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朱の明星
明けの明星とはご存知とは承知の上で、私の一寸した話を聞いてはいただけないか。
それはいつも通りの薄明の空のことでありました。東にはキンキラと光る金の星が一つ、その星を起き抜けに眺めるのが私の密かな楽しみであったのです。歳を重ねるにつれ朝が早くなりますが、それを見れることだけは歳に感謝したものです。薄ぼんやりとした藍と橙が混ざったなんとも言えない空に一つの白い小さな点が輝く様は私には酷く美しく見えたのであります。
なに、本題はまだかと?まあまあ、そんなに急ぎなさるな。星は巡ってまた戻る、急いだところで追いつけやしませんよ。
では、一寸ばかし早いが本題といたしましょう。それはある日の明けの星、いつも通りの空の元でありました。なにやらいつも白く輝くあの星がほんのりと赤く染まっている気がしたのです。いやはや、その時は見間違いかと思いましたがどうやらそれはどんどんと赤く、紅く、朱く染まっていくじゃありませんか。それはもう驚いたものです。今までそんなものは見たことがありませんでしたから。次第に赤一色に染ってしまった星をあんぐりと口を開け眺めていました。するとそれは起こったのですよ。星が瞬いたのです。星は瞬くものですって?ちがうちがう、その星は目を閉じたのです。またたいたのではなく、まばたいたのです。何度も何度もパチクリパチクリと星は繰り返すのです。
そして私に星は、いや、あれは目であったのか、それは話しかけてきました。
「そこな翁よ、我の片眼を知らぬか」と。
なぜでしょうね、それは星、いや目の声だと瞬時にわかったのは。そして私にはその片目の在り処がすぐにわかったのはなぜだったのか未だに不思議でならんのですよ。
「貴方様の片の眼は夕と夜の狭間、黄昏時におります」
ブルブルと震えながらなんとかそう応えると、その声は「そうか」と言う一言を残しそれっきり聞こえなくなりました。
星はいつの間にか瞬きしなくなりましたし、赤くもなくなりました。いつものありふれた明けの明星でした。
これが私の体験した不思議な体験になりまする。
嘘偽りなどこれぽつちもなく、実際のことでありますことをここに誓いましょう。
最後に一つだけ。
あれに私は名前をつけたのです。
朱の明星、と。
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