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ニューバージョン 3.
翌日の夕方六時、駅の近くのショッピングモールに行くと、神里と同じことを考えた人間がたくさんいたのがわかった。
今年の一月に開業したそこはモールといってもさほど規模は大きくなく、スーパーと家電量販店、百円ショップや歯医者などがテナントである。屋上は駐車場になっており、その歩行者通路がある側から花火が見えるにちがいない、という神里の読みは正しかった。しかし家族連れや夫婦、中高生のグループなどで通路がごった返していたのは、完全な読み違いだった。
「みんな考えることは同じか」
思わずぼやいてしまったが、隣にいる昴は特段の表情もみせなかった。視界のひらけた方へすたすたと歩いていく。あまり人が集まると警備員が何かいってくるかも、と神里は思ったが、今のところは問題なさそうだ。缶ビールを片手に待機しているカップルもいる。なるほどそういう手もあったか。
もう日は沈んでいるが、西の空はほんのり赤い。小さな雲がいくつか浮いているだけの晴天である。おかげで今日の昼間も暑かったし、いまも風は生ぬるかった。とはいえ真夏にくらべればマシである。
「何時から?」と昴が聞いた。
「六時十五分。そろそろじゃないか」
とそのとき、ドン、という音が響いた、地平線のすこし上で最初の花火が赤くはじけ、パラパラッと乾いた音が鳴って、つづいてもうひとつ、ふたつ。
小さなどよめきのなか「花火!」と子供が甲高く叫んだ。
スマートフォンや一眼レフをかまえる人の間で「見えた?」「きれいね」という声が響く。またもドン、という音が鳴る。
「お、また来た」
「さっきよりでかいな」
次々に赤や黄色の光が打ちあがる。昴はいつのまにか神里の斜め前に出ている。いつもは猫背気味の首と背中はまっすぐ伸びているのは、かかとをあげているせいか。珍しく前のめりだな、と神里は思った。
去年は国道を横切る歩道橋の上からこの花火大会をみたが、道路脇の建物にさえぎられて、視界はいまいちだった。見に行こうぜといったのは神里で、昴はこれといった関心もなさそうな顔でついてきたのだが、こうして全体が見えるとなると態度も変わるらしい。
やはり一度くらい、観覧席からみるのもいいかもしれない。
「昴って、花火けっこう好きだった?」
「ん?」
昴は怪訝な目つきで神里をちらっとみて、また花火の方向に視線を戻した。
「いや?」
「ふうん」
「なんで?」
「べつに」
そのあいだも空ではぽんぽんと景気よく光の花が開いている。同心円に広がっていく昔ながらのザ・花火から、キャラクターの輪郭や文字のかたちになるもの、時間差で点火していくものなどさまざまだ。あっというまに三十分が過ぎ、打ち上げは一旦中断した。
「予定は一時間だから、休憩か」
神里はスマホで花火大会のHPをみていった。花火見物の人間は来たときより多くなっている。家族連れの一部は帰ったが、打ち上げがはじまってからここへ上がってきた人もいるのだろう。
「昴、最後まで見るか?」
ふりむいた昴は背後の人混みにはじめて気づいたらしく、すこし驚いた顔をした。
「人、増えたな」
「俺はビールが飲みたくなってきた」
「あと三十分だ。帰ってからでいい」
「なあ、昴。来年はチケット買ってみようぜ。座ってビール飲みながら花火見物ってやつ、一度やってみたい」
昴はじろりと神里をみた。
「チケットはおまえがとれよ」
「わかった」
話をしているうちに休憩が終わったらしい。唐突にドン、という音が鳴って、菊の花のような丸い光の輪がひらく。昴はまた花火に向き直り、神里はスマホで花火を連写しはじめた。ついでに昴の写真も撮っておく。花火をみつめる背中、横顔と続けて撮ったら、怪訝な目が神里の方へ向く。
「どこを撮ってんだよ」
「おまえ」
「なんで?」
「いいだろ」
「僕を撮るなら自分も撮れ」
「自撮りなんかするかよ」
神里はうそぶいたが、昴はさっと手を出して神里のスマホを奪うと、カメラのレンズを向けてきた。シャッター音が続けざまに響く。
「お、これ面白いな」
「返せって」
「僕も撮ってみよう」
「は?」
ぽんと返されたスマホの中には、ブレブレの変顔写真がおさまっている。昴は尻ポケットから自分のスマホをひっぱり出し、神里に向けてまたシャッターを押す。
「どうせ撮るならいい写真にしてくれよ」
「おまえは変顔で十分だ」
ドン、ドン、パラリ。打ち上げが続く中、昴はニヤニヤしながらスマホをかまえた。
『お兄ちゃん、年末ってこっち来るよね?』
九月末になって母親から電話があった。
神里は実家では常に「お兄ちゃん」と呼ばれる宿命である。母と妹はもちろん、父もたまにそう呼ぶ。
それにしても、先月帰省したばかりなのにやけに気が早い話だと思ったら、正月に祖父の古稀を祝う予定だから、日程を決めたいというのである。
「先月帰ったとき、そんな話してた?」
『あれ、しなかった?』
「記憶がないんだけど」
『忘れてたかも。あ、それでね、よかったら昴君もいっしょに帰ってきたらどうかと思ってるの。お父さんも話したいだろうし、年末年始ってほら、多いじゃない』
「お笑い番組のこと?」
『そうそう、それ』
以前、いまの住居を両親が訪れた際に判明したことだが、神里の父親と昴には「お笑い好き」という共通点がある。おかげであの日、ふたりはたちまち意気投合し、初対面の人間には本性を出さない昴がなぜか、口角泡を飛ばす勢いで喋りまくっていた。母親と神里が置いてきぼりになるほどの盛り上がりようだった。
『それにね』と一拍おいて母親が続けた。
『はっきりいわなくてもいいけど、昴君ってお兄ちゃんとは家族みたいなものでしょう?』
えっと、それは何をいいたいわけ?
神里は喉まで出かかった言葉を飲みこむ。両親、というか母親は、自分が昴とセックスするようになる前から、ふたりの関係を誤解しているふしがあった。
──ただしいまはもう、誤解ともいえない気もするが。
とはいえ──
「あのさ、母さん。昴も実家に帰省するかもってこと、考えないのかよ」
ひとまずそう答えると、とたんに母親は申し訳なさそうな声を出す。
『ああ、それはそうよね。ごめんごめん』
「ごめんごめんって……とにかくおじいちゃんのお祝いには合わせるけどさ、昴のことは──」
神里はまた口ごもった。
「本人に聞いてみるよ」
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