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 託児所は、三階建ての鉄筋コンクリートの一階に位置していた。  正面の入り口頭上に掲げられた淡い黄色の看板には、丸っこいグリーンの文字で『つくしんぼクラブ』とある。文字の両サイドには絵本の中から持ってきたようなほのぼのタッチのつくしが数本と、寝惚け眼がとってもキュートなカエルが一匹。  冬の寒空の下でこれ程不釣合いな看板があろうか。 「おはようございます、所長。今日は早いですね」  息を切らして所内に駆け込むと同時に、エプロン姿の女性従業員に声をかけられる。  今時珍しい、100%天然の黒髪をショートカットにした彼女は、床を掃く手を止めると帝太郎に微笑みかけた。前髪をピンで分けているせいか、大きな瞳がとても印象的だ。綺麗、というより可愛らしいという感じ。 「おは…よ……」  そんな彼女に、ようようやっと、といった切れ切れの声で挨拶の言葉を搾り出す帝太郎。  せっかく出掛けに玉郎が整えてくれた髪の毛もネクタイも、すっかり乱れてしまっている。  肩で息をしながら腕時計に視線を落とす。……と同時に、入ってすぐ真正面の壁にかけられた鳩時計が見計らったように八時を告げた。  その鳩時計の、振り子が揺れる規則正しい動きを見ているうちに、少しずつ呼吸が整ってゆく。  子供の喜ぶからくり時計、という発想はともかくとして、今流行りの「小人が出てきてルンタッタ♪」というようなメルヘンチックなものではなく、古式床しい鳩時計を選んでいる辺りが何とも帝太郎らしい。  実は彼が幼い頃お世話になっていた小児科に、こういう鳩時計があった。  帝太郎が風邪なんかをひくと、母はわざわざ十四時や十五時といった、鳩が出てくる時間を狙ってはそこへ連れて行ってくれたものだ。もちろん、帝太郎の病状がそれほど悪くない時に、ではあったが。  それだけの事で帝太郎にとってその病院は「鳩時計の見られる楽しいところ」として記憶に残った。  願わくは、『つくしんぼクラブ』に連れて来られる子供達にとっても、ここがそんな場所になってくれればと思う。  掃き掃除の最中で、部屋の隅の方へ追いやられている小さな机や椅子の群れ。  反対の一角にはカラフルな色の、大きなおもちゃ箱も見える。それからはみ出すようにして、こちらを見つめているのは子供達に人気ナンバーワンの、クマの縫いぐるみだ。その子の、ボタン製の黒い瞳が何だか泣いているように見えてしまう。  子供達がいる時には決して感じられない寂しさが、今はある。  机や椅子、おもちゃ、それから鳩時計。ここにある全てのものは子供達がいてくれてこそ輝く事が出来るもの。  だから小さな天使達にもここにいる間は輝いていて欲しい。  それが帝太郎のささやかな願い。  ここを開設する前から「これを買おう」と心に決めていた鳩時計を見つめていると、何だか初心に帰れるような気がする。  それなのに――。
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