ニューバージョン 1.

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ニューバージョン 1.

 三連休前の金曜日のせいか、社内はいつもより人が少なかった。  神里友祐は社内の自販機の前で、缶コーヒーとココアを見比べていた。九月下旬になっても外はまだまだ暑いのだが、八月の頃にくらべれば、この数日は気温が低めの日も増えた。おまけに空調の効いた社内にずっといたせいで、いつのまにかお目見えしていた秋冬用ドリンクも悪くない、と思ったのである。  ココアの隣には〈マロンなのどごし〉というキャッチコピーがついた謎の新商品もあって、おそらく栗味のデザート飲料だろう。小腹が空いているから、これにチャレンジしてみるのはどうかとも思う。しかしたしか去年の冬、マロンと同じポジションにはさつまいも味のデザート飲料がおさまっていた。一度だけ試したが、あまり口に合わなかった記憶がある。やはり冒険はしない方がいいか。  もしここに同居人の栖原昴がいたら、絶対にやめておけというにちがいない。「すぐに変なものに手を出すな、おまえ」と論評する声まで想像できそうである。昴は食べ物や持ち物に関して、なかなか保守的なタイプなのである。 「神里さん、お疲れさまです」  電子マネーをかざしたままなおも迷っていると、斜めうしろから声をかけられた。首を回すと杉本がいる。中途入社の後輩である。リュックを肩にかけているから、これから帰るところだろう。 「杉本君、今から帰り?」 「神里さんはまだですか?」 「ああ、ちょっとだけ残業。明日から三連休だしさ」  杉本は大学の研究室でも後輩だったので、会社で再会したときは驚いたが、おかげで気楽な話もできる間柄だった。 「連休はどっか行ったりするんですか?」 「いいや。特に予定はないよ」 「そうですよね。シルバーウィークなんていっても、三連休が二回あるだけだし」 「シルバーウィークね。どうもぴんとこないな」  いったいいつから、敬老の日から秋分の日にかけてをシルバーウィークと呼ぶようになったのか。シルバー世代、それに春のゴールデンウィークとの対比で命名されたのだろうが、九月とシルバーはどうもイメージが合わない。 「あ、でも休みだと家庭サービスみたいなの、あります?」  いきなり杉本がきいたので、神里はあっけにとられた。 「家庭サービス? なんで?」 「だって神里さん、奥さんいるでしょ?」 「え?」  自動販売機がピッと音を立てた。思わずボタンを押してしまったのだ。 「俺独身だけど」 「え、そうなんですか? てっきり結婚してると思ってました」 「なんで?」  神里は真顔で杉本を見返した。 「べつに指輪とかしてないし……まあ、人事はこんな話とかしないだろうけど」  杉本はきょとんとしている。 「なんとなく……雰囲気ですかね。既婚者っぽいっていうか……」  ガラガラ、と音を立てて自販機のポケットに落ちてきた缶を神里はひろいあげた。 「それさ、おっさんっぽいってことかな」 「いやいや、マイナスな意味じゃないですよ。あ、そうか。たぶん社内の女の人たちがそんな話してたから。ほら、神里さんって弁当持ってくるじゃないですか」 「あれは俺の手作りだぞ。たまに同居人にも作ってやるけど」 「あ、同棲してるんですか」  杉本は聞き間違えたのかもしれなかった。 「きっとそのせいで結婚してるみたいにみえるんですよ。どのくらいですか?」  神里は手の中の缶をひっくりかえした。〈マロンなのどごし〉である。訂正するのが面倒になったのはそのせいかもしれない。 「えっと、十年以上?」 「そんなに? じゃ、もう結婚してるようなもんじゃないですか。そんな話になりません?」  ここで同居人が男だといったら、ちょっとした冗談みたいになるのだろうか。しかし神里は「いや、べつに」と答えるにとどめた。 「杉本君は三連休どうするの」 「フットサルの試合があるんですよ」 「え、まだやってんだ。大学のころのサークル?」 「あ、今は社会人しかいないサークルです。やっぱデスクワークだと体なまっちゃうんで」 「だよな。がんばって」 「神里さんも」  杉本が廊下を行くのをみながら、神里は手の中の缶をどうしようかと思った。  せっかくだから、持って帰って昴にみせるか。昴のことだからきっと「どうしてわざわざ持って帰った」というだろうが、もし旨かったら一口やってもいい。  そんなことを考えていると、だんだん仕事のやる気がなくなってきた。急いでいるわけでもないし、適当でいいか。連休前だし。  尻ポケットでスマホが揺れた。みると昴からメッセージである。 〈今月の焼肉、今日にしないか? 創業記念値引きクーポンあるけど、連休は混むぞ〉 〈俺、帰るの八時すぎるけど〉 〈僕もそのくらい〉 〈駅でいいか?〉  焼肉OKのスタンプのあとに〈今回はおまえの係〉というメッセージがとんでくる。  神里は悔しがる犬のスタンプを送った。先月の家事分担表で昴に大幅に負け越したのだ。プロジェクトが立てこんでいたせいか、このところ調子が悪い。  アプリを閉じかけて、ふと最上段に表示されたバナーに目をとめた。結婚式場の動画広告である。手をつないだ男女のカップルのあと、やはり手をつないだウェディングドレス姿の女性ふたり、その次にタキシード姿の男性ふたりが映って、また男女のカップルに戻る。  ふーん、最近はこういう趣向なんだな。  最初に頭をよぎったのはそれだけだった。  しかし考えてみると、ちょっと前にも同じ広告をみた気がする。いや、SNSで話題になっていたのか。そうだ、今年の夏、同性でも正式な法律婚ができるようになってから、同性カップルをフューチャーする広告をちょくちょく見るようになったという話だ。  そう思ったとたん杉本の声を思い出した。 (あ、同棲してるんですか?)  同棲と同居のちがいってなんだ? 昴とああするようになって、けっこう経つのに。  ──そういえば、法事とセックスって話があったな。昴と一緒にやってないの、残るは法事だけ?  おいおい、何考えてるんだ。  神里はスマホをポケットに入れた。とにかくさっさと仕事を終わらせないと。今晩は焼肉だ。
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