嫉妬

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言葉はその言葉の意味の共有からコミュニケーションを生む存在であるが、人は往々にして言葉の一つ一つに対してそれぞれの定義づけをしている場合がある。私にとって『嫉妬』という言葉はまさにその事例に当たる。辞書によると『嫉妬』とは、「自分より優れている人を羨み妬むこと、自分の愛するものへの愛情が他の人に向けられるのを恨み妬むこと」とある。しかし私にとって嫉妬とは、「憎しみが羨望を凌駕する瞬間、どうしようもなく幼稚で、人間らしい、自分が自分でなくなるような感覚」といった意味合いを持つ。  大学一年生の時、好きな女の人がいた。その人はどうしようもなく私を魅了したが、彼女にとって私など大学にいる同期という以外の肩書きはなかった。彼女と距離を縮めていく中、ある冬の夜、帰りの電車が同じになったことがあった。駅に着くと外は大雪で、私は傘を持っていたが彼女は持っていなかった。帰り道、他愛のない会話をしながら歩く中で、雪に晒される彼女のその姿をとても美しいと感じた。しかし、彼女は私の差す一本の傘の中に私と一緒に入ろうとはしなかった。私じゃ駄目なんだと思った。皮肉すぎる美しさだった。その数週間後、彼女に彼氏ができたと聞いた。落胆する間も無く私を襲った感情は、その彼氏という存在に対する、紛れもない「嫉妬」だった。その彼氏は、他大学の、私と同じように映画や音楽が好きであり、文章を書いたりする男らしかった。自分と似たような人物像を想像できた。嫉妬は、私の中にいくつかの疑問を生んだ。なぜ私じゃないのか、なぜ今だったのか、なんの権利があって私は「嫉妬」しているのか。自分が自分でなくなる瞬間をそこに見た。しかし同時に自分は幼稚で、どこまでも人間だと感じた瞬間でもあった。そして、自分より運動ができる人間や、自分より学力の高い人間に対して今まで抱いてきた嫉妬と思われた感情は、憧れと自分の限界をそこに見る諦めだったのかもしれないと気づいた。こんな感覚は初めてだった。私はなぜそんなに知りもしない彼に対してこんなに憎しみを持てるのかわからなかった。彼に対する揺るぎない憎しみは危険で、理性を欠いた自分が怖くなった。これを嫉妬と呼ぶことで、既存の、人がもつ普通の感情であることにしたのだった。  あの時差していた傘は友達のもので、玄関に佇むそれを見るたびに、返さなくてはと思うのに、未だに返せていない。
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