冷たい雨とレモンツリー

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冷たい雨とレモンツリー

 ハロー! エヴゥリワン!!   やぁ! みんな! 僕ちゃんだよ!  みーんなに会いに遠い遠い未来からやってきた!  ターイムトラベラーだ! あーい!!  あってすぐだけどぉ、そんな僕ちゃんからみんなへのスペシャルクイズ!  ジャジャン!!  この小説『冷たい雨とレモンツリー』の中に出てくる「  」の中に入る漢字一文字、それをひらがな読みにすると二文字、を当ててね!  正解者にはこっそり未来の話を教えちゃうよ!!  それでは頑張って読んでね!!  ナイスな答えを待ってるよ〜!  チャオ!  『冷たい雨とレモンツリー』  「  」ん? まるで思い出せなくなった。  形も手触りも概念すらも、その「  」の中身が何がなんだかわからなくなった。  はっきりとわかっていることは「  」が思い出せなくなってからというもの雨が降ると僕ちゃんはいつもずぶ濡れになってしまうことだった。  ずぶ濡れの僕ちゃんを見た心の優しい人なんかは、なぜ「  」をもたないのかと僕ちゃんに尋ねてくる。  でも、その瞬間「  」。  僕ちゃんの頭は空白になって、その「  」が何なのか鼓膜に響くことはなかった。  いや、届いてはいた。でもすぐにフッて消えちゃうんだ。蝋燭の炎を消すみたいにフッて消えちゃう。  「  」? 何? 何がなんなんだかわからない。    その「  」と言う言葉が脳に降りかかると、僕ちゃんはキョトンとなり、レモン一個分ぐらいのUFOが頭の中で暴れ始める。  頭骨の内側をスーパーボールみたいに跳ね回るんだ。  その時、頭は同時に全ての方向に動こうと震え、目はオセロみたいに白黒して最終的に小さな点となる。  UFOは頭の中で散々わめき散らしたのち、右耳をぬめりながら通って出ていき、ポン! とシャンパンの蓋を抜いたように天高くとびたって行く。  そして僕ちゃんは何を聞いたのか?  何を考えたいのか?  まるで「さぁさっぱり」と、わからなくなってしまうのだ。  雨が止むとUFOは太陽とともに帰ってきて、左の耳から脳内へヌルッと、何事もなかったように入っていく。  もちろん「さぁさっぱり」というしかない。  ある日、僕ちゃんは仕事に行こうとマンションの外に出る。  その、ある日って言うのも一体何回繰り返されたのだろう?  毎日がデジャブだ。  コピーのコピーのコピーのコピーだ。  そう、でも、もういいんだ。  そのある日、僕ちゃんは仕事に行こうとマンションを出た。  するとやっぱり雨が降っていて、やっぱりすこぶるずぶ濡れになる。  僕ちゃんは叫ぶ、「もう嫌だ!」そしてうつむいて何故いつもずぶ濡れになるんだ?  雨に濡れないで外を歩ける良い方法はないものか?  と、うなだれるばかり。  調子がいいときはそのアイディアが喉元まで出てこようとするんだけども、どうしても、その「  」と口に出そうとすると、フッと頭の中から消えてしまう。  まったくの無感覚に陥るのだ。  歯医者の麻酔後のうがいぐらい厄介だ。  ピュッて出ちゃう。  この状態を治すための何か良い薬でもあれば、そのなんとも言えない「  」も、きっとかたちになるのだろうけども、何の薬を処方すれば良いのかまるでわからない。  処方箋の薬局に行って事情を事細かく説明し、どうすればいいのか相談をしたりもしたのだが、まず真っ先に病院に行くことを勧められた。  「そんな馬鹿な?」落胆という言葉じゃ足りないくらい、酷く落ち込んだ。  別に相対性理論なみの発見をしようとしているわけではない。  