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「靴脱げ! 誰が掃除すると思ってんだ!?」
「玉ちゃん♪」
そう言ってこたつの上の弁当をくわえると、いざるように後退を始める帝太郎。
いつもこんな風に彼の膝にこすられているからか、畳はあちこちが擦り切れて部屋の古くささに拍車をかけている。
スーツ姿でばっちり決めている風なのに、所々寝癖がついたままの髪。四つん這いになったせいで、ネクタイも少し曲がっている。
帝太郎を見ていると、身の回りに春風をまとっているような、のほほんとした印象を受ける。整った顔をしているくせにどこか憎めない、眠たげな瞳のせいだろう。
「……玉郎! 名付け親だからってコロコロ呼び方変えんな」
玉郎と名乗った男は、言うが早いか大股で帝太郎のところまで歩み寄ると、彼の襟首を荒々しく掴んで子猫でも扱うように眼前へ引き上げた。
その動きにあわせたように、一八〇センチ近い長身の背を、艶やかな銀髪が滑り落ちる。
和の出で立ちにエプロンというどこかアンバランスな組合せで、無言のまま帝太郎を睨め付ける。
和装なら割烹着だろ?と言いたいところだが、そんな事を言わせない迫力が、今の彼にはあった。
乱れた髪が顔にかかるのもお構いなしで帝太郎を見据える。
玉郎に比べれば、帝太郎の身長は五センチばかり低いのだが、それにしたって体重は優に六〇キロを超えている。その彼を易々と――しかも片手で――自らの目の高さまで引き上げられる玉郎の膂力たるや相当なものだ。ある意味人間離れしている。
着物――長着――の袂は家事の邪魔にならないようたすき掛けにされているので、力の込められた腕には女性なら誰もが縋り付きたくなるような、均整の取れた逞しい筋肉が見て取れる。
この男、ぱっと見は決してマッチョ系ではないので、案外着痩せするタイプなのかも知れない。
玉郎にあんまり突然持ち上げられたので、思わずくわえた弁当包みを放してしまった帝太郎である。
床に転がった弁当も気になるが、それよりも息苦しさが勝る。喉を締め付ける襟に手をやると、喘鳴混じりの掠れ声で
「玉ぢゃんっでば心狭ぁ〜い」
それでも間延びした口調でそう抗議出来たのだから大したものだ。
「……玉郎!」
低く抑えた声音で念を押すようにそう告げると、玉郎は不意に手を放した。
親猫に運ばれる子猫よろしく完全にその身を玉郎に任せる形になっていた帝太郎の足は、着地と同時に呆気なくくず折れる。それで、畳にお尻をしこたま打ち付ける格好になってしまった。
「……っ!! いってぇ〜!」
呼吸が楽になったのと入れ替わりで走った激痛に、帝太郎はしばらくその場でうずくまるようにして体を震わせる。
土足のままふらつきつつ立ち上がると、お尻をさすりながら玉郎へ非難の目を向けた。相当痛いのだろう。目じりには薄ら涙がにじんでいる。
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