に言い合いをしている二人とはらはらしている花音。 (平和だーー) ――ぴんぼーん (このチャイムは……)  広岡の平和が別れを告げようとしていた。とうとう<あの男>がやって来たらしい。  
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