僕ちゃんはただずぶ濡れになりたくないだけなんだ。  あっ、そうです。  話変わります。  僕ちゃんと呼んでください。  ずっとそう呼ばれてきてるんです。  本当の名前はこの世から消し去りました。  あんなものは、もう要らない。  僕ちゃんは深淵を断ち切りたいんだ。  Anyway  運命とは刻一刻と動いていて、起こるべき事はちゃんと起こるように出来ている。  その起こるべき「事」を起こしているのが「神」とか「超自然」とか呼ばれているわけだ。  Something Great!  なんかすげぇやつだ。  そしてまた。  ある朝、本を持って街に出た。  村上春樹作品の小説「アフターダーク」とエッセイの「雨天炎天」をFILAのリュックサックに入れた。お気にりの本をお気にりのリュックサックに入れて街に出る。  普通楽しいことになるに違いないじゃない?  そうでしょう?  そうでもない?  そして、いつもどおりスターバックス桜通大津店でひとりがけのソファーに座り、フィットしないお尻を右へ左へと度々移動させながら本を読む。  ミサへ出かけるように週一で行う神聖な習慣だ。  そして、僕ちゃんにとってのなんかすげぇやつ。  スターバックスラテのベンティサイズにエスプレッソを2ショット追加する。  これを飲むと奇跡が起きる。  と、信じている。  ま、なかなかどうして、奇跡は起こりそうで意外と起こらない。  きっと奇跡専用の倉庫に僕ちゃんの奇跡はストックされてしまって、レッテルを貼られているんだろう。『Don't touch!』的な。  ま、そう。  たぶんね。  神も、なんかすげぇやつも、奇跡の締め切りに追われて、僕ちゃん用の奇跡は後回しか、お蔵入りになっているに違いない。  人気が出そうな企画ほどそうなりやすいものだ。  などと自分を慰めるように考えをまとめつつ、スターバックスラテを飲み干す。  お腹はミルクとエスプレッソでタプタプだ。  しかもベンティーサイズだからね。  FILAのリュックサックを背負ってスタバを出る。  ジュンク堂書店にでも行こうとすると、当然のようにこれまた雨が降ってきて、これまた意味のわからないほど、ずぶ濡れになる。  「まただ」  今日は晴れだと「Yahoo! 天気予報」は言っているのに?  ジュンク堂書店に行くのはまた今度にし、僕ちゃんはひらきなおって雨の中をトッピンシャンと歩いた。  そして「んーあー」と上を向いて考える。  雨を避ける良い方法がないものか?  いつもこれだ。  ある日もあくる日も雨が降っている。  この問題しかない。  しかしFILAのリュックサックに雨が浸水しないか心配だ。  でも仕方がない、世の中はなるようになるようにできている。  そして、大雨になった。大粒の雨だ。なるようになるのだ。  ずぶ濡れの僕ちゃんは交差点の角にあるファミリーマートを超え、マクドナルド栄広小路店の前に差し掛かった。  そこにはハッピーセット用のショーウィンドウがあった。  「おまけ」であるはずのものが威風堂々とディスプレイされている。  近頃のおまけはガールズコレクションのランウェイを歩く読者モデルのように堂々と輝いている。  僕ちゃんは鼻先から水が滴り落ちるほどずぶ濡れで、雨の冷たさや人の目の冷たさも、少し気にはなるけど、おかまいなしにそのショーウィンドウを腰を折って覗き込んでいた。  そのそばにはパクパクと開いたり閉じたりを繰り返す自動ドアがあり、スマイル全開の店員さんが出入りするお客さんに何かを伝えていた。  「  」はビニール袋に入れて持ち運びください。    その声が聞こえたかと思うとまた脳内がバタバタと騒がしくなり、頭が四方八方に震える。  そしてUFOは勢いよく右耳からポン! と飛び出していった。  