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 あれは雪のちらつく、底冷えのする日の事だった。  師走の中頃。確か日付は十二日。  帝太郎、二十歳(はたち)の誕生日だ。  通帳、洋服、わずかばかりの食料……。  とにかく自分が大事だと思う物を持てる限り引っつかんで家を出たのが十八の時。  こう書くとまるで家出のようだが、実際のところ両親は帝太郎が家を出る事を了承してくれていた。  お前がやりたいようにやればいい。それは父のセリフであり、困った事があったらいつでも言うのよ、と言ってくれたのは母だった。  我侭を言って家を出たという気持ちが強かったから、なるべく両親を頼るような事はすまい。  帝太郎はそう心に決めて実家を後にしたのだ――。  首から下げた巾着袋に入った玉も、その時持ち出した物の一つだった。  こんな玉、本当は置いて行こうかとも考えた。持っていたって実用性があるようには思えなかったし、何よりお金になりそうにない。  しかし、両親が「これだけは――」。そう言って持たせたがった唯一の品だったから。 (そう言えばこの玉、いつから持ってるんだっけ……?)  考えてみると、物心つく前から身につけている。それが無い事を思うと何故だか寂しいと感じてしまう程に。  右も左も分からず、殆ど手探り状態で始めた一人暮らし。  不動産屋には兎に角安いトコ! そう言って格安の物件を紹介してもらった。  無論、未成年である帝太郎に賃貸契約を結ぶ事は出来ないわけで、出て早々で情けなくはあったが、恥を忍んで両親に頼る羽目になってしまった。住まいがなくてはどうしようもなかったからだ。  とは言え、両親からの仕送りがあるわけでなし、一難去ってまた一難……と言った具合に、一人暮らしの道のりはかなり険しいものだった。  帝太郎はとりあえずレンタルビデオショップとコンビニのバイト……なんていう二足のわらじで家計を賄った。幸い丈夫だけは取り柄だったから、朝から晩まで殆ど無休状態で働いても何とか頑張れた。  それでも毎月家賃に三万円取られてしまうのは、バイトの身には結構堪えたものだ。  生活が苦しくなって一番削りやすいのは矢張り食費。一時期、帝太郎はいつも腹ペコ状態だった事がある。  だが不思議な事に、極限に達するまでにはどこか頼りなげに見える雰囲気のお陰か、誰かが何かをご馳走してくれた。  大抵の場合、それは同年代の女の子達で、母性本能をくすぐられてか、こぞって手料理を振舞ってくれた。  普通そんな風に女の子にちやほやされると同性からは煙たがられる場合が多い。しかし、帝太郎の場合は 「人畜無害」の札をつけたようなのほほんとした春爛漫顔の効力か、嫌がらせを受けた経験もなかった。  むしろ、同性からも良くしてもらう事の方が多かったくらいだ。  そういう親切な人達との出会いを得る場所として、若者が集まりやすい前述のバイト先二軒はかなり重宝した。
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