2

3/5
68人が本棚に入れています
本棚に追加
/143ページ
 考えてみれば、こんな所帯染みた格好で菜奈子の前に出てしまう羽目になったのも、元はと言えば帝太郎のせいではなかったか。  自分に向けられた玉郎の冷ややかな視線に、 「……だから~、ごめんってば~」  帝太郎が謝罪を述べる。本人に悪気はないのだが、間延びした口調のせいで口先だけの言葉に聞こえてしまう弁解である。  そんな帝太郎の言動に、玉郎はますます眉間の皺を深くすると 「お前、今夜は店屋物でも取るんだな」  あくまで素っ気なく、帝太郎にとって最も手痛い言葉を告げた。 「そんなぁ~。今度から気をつけるから許してよ~。ね? 玉ちゃん。このとーり!」  帝太郎は玉郎の手作り料理が大の好物なのだ。加えて彼の貧しい財布の中身では、店屋物でまともな食事なんて夢のまた夢で。  あたかも殿様にかしずく家来よろしく頭を下げると、伺うように玉郎の方を見遣る。 「……ったく、やってらんねぇぜ」  帝太郎に背を向けてはいるが、その仁王立ちした彼の身体からは許してやるぜというオーラが立ち昇っている。  ここの一日は、殆ど毎日こんな始まり方をする。  この職場に勤め始めて一年余りになる菜奈子だが、こんな二人のやり取りを見ているとその片割れが異形だという事が時折信じられなくなってしまう。  確かに初めて玉郎を目にした時はとても怖かったのを覚えているし、「嘘だ」という思いが凄く強かった。  それが今では何でもない事のように思えてしまっている。  玉郎の頭には確かに二本の角が覗いている。  その口には鋭い牙が見え隠れしている。  銀色の艶やかな長髪だってどこか人間離れしているし、何と言っても小さな玉を靄のようになって出入りしている姿は人外の存在以外の何者でもない。  それでも彼が悪い者でない事は何故だか直感的に理解出来たから。だから自分はここを離れられないのだと実感する。  最初、ここの面接で自分が玉郎の姿に驚いてしり込みしてしまった時、「もしかして君、玉ちゃんの角が見えるの!?」なんて言われて逆に脅えられてしまったのを思い出す。  あの時の帝太郎の言を鵜呑みにするならば、普通、大人には玉郎の頭の角は見えないのだそうだ。 ――玉ちゃんの角が見えるのは純粋な心を持った子供と、強い霊力を持った一部の大人だけなんだ。  大抵の者の目には、玉郎の姿は古風な出で立ちをした大男、ぐらいにしか映らないのだと言う。  自分に感知出来ないものを、人は信じようとはしない。  もしかすると、未知なる領域を認めるのが怖くて無意識の内にそれを排除しているに過ぎないのかも知れない。  子供達の間で幽霊話や妖怪話が流行るのはいつの世も常のようなものだ。だから何人かの子供が同じ事を言ったとしても、大人は自分達が子供であった頃を思い出して、「よくある子供の噂話」程度に認識してしまう。  そのお陰か、今までにも何度か子供が玉郎を指して「あのお兄ちゃん、頭に角が……」なんて言った事があったのだが、大人達が真面目に取り合う事はなかった。逆に、「失礼な事を申し上げまして……」と恐縮される事の方が多かったくらいだ。 ――玉ちゃんの事、口外する?  君が今見ているのは幻覚だよ。角のある人間なんているわけないじゃないか。  そう言われるより、どこか寂しそうに微笑みながら告げられたこのセリフの方が、菜奈子には堪えた。 (この人達を困らせたくない)  わけも分からずそんな風に思った事を、今でも鮮明に覚えている。 「ほらほら、二人とも夫婦喧嘩はそのくらいにして下さいね」  未だ膠着状態の二人の間に割って入ると、間髪入れずにエプロンを押し付ける菜奈子。 「さ、お仕事、お仕事」  いつものように始まった喧嘩は、いつものようにピリオドを打たれる。  菜奈子の言葉に不満げな顔の二人ではあったが、渋々エプロンを身に着け始めたのだから上出来だ。 「二人ともお似合いですよ~♪」  帝太郎のエプロンはアヒル柄。玉郎のそれはキリン柄だ。どちらもここの看板と同じようにほんわかタッチで描かれている。
/143ページ

最初のコメントを投稿しよう!