また「  」が聞こえない。  マクドナルド栄広小路店に入るお客さんは、なんのためだか細長いビニール袋をとり、出ていくお客さんは少し水が溜まったその細長いビニール袋を捨てていた。    目が点になった僕ちゃんはしばらくの間時が止まったようにキョトンとし、またなにもなかったようにハッピーセットのショーウィンドウを腰を折って覗きはじめた。  ショーウィンドウにはスプラトゥーン2と僕ちゃんの知らないタイプのプリキュアが飾られていた。スプラトゥーンも2と言うことは自明的に1があったとういうことなのだろう、きっと。  時代という時代は僕ちゃんを取り残し、新しいエンターテイメントがジャンジャンバリバリ、パチンコ玉のように繰り出されているようだ。  キラキラしたそのショーウィンドウを見ていると途端に悲しみがこみあがり泣き出してしまった。何が何だか身も心もずぶ濡れだ。  「なんで〜!? 僕ちゃんだけずぶ濡れなんだよぉ〜? た、助けてドナルド〜!」  情けない声とともに、しくしくと涙は肩を震わせ僕ちゃんはショーウィンドウから車道の方に5、6歩はなれた。  その車道にはビュンビュン車が走っていく。  歩道の端に立ってマクドナルド栄広小路店に出入りする人達を眺めていた。  ズブズブズブズブ。  ずぶ濡れだ。  僕ちゃんは映画ショーンシャンクの空のポスターのように両手を広げ、なんかすげーやつに叫ぶ。  「あぁ、マクドナルドのオリジナルキャラクターたちは一体どこへ言ってしまったんだろう? ドナルドはたまに見かけることもある。でもハンバーグラーやビッグマックポリス、グリマスやバーディー、フライキッズも、みんなどこへ言ってしまったんだ!? あー!!」と、震える声で思いがけないほどの長ゼリフを心から叫んだ。  誰もその問いに答えてくれるものはいなかった。  流れる涙も悲しみも徐々に治まってくると夕暮れ時の空が晴れてきた。  僕ちゃんはいつものようにUFOが帰ってくるのを待つ事にした。  マクドナルド栄広小路店にはまだまだ沢山のお腹を空かせた人々が出入りする。  マクドナルド栄広小路店自体が人々を食べたり吐いたりしているみたいだ。  その様子を鑑みながら、僕ちゃんはUFOを待っていた。  「ん?」  夜になってしまった。  「ん??」  夜中になって身体もめっきり冷えてしまったので、僕ちゃんはあっけらかんとし、帰ることにした。  「んーあー、帰るべ」。  自宅に戻り僕ちゃんはシャワーを浴びる。  もうもうと湯気の出る熱いシャワー。  全身の毛穴が「ばぁー」と開いていくのがわかる。感じとれるのだ。  洗剤の粒子と水の粒子が手と手を取り合い協力し、肌にこびりついた垢を泡で浮かし「ばぁー」と言いながら運んでいく。  粒子みんなで「ぱぁーーーー!」と大声をあげる。  排水溝は大きな口を開けゴクゴクといやらしい音を立てて汚水を飲み込んでいく。  時々ゴポっとゲップもする。  穴のまわりに抜け毛がまとわりついている。  僕ちゃんはスキンヘッドで長い毛なんてないのに必ず排水溝にこれでもかと長い毛が絡みついている。  あの長い毛はどうやってここまでたどり着いたのだろう?  僕ちゃんはゴールデンレトリバーのように訝しげに首を傾ける。  そして、その穴に吸い込まれる汚水を見届けながら「ばぁーぁーぁー」と呟く。  「ぱぁーーーー」。  「ところでUFOはどこをほっつきとんでいるのだろう?」僕ちゃんは寝た。  いや。  起きた。  まったくもって眠れやしなかった。  「UFOは?」  僕ちゃんはUFOを探すことにした。  いつもなら騒がしくて邪魔なのに、なんか帰ってこないと寂しくて困った。  