ニューバージョン 7.

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ニューバージョン 7.

 結婚とは、共同生活にあたり重大事件が起きたときのための長期協力契約である。  じつに昴らしい回答だ。あらためてそう思ったとたん、神里は吹き出しそうになった。自分は「結婚」の二文字に対して構えすぎていたのかもしれない。  いまさら一人暮らしとか、あるいは昴以外の人間と暮らしている自分が想像できないのなら、結婚しても同じことだ。 「ハイ、たしかにご……ごもっともです」  昴は神里をじろりとにらんだ。 「なんだよその返事」 「あ、いや。昴のいう通りだと思って。たしかに俺たち結婚してもいい、というかした方がいいのかも。赤根先輩の話とか思うと」 「僕かおまえが死にかけたときや死んだときの話?」 「そこまで極端じゃなくてもほら、入院したりすると、家族じゃないと会えないとか話を聞かせてもらえないときがあるんだよ」  神里が連想したのは米寿を迎える祖父のことだった。まだ三十代の自分や昴にそういったことが起きるなど、リアルに想像したわけではない。しかし長期契約とはそういうことではないか。 「ただ昴、問題がひとつある。名前だ。苗字。戸籍上はどっちかが変わることになるぞ」  昴はコーラを飲み干し、あっさりいった。 「それは平等に決めよう」 「平等って、じゃんけんとか?」 「そうじゃない、あれだ、毎月のポイント」  昴は首をぐるっと回し、キッチンを指さした。 「勝った方がどっちの名前にするか決める」 「ええ? 焼肉と名前が同等なのかよ」 「じゃんけんのような偶然の勝負に任せるよりいいと思う。自分の名前にしたければ気合を入れてポイントを貯める」  そう聞くともっともな意見に思えたが、素直にうなずいていいものか、神里は迷った。 「その話はまたあとでやろう。それより、俺の母親とか家族は前からその……あんな感じだからいいとして、昴の方はびっくりするんじゃないか?」  昴の実家については、小学生のころから父子家庭だったとか、その程度のことしか知らなかった。神里の実家はたまに宅急便を送ってきたり、母親や妹が電話をかけてきたりするが、昴の実家は本人曰く「おまえの家とちがって淡白だから」という話である。仲が悪いとか疎遠だとか、そんなわけではないという。  昴はちょっと考えて「聞けばびっくりするとは思う」といった。神里はすこし心配になった。 「大丈夫なのか?」  昴はまたすこし考えこんだようにみえた。 「でもべつに、親は関係ないんだろう? うちの父親はたぶん、相手が人間かどうか確認すると思うけど」  おいおい。神里は思わずつっこむ。 「それはないだろ。こんなところでボケるなよ」 「あるって。僕はボケてない」  昴の父親も昴に似ているのだろうか。いや、昴が父親に似ているというべきか。  「……昴のおやじさんってどんな人?」 「普通の人間だよ」 「俺、会った方がいい? ていうか会ってみたいんだけど」 「なんで?」 「なんでって、おまえは俺の親に会ってるのに、なんか不公平じゃね?」 「……それもそうか。今度会いに行く?」  急にそういわれて、神里は最初、聞き間違えたかと思った。 「え?」 「僕の実家、おまえのとことちがって近いんだ。いつでも行ける」  これまた急展開である。しかし神里の動揺をよそに昴は平然とした顔をしている。十年以上にわたる同居生活で、こんなことをいったのは初めてだというのに。 『お兄ちゃん、それでどうなった? 年末の話』  母親から催促の電話がかかってきたのは十一月に入ってからだった。 「ああ、ごめん。連絡しようと思ってた」  神里はベッドに寝そべったまま片肘をつき、スマホを耳にあてた。朝の十時を過ぎても寝ていられるのは三連休の特権である。 「昴も一緒に行くから。その時にちょっと……話もある」 『あら、なんなの? いい話?』 「いい話──っていうなら、たぶんそうだと思うけど」 『教えてくれないの?』 「年末にそっち行ったときに話すから」 『昴君と? ふうん』  母親は思わせぶりな相槌を打ったが、これは神里に口を割らせるための罠だ。 「そういうことだから、じゃ」 『昴君にもよろしくいってね』 「うん」  神里はスマホを置いてあおむけになり、掛布団を引っ張りあげた。横から昴のくぐもった声が聞こえた。 「実家?」 「母親」 「おまえんち、よく連絡くるよな」  声はするものの、ミノムシのようにタオルケットを巻きつけた体は微動だにしない。昨夜遅くに一回、早朝に一回とやってしまったせいか、まだ朝寝を決めこむつもりだろう。 「やっぱちょっとずるい気がする」と神里はいった。 「なんで?」 「昴は俺の両親に会ってるし、俺もけっこう昴の話をしてる。でも昴は俺のこと、これまで親に話してないよな?」  三連休の中日である明日、神里は昴の実家へ向かうことになっている。ぶつぶつ呟いたらようやく、タオルケットの隙間から昴の顔が出てきた。 「大丈夫だよ。結婚するから相手を連れてくって、ちゃんと説明してる」 「待てよ、そこまで話したのか? 俺はまだぼかしてんのに……」 「僕の親は直球で話した方が通じやすい」 「そしたら俺は初対面でいきなり、自分は息子さんと結婚する男ですっていうことになるわけ?」 「会っておきたいっていったのはそっちだろ」  昴は眠そうな声でつぶやき、また布団の下に沈んでしまった。  神里は思わずタオルケットをかきわけたが、昴はもう眠りこんでいた。すうすうと静かな寝息をたて、目を閉じた顔はやけに無防備だ。こいつとこんな風になるなんて、ほんの数年前は思ってもみなかったのに。年月はとても不思議なことをする。
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