ニューバージョン 6.

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ニューバージョン 6.

 ダグウッドハウスから最寄り駅までは、徒歩で二十五分ほどの道のりである。  昴は住宅街のあいだを神里と並んで歩いていく。朝は大雨だったが、現在の夜空は快晴。街灯の下を通るたびに影がぐるりと動いていく。  小雨程度の天気なら駅までの道は自転車を使う。しかし近ごろの天気はどうも読みづらい。地球温暖化、異常気象、気候変動等々といわれつづけて十年以上経つが、今年の天気は完全に奇妙でいると決めたらしい。従来の季節感などまるで無視して突発的に嵐が起きる。それでも天気予報が機能するのは、嵐の発生条件がわかっているとか、予測に必要なデータがそろっているとか、そういった事柄によるのだろう。  昴自身も昔から、天気予報に似たシステムを自分の中に構築してきたが、その対象は気候ではなく人間である。学校や会社のような場所には昴を翻弄する嵐がときおり発生するので、これをうまく切り抜けるためのシステムである。学校や会社はゲームシステムとちがって条件が頻繁に変化するため、通常のゲームの攻略法よりも、天気予報の方が参考になる。  ──といったことをぼんやり考えたのは、隣を歩く神里が妙に深刻な顔をして、押し黙っているせいか。  神里友祐は昴にとって、山川や相原と共に、人間予報システムを起動せずに接することのできる、数少ない人間のひとりだった。いまはそれ以外の要素もあいまって、およそ唯一無二の関係になっている。最近自覚したのだが、昴は神里に対して独自の観察システムを作り上げているらしい。神里の「ちょっと変」な雰囲気に敏感になっているのが、その証拠だ。  街灯をまたひとつ通り抜け、ダグウッドハウスへの一本道にさしかかる。名づけの理由になったハナミズキの隊列がみえたあたりで、昴はたずねた。 「どうしたんだ?」 「え?」 「おまえ変だぞ」  どうやら昴の観察システムは正しかったようだ。薄暗い夜の中で神里は困ったように眉を下げた。 「……いや、その……鈴木にいわれてさ」 「何を」 「昴とデキてるだろうって」  昴は「デキてる」の意味を一瞬考えた。 「……実質的にそうだって話を、この前おまえとしなかったっけ」 「ああ、うん、そうだけど、だから俺が思ったのは……あいつらに話した方がいいんじゃないかってことなんだが」 「鈴木に話せばよかったのに」と昴はいった。 「そうか? フライングしたら昴が嫌かもしれないと思ってさ」  そうだろうか。そうかもしれない。神里はたまに、昴自身よりも昴のことをわかっている時がある。  昴は黙ってハナミズキの下を歩き、アパートの敷地に入った。神里が鍵を取り出し、玄関ドアを開けた。昴は神里の背後で、飲み会で披露した「自由研究」を思い返した。 「僕としては、おまえと結婚するのはありだと思ってる」  とたんに神里が立ち止まったので、昴は玄関口でつんのめりそうになった。 「おい、止まるな。入れよ」 「……あ、うん。いきなりそんな話するから」  神里はあわてたように靴を脱いだが、リビングへ先に入ったのは昴の方だった。 「あ、みんながしてるから、が理由じゃないからな」  あとからリビングにきた神里は、やけに真面目な顔で昴をみた。いや、真面目な話をしているのだから当然か。 「他の理由が?」 「強いていえば、長期予測の結果かも」 「長期予測?」 「僕にとっては、おまえよりいい同居人がこの先みつかるとは思えない。おまえがどうなのかは僕にはわからん。でも合理的に考えて、おまえもそう思っているなら、結婚してもいいってことになるんじゃないか」  神里は鞄を下ろし、上着を脱いだ。冷蔵庫からペットボトルを取り出し、もう一方の手にグラスをふたつもってソファに座ったから、昴もその隣に座った。  いつもの流れだ。この感じを手放したくないのだ、と昴は思った。神里は黙ってコーラを注ぎ、おもむろに口をひらいた。 「……俺が思うに、結婚って他の理由も大きいと思う」 「何」 「ほら、子供が欲しいとか」 「僕もおまえも男だから、前提としてそれは──」  そこまでいって、昴はハッと気づいた。 「忘れてたけどおまえ昔、彼女いたな。僕はいまだに童貞だから忘れてた」 「……俺も最近ほとんど忘れてたけど」 「きっと僕はずっとこっち側だよ」 「こっち側って……」 「童貞だろうってことだ。子供がどうとか考えたこともない。だからおまえもそのつもりなら──赤根先輩の話も考え合わせると、僕にとっての結婚は、何かあったり死にかけたときに効力を発揮する長期契約ってことになる。暮らし方はいまと同じでも、入ってる枠組みが変わることになる。OSが変わるとか──根本的なバージョン変更って感じ」  ──どうも今日の自分は口数が多い。飲み会でもそうだったし、いまも一方的に長々と喋っている。そう思ったものの、神里は昴に視線をすえたまま黙っている。  仕方なく昴はまた口を開いた。 「おい、何かいえよ。ていうか、そもそもの発端はおまえだろ。年末におまえの実家へ行くって話がはじまりじゃないか。結婚しようと思えばできるっていいだしたのもおまえだ」 「……うん。そうだな。その通りです」 「そこで検討した結果、僕はおまえと結婚するのはありだといったんだ。神里、おまえはどうなんだ?」
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