古くなった靴を捨てるかどうかゴミ袋を見ながら逡巡しているときみたいだった。  靴を捨てるのはなかなか難しい。  友達を裏切るみたいな気持ちになる。  幼い頃はよく古くなった靴を河原に埋葬しにいったものだ。  石を積んで墓を作る。  ピラミッド状に石を積み上げるとよく光の玉が蛍みたいに集まり始めたりしたものだった。  あぁ懐かしい。  夜の街を上を向いてチャランポランとほっつき歩いた。  「UFOはどこぞへ?」呟く。  探しようもないので、またマクドナルド栄広小路店の前に着いた。  深夜のマクドナルド栄広小路店の大きなガラス窓を大きなマクドナルドのロゴマークをよけて覗き込むと、ノートをひらいて寝ている人たちや、クラブ帰りでまだ遊び足りない派手な格好のパリピや、24時間居座りっぱなしの年寄りなどが、点々とお互いの距離を診測るように座っていた。  パリピは立ったり座ったりしていた。  僕ちゃんはやはり入店せず自動ドアから5、6歩さがって歩道に立っていた。  午前4時を過ぎたころだった。  「そもそもUFOはいつ僕ちゃんの頭の中に住みついたのだろう?」  まったくもってさぁさっぱりだった。  今、雨は降っていない。風もあまりない。  地球の自転が止まったんじゃないか? というくらい静かな夜だ。   マクドナルド栄広小路店の店内の方がパリピがいる分騒がしそうだった。パリピは頭を振っていた。  歩道に立つ僕ちゃんの足元には口のかけたZIMAの空ボトルが転がっている。  車道にはこちらを覗き見るタクシーが漫ろと走っている。  僕ちゃんが乗らないとわかるとタクシー運転手は、なんとなく「チッ」と舌打ちをしているように思えた。  アルミ缶がパンパンに入ったゴミ袋を何袋もくくりつけているママチャリがヨロヨロと走っていく。  カップルがビルの陰でやり過ぎなくらいいちゃついていたりする。  街は音のない映画みたいだ。  黒い幕のような夜空をSomethingGreatがたぐり寄せる気配がし始めると、パリピも年寄りも寝ていた人々も、ぞろぞろとマクドナルド栄広小路店を後にし地下鉄出入口に吸い込まれてく。  僕ちゃんは東に伸びていく道路を眺め太陽の日差しが直接差し込んでくるのを待った。  明かりはまだ優しすぎて建物の影すら現れない。  しばらくすると柔らかかった日差しは強さを増して街へ染み込んでいき、ビルや通りの木々をなぎ倒しそうな勢いで照らした。  世界は光の波に覆われた。  この街はわざとらしいくらい美しかった。  そして目が眩むほど眩しい。  僕ちゃんの理想の街だ。造られた街だ。  目が日差しの明るさに慣れてくると、道路の向こう岸にマツモトキヨシがあるのが確認できた。  そのそばにカラスがたくさん群れていた。  ポーッと背伸びをしながら覗いてみていると、何かご馳走でもあったのか、かなりの数のカラスが集まって何かをつつきまわしていた。  僕ちゃんはハッとして中央分離帯を飛び越え向こう岸へ渡った。  「あ!」  僕ちゃんのUFOがよってたかっていじめられていた。  「おいおい、こんな所にいたのか?!」  僕ちゃんは矢継ぎ早に「ガー!! ミートパイにすんぞ!!!」と叫び、目から光子力ビームを出し、カラスたちを撃退した。  何匹かはまる焦げになってその他のカラスはひらりとかわし上空に飛び立った。  UFOは「今だ!」と叫ぶ僕ちゃんの声を聞いて真上に飛んだ。  上空で旋回しているカラスたちを振り切って、僕ちゃんの元へ無謀とも言えるスピードで帰ってきた。  そしてまたいつものように左耳から受精する精子のようにヌルっと頭の中に入った。  目は白黒したが、気を取り直して僕ちゃんは胸をなでおろし、フッと一息ついた。  きっとUFOも胸があればなでおろしていたはずだ。  