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「土足姿で俺様に説教する気かい、帝太郎ちゃん?」
ニタリと微笑った玉郎の口元に覗くものは紛れもなく牙だ。断じて八重歯などではない。その証拠に、件の牙の、何と鋭く長い事か。
加えて頭部、銀髪の間から見えつ隠れつしながら覗いているのは二本の角ではないか。
「玉封じの鬼は元来玉封師に仕えるモンだ。それを女っ気が全くねぇお前のために主夫まがいの事までしてやってるっつーのに。お前、今晩はメシ抜きな」
「そんなぁ!」
玉郎のセリフに、帝太郎は慌てて靴を脱ぎ捨てると、両の手にそれを履くような格好をしてみせる。
「ほら、この通り! ね?」
降参のポーズ。
腰が少し引けているような気がするが、臀部のダメージを思えば無理もあるまい。
およそ三十二の男の取る態度とは思えないが、彼のこんな言動は日常茶飯事。
この、一、二本ネジの緩んだような春風駘蕩とした雰囲気が、玉郎には耐え難く感じられてしまう。
二呼吸分は優に超える大きな溜め息をつくと、
「ほら、ネクタイ曲がってんぞ。それに寝癖……」
新妻さながらの気遣いでそれらを直してやる。
「ありがと♪」
対する帝太郎の自然な様子から察するに、二人の間でこんな事は特筆に値しないようだ。
玉郎に身支度を整えてもらうと、帝太郎は両手に履かせた靴を左手に持ち替え、空いた手で弁当を拾い上げようと屈んだ。……とそこで顔をしかめて動きが止まる。どうも腰を曲げると打ちつけた箇所が痛むらしい。
その感覚から逃れるように背筋を伸ばすと、恨めしそうに包みを見つめる。
「玉ちゃん、弁当拾って? お尻痛い……」
眉根を寄せて弁当を指差してから、思い出したように腕時計に視線を落とす。
「……っと、そろそろ出かけなきゃ。早く行かなきゃ今日もまた遅刻しちゃう」
出掛けに色々あったので、いつもよりも出発が遅くなったみたいだ。
胸の辺りをポンポンと叩きながら上目遣いに玉郎を見遣る。
「俺さー、そんなか窮屈で嫌いなんだよ。なあ、どうしても入んねぇとダメ?」
帝太郎に請われるまま、弁当を拾い上げながら、玉郎が心底嫌そうにそう吐き捨てる。
「もちろん!」
そんな彼に容赦なく頷いてみせると、帝太郎は首に下げたお守り大の赤い巾着袋から、丸いものを取り出した。
それは丁度ビー玉ぐらいの大きさをした一つの玉で――。
色は一言では表現し難い。
光の加減によって青にも赤にも……いや、その他のありとあらゆる様々な色に変化を重ねる、一時として同じ様相を呈さない不思議な球体。
少々語弊がありそうだが、「虹色の玉」と称するのが最も妥当な線ではなかろうか。
「玉封じの鬼って普通主人が呼び出さない限りはこの中に居るモンなんだよね〜? 玉ちゃん、さっきの口振りからするとマトモなお役目に戻りたそうだったしぃ〜」
殊更「マトモ」という件を強調してニヤリと微笑う。
先刻玉郎が告げた言葉を逆手にとって、してやったりと言わんばかりの表情だ。
「それにさ、玉ちゃんがそのまんまだとバス料金、二人分取られちゃうんだもん」
「……ほざけ」
不満たらたらな玉郎ではあるが、今日はとあるイベントの事もあるし、大人しくしておいた方が無難かな?と考える。
「初めて来る子達はどんな感じかなぁ〜」
溜め息をつく玉郎とは対照的に、まるで恋人の事にでも思いを馳せるかのように夢見心地な面貌で呟く帝太郎。
二人の視線は自然と壁の写真へ向いていた。
「玉ちゃん、今日もカメラマンよろしくね♪」
帝太郎、実はこの近くの建物をテナントとして借り受け、託児所を開設していたりする。
仕事柄、カメラは必須アイテムだ。
経営者たる帝太郎にとっては、言わば毎日が子供パラダイス。
趣味と実益を兼ねた職業とはよく言ったもので。
「……ロリコン……」
いつになく感情のこもった帝太郎のにやけ振りに、思わず口の滑ってしまった玉郎である。
聞こえるか聞こえないかの声音で一言報復すると、その姿は瞬く間に霧のように霞んでしまった。そうして、逃げるように帝太郎の持つ玉へと吸い込まれていく。
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