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序
存外簡単に手折れた事に、女は呆けた様子で手元を眺める。
先程まで烏が鳴くような、猫が鳴くような、何とも五月蝿い音が聞こえていたはずなのに、今は嘘のようにしん……と静まり返っている。
二月二日にみんなですえた、臍の灸が効かなかったのは何故だろう?
毎月一日には必ず服用していた朔日丸なる薬もいかさまだった……。
出来てしまってから試したけれど、鬼灯も効きゃしなかったし……。
水銀は……怖くて飲めなかったねぇ……。
でもさ、大丈夫……。
ほら、この通り証拠は隠滅出来たじゃないか……。
空には朧に霞んだ下弦の月。
冬の立ち枯れた木々の伸ばす枝が、人間の骨ばった手の如き影を広げて頼りない月光を遮る。
そんな、闇に融け掛けた空間の中で、女がにぃ……と哂う、その赤い口元だけが妙にはっきりと浮かび上がった。
昼の明かりの下で見たならば、さぞかし妖艶な笑みであっただろう。
美しい女であるが故に、そのどこか狂気に満ちた表情が一層不気味に見える。
白い襦袢をどす黒い朱に染めて月を見上げる女の手には、今まさに生み落とされたばかりの赤子が握られていた。
片手を女に持たれ、人形のようにゆらゆらと揺れるその乳飲み子は、首をあらぬ方向にだらりと折れ曲がらせて、虚ろな面差しで母を見上げる。
赤子の腹には、まだ臍の緒がぶら下がっていた。
“遊びをせんとや生れけむ
戯れせんとや生れけん
遊ぶ子供の声聞けば
我が身さへこそゆるがるれ”
女はそう呟きながら、カラカラと哂う。
ひとしきり哂ってから、思い出したように、今、己の手でくびり殺したばかりの赤子を愛しそうに抱きしめる。そうしてそのまま闇の中をふらりふらりと彷徨い始めた――。
遊ブ子供ノ声聞ケバ
我ガ身サヘコソユルガルレ――。
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