一頻り安心するとまたポツポツとまた雨が降ってきた。  勢い余って車道に飛び出ていた僕ちゃんにトラックが容赦無くクラクションをならす。  僕ちゃんは仕方なくまたマクドナルド栄広小路店の前に戻った。  もう用事はないのだから家に帰るなりなんなりすれば良いのだが、何かやり忘れている気がした。そろそろ時間だと何か得体の知れないメッセージが降りてきたような気がした。  気がするんだから仕方がない。  そして案の定また雨は強く降りはじめ僕ちゃんはまたずぶ濡れになる。  「この世界は小さすぎないか? 晴れ間が少なすぎる」僕ちゃんはそう思った。  すごろくの振り出しに戻ったようにまたマクドナルド栄広小路店の前の歩道に立ちすくんだ。  雨はザーザーと音を立て始め、車の往来が熱い鉄板の上みたいにあたりをうるさくした。  朝の雨は格別に冷たい。  僕ちゃんは空を見上げた。  「んーあー」。  マクドナルド栄広小路店のドアが開くと木を一本。  いや、一束かな?  とにかくその、木を持った女性がこちらを覗くように見ていた。  その佇まいは、時空を破って存在しているみたいだった。彼女の輪郭はデッサンのスケッチのようにボンヤリとしていた。  僕ちゃんたちは目が合い、しばらく眺めあっていた。  そんなに長い時間ではないが、お互いそうしたかったようだった。  彼女はその木のたもとを左手でもち、右手でその少しうえを持った。  バサバサと少し揺すると束が少し開き、そのまま両手を上下にするっとスライドさせた。  すると枝が円形にバッと広がった。  パチクリと僕ちゃんは目を疑った。   その木は大雨を遮っていたのだ。  まばらに伸びた枝にはレモンが沢山なっていた。    彼女は濡れることなくこちらに向かって歩いてきた。  まるで花魁道中のようにゆっくりとした時間が流れ、その間、雨の音はまったく聞こえなかった。  ただ雨の冷たさだけはいっそう増していった。レモンの瑞々しさも雨を吸ってどんどん増していくようだった。  一歩二歩と近づき、とうとう僕ちゃんの目の前に彼女はたどり着いた。  そしてそのレモンの木をかざし僕ちゃんを招き入れた。  木の枝葉やレモンに雨があたる音がゆっくり古いアナログレコードのボリュームをあげるように聞こえはじめた。  「風邪ひきますよ、雨は冷たいもの、そんなずぶ濡れじゃ」  「あ、雨が、やんでいる?」  「雨は、降って、いる、わ」  彼女は少し古い映画のアンドロイドのように話した。  フレーズの節々に何かぬめりがあり抑揚があまりなかった。  「この木は?」  「木? フフフ、そうよ、レモン。可愛いでしょう? 気に入って、いる、の」  「あのー、この木を持たせてもらえないですか?」  「ええ、いい、わよ、一本しか、ない、からさしあげ、れないけど、持つ、くらいな、ら」  僕ちゃんは唸った。  「おぉ、思ったより軽いんですね」  「そうね、そう、かも? そうじゃ、ないと、持ち歩け、ないじゃ、な、い」  「そうですね」  「フフフ。で、どう?」  「このレモンの木、ですか?」  「レモン、ツリーよ」彼女は強く推してきた。  「あ、いや、あの、このレモンツリー便利ですね」  「べん、り? そ、うかしら? フフフ。まぁ、雨の、日には、役に立って、いるわ、でも、持ち歩い、てると、ちょっと邪魔、なの」  「でもずぶ濡れにならないじゃないですか? 僕ちゃんはいつの日からか、いつもずぶ濡れでした。何故なのかわからないんですけど、ずぶ濡れにならざる得なかった」  「じゃあ、今日は、レモン、ツリー、の中に、入れて、あげる。大、サービス、ね」  「え? 良いんですか? すごく快適だ。 