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「昨日、豆買って来て下さいねってお願いしたじゃないですか。それなのに……」
今朝、「おは…よ……」なんて息も絶え絶えに入って来た帝太郎の手にはそれらしき物の存在はなくって。
(まぁ、いつもの事なんだけど……)
何を頼んでも帝太郎は本当によく忘れてくれる。のほほん……としているのは何も見た目だけではないらしい。
普段ならどんなに帝太郎が惚けていても玉郎がしっかりサポートする。今回だって、玉郎の頭の中には今日が節分だという事は、恐らくちゃんとあったのだ。それでもその事を帝太郎に示唆しなかったのは、やはり彼が「鬼」という存在だからだろうか。
「そいつじゃ当てになんねぇーわな……」
力任せにはたきをかけながら、玉郎がぼそっと呟く。光が差し込んだ状態で見たならば、さぞかし埃が舞い飛んでいるだろう。
普段主夫をしている玉郎は、実は割と家事全般についてうるさい。その彼が、こんなに力任せにはたきをかけるのは、気持ちが苛立っている証拠だ。
皮肉たっぷりで告げられた玉郎のその台詞は、離れたところで作業していた帝太郎の耳にもしっかり届いた。
「玉ちゃんの意地悪! 教えてくれたってよかったじゃん!」
言いながら玉郎を睨み付ける。
「冗談じゃねぇ!」
鬼たる玉郎に「鬼は~外っ!」と唱える追儺の豆を買う手助けをしろ、だなんて何とも酷な話だ。
「玉ちゃん、罰として今年も鬼の係ね」
これが嫌で、今朝は彼なりになるべく目立たないよう、おとなしくしていたのに。
つくづく運のない玉郎である。
何もなくとも、例年何だかんだと鬼の役は玉郎にやらせる癖に、もっともらしくそう言い含めると、
「それじゃ、行って来まぁ~す♪」
にこやかに店を後にする帝太郎。
スーツ姿にエプロン……という何ともアンバランスな格好だが、当人が気にしていないようなので問題はあるまい。
道行く人々も、帝太郎のほんわかした雰囲気にぴったりのエプロン姿に、案外違和感を覚えないかも知れない。
「……ついてませんね」
「お気遣いなく……」
苦笑を浮かべながらも自分を気遣う菜奈子に、玉郎は溜め息まじりにそう告げた。
帝太郎が大人気ないのはいつもの事だ。そう思って諦めている。
今から十二年前、初めて自分が彼の前に姿を現わした時からずっとずっとそうだった。
(ま、あれがあいつのいいところでもあるんだけど……)
どこか遠い目をして微笑する玉郎の姿を、菜奈子はきょとんとした顔で見詰めていた。
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