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雨音が動機を加速させる。彼女に会うのは久しぶりで、少し早く着きすぎてしまった。傘を買うまでも無いか、と梅雨の雨脚を舐めすぎた。店に着くやいなや雨は激しさを増し、もうこの店を出させまいと、雨粒混じりの風が店の窓を勢いよく殴る。
「お一人様ですか?」
「いえ、後から一人くるのですが、大丈夫ですか?」
「はい、ご案内致します」
愛想のいい女性店員は若干濡れた私の髪や服を見て、
「ギリギリセーフでしたね」
と言ったが何のことかわからず、不思議そうな顔をしていると、
「あ、えっと雨のことです、強くなる前に店に到着されたので、ギリギリセーフかなと、ごめんなさい、変に話しかけてしまって」
「あ、そーゆーことですか、ごめんなさいこちらこそ理解力が乏しくて」
頭を下げて厨房に戻っていく店員の背中を見ながら、心の中でいい人だなと思った。
店に着いて20分ほど経っただろうか、彼女はまだ来ない。LINEは、「ごめん遅れる」との送信に「先、店で待ってるからゆっくり気をつけてきな」と返信し、それ以降未読のままで返信はない。
店に悪いので先に頼んで飲んでいたビールは既に飲み干してしまいそうで、秒針と秒針の間がやけに長く感じる。携帯を開いても、ストーリーを真顔で消化するだけだ。雨脚と反比例するように、ビールの泡は消えていく。
晴れてなくてよかった。もし彼女が来なかったら、綺麗な星空にバカにされているような気持ちになるし。
傘を買わなくてよかった。雨に打たれれば、雨の中に僕の涙は消えてくれる。
「あの」
「はい?」
「あ、すみません、あのお連れ様はまだお見えでないですか」
優しい女性店員はとても聞きずらそうな顔でそう言って、一枚の紙を渡してきた。
「何です?これは」
「えっと、これは、私が書いた絵です。趣味で描いてるんです。」
紙には、浅い水溜まりを泳ぐ綺麗な魚が描かれていた。
「どうしてこれを?」
「寂しそうな顔をされていたので、私もそんな時あるので、なんていうか、ごめんなさい、でしゃばった真似して」
「いえ、ありがとうございます、ほんとありがとうございます」
何だかわからないが、熱い気持ちになっていた。美しい魚、優しい店員、激しい雨、来ない彼女。たまらず店を飛び出した。雨は痛いくらいだ。会計を忘れたが、まあいいか、今度払いに来よう。暗い雨の降る夜を走った、いい歳してバカみたいだ。泣いてるかもしれなかった、でも雨が降ってればわからない。雨でよかった。濡れていく自分に酔い、傘を買わなかった自分を誇りに思いながら、泣きながら、笑顔だった。
ある程度走って、気持ちいいぐらいに息切れしながら、知らない公園で立ち止まった。通知音がなって携帯を見ると、彼女からのLINEだった。
「ごめん、いけないや、いろいろあって、あと、傘もなくて、とにかくごめん」
「バカ女が」
そうつぶやいて、空を見た。傘なんていらないじゃん、そう思った。
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