とても助かります」  「その、かわり、と、いっちゃあ、なんだけど、お願い、が、ある、の」  「お願い? 何でしょう?」  彼女は右手をピンと伸ばして、道路の向こう岸を指をさした。バッターボックスに立つイチローみたいに凛としていた。  「マツモトキヨシ?」  「違う、ち、違う。その、隣」  「ビッグエコー」  「そう、カラ、オケ、に、つき、合って」  「え、あぁ、カラオケ」  「そ、カラ、オケ」  「カラオケ」  「そ、歌い、たいの。フフフ」。    僕ちゃんと彼女はカラオケルームに入った。  僕ちゃんは基本的にプロでもない人の歌を聴くのが嫌いだ。  だからか僕ちゃんはカラオケに来るととにかく酔っ払って何もできない人になりたくなる。  でもこの日はお酒を呑むかは少し迷ってからにしようと思った。  そして彼女は僕ちゃんに「歌って」と不躾にリクエストしてきた。  ドアーズのライダーオンザストームなら上手に歌えるのだけれど、彼女のためには少し暗いと思った。  なのでJ-popで唯一歌える米津玄師のレモンを歌うことにした。  なぜこの曲だけ歌えるのか、僕ちゃんにもわからない。  でもとても必要なことだとどこかで確信していた。  何故だろう。  曲が流れると照明が少し暗くなり、ミュージックビデオに字幕がうつりそれを追って見ながら歌った。  「私のため、に、この曲を歌った、のなら、言いたい、ことはあり、がとうだけよ。雨にも、感謝だわ」  「ありがとうだなんて、歌を歌って初めて言われましたよ。生きててよかったです」  「フフフ。生きててよかった? 生きる、も、何もあなた、は今死んでいて、眠っている、のよ、ながーい夢、の中にいる、の」  「いやいやピンピンしてますよ。まったく眠くなんかないです。今日まだ寝てないのに、なんでだろう? 楽しいなぁ、ハハ」  「わかった、わ、それなら、それで、いい。私、も、歌っていい?」  「もちろん! 歌聴きたいです!」それと名前も。  彼女は井上陽水の歌を歌ってくれた。  でも、サビに行く寸前(「  」がない〜)と少しだけ盛り上がるところで何も聴こえなくなる。  それだけじゃなくて頭の中をUFOがガクガクと震えてこらえきれない感情になったりする。  「一体、何がおこっているんだ?」   急に感情にならない何かが身体に異変をもたらし始めた。  UFOがいつものように外に出れなく困っているようだ。  「わわわ、ちょっと何か飲んだ方がいいかもです。なんだか落ちつかない」  「レモン、チュー、ハイ!」   マイクを使って彼女が叫んだ。エコーがキンキンする。  「レモンチューハイですか?」  「そ。レモン、チュー、ハイ注文、してぇ!」  「うっ、わかりました」僕ちゃんは吐きそうになってきた。  彼女は御構い無しに次のリアーナの曲を歌い始めた。  レモンツリーを使ってダンスも始まった。  何故かこの曲も頭がグラグラ揺れる。  眉間をアイスピックでつつかれているようだ。  僕ちゃんはインターフォンにもたれかかるようにして通話ボタンを押した。  口の中が酸っぱい。  船酔いみたいにグラグラする。  勢いよくプルルルとなるインターフォン。  勢いが増していくリアーナダンス。  ああもうだめだ。  震えが止まらない。  「も、もしもし! れ、レモンチューハイを2つ。2つお願いします」  「お客様レモンチューハイを2つですね」  「はいよろしくお願いします!」  「でも、お客様」  「へ? 何ですか?」あたりが深海の様にシンとし暗くなった。  僕ちゃんだけにスポットライトが当たっているみたいだった。  「お客様、そろそろ目覚める時間です。とうとう目覚めることができる時代が来たのです」  「目覚めることができる時代?」  「そうですお客様。目覚めることができる時代です」  「目覚め? でも、僕ちゃんは彼女とレモンチューハイがのみたいんです」  「目覚めたら本当の彼女に会えますよ」  「本当の? いや、そんなものどうだっていい、彼女はここにいる。僕ちゃんは今を生きたいんだよ! 彼女とレモンチューハイをのんで幸せな瞬間を味わいたいんだ。帰り道にレモンツリーの下でもう雨に濡れる心配もなく、彼女と幸せな時を過ごしたいんだ」  僕ちゃんの気持ちとはよそにインターフォンは強く問いかけてくる。  「あなたの怪我と病気が治る時代になりました。起きてください。解凍は終わっています。あなたの意識が戻らないと、手術もリハビリも行えませんよ」  「君は一体何を言っているんだ? さっきも言った通り僕ちゃんは」  心臓の拍動がカラオケのスピーカーからドンドンと聴こえてきた。その低音は大きな船に乗っているかのような揺れを僕ちゃんにもたらした。  マイクはぴーぴーとハウりっぱなしだ。  レモンチューハイはなかなかこない。  頭の中のUFOが今にも爆発しそうだ。  UFOが爆発したら僕ちゃんは木っ端微塵だ。  「いやだ!」  「行かなくちゃ〜」彼女はまた井上陽水の曲を歌っていた。  逆らえない運命に直立不動になり、そしてつい「行かなくちゃ〜」の声に対して答えてしまった。つい・・・。  「はい。わかりました」と、承諾してしまった。僕ちゃんは白目をむいた。  滝のような雨がカラオケルームにふり、あっという間に水浸しになった。  「うわ! なんだこれ? もう、もう濡れたくないよ!」  彼女はレモンツリーをひらいて座っている。  マイクを使って「ぱぁー」っと歌っている。  エコーもかかる「ぱぁーぁぁぁぁぁ」。  テレビモニターにも字幕が出る「ぱぁー」。  そうこうしていると水はどんどん溜まっていき、カラオケルームはプールになり、天井まで水に浸り、そしてそのまま水槽になった。    彼女はレモンツリーをさして座ったまんまマイクを離さない。  溺れていく僕ちゃんを微笑んで眺めているだけだった。    雨水をたくさん飲み込み。  肺に雨水がなだれ込んだ。  レモン色の光が差し込む水中に力を無くした僕ちゃんだけが浮いている。ショーンシャンクのポスターのような手を広げた格好で、クラゲのように浮いている。    「僕ちゃんは死んだんだね・・・。彼女と結婚したかったなぁ。あ、名前聞いてなかった。名前・・・。そう、彼女の名前。プロポーズしたかったなぁ」。    音一つ無い世界から誰かが呼んでる声がする。  ゆっくりとヴォリュームが上がっていき、僕ちゃんを呼んだ。  「ただのさーん。すぐるさーん。多田野卓さーん。聞こえますかー? 応答願いまーす。心臓は動いてますよー、脳波も異常ありませーん、呼吸も問題ないでーす。多田野さーん」    僕ちゃんはマクドナルド栄広小路店の前で見たあの朝日よりも眩しい部屋にいた。  「2126年へようこそー。あなたの病気と怪我を治せる時代になりましたー。起きてくださーい」  そこには流暢にしゃべる彼女がいた。  僕ちゃんは「け、結婚してください」と言い。  彼女は「フフフ」と微笑んだ。    「ふわぁああ、すっかり寝てしまっていました! 未来から来たタイムトラベラー僕ちゃんだよ! 「  」の中身はわかったかな? わかった方はダイレクトメッセージに答えと君の知りたい未来を送ってね! おっと! 因みに教えてあげれる未来はたったの一つです。また会おう! スィーユーネクトタイム!! タイムトラベラーの僕ちゃんでした!」  答えは「傘」です。
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