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溶けた視界の中で、黒い塊がわずかにゆらいだ。保が深く吐息したのがわかった。
さしだした手を痛いくらい強く握られる。
「……返すも何も、先に俺を救ってくれたのは、君だよ、琉汰」
優しい声が闇を満たしていく。穏やかな灰褐色の瞳さえ見えるようだった。
「……だってあの日、瑠璃の葬式の日、君は俺に傘を、さしかけてくれたじゃないか」
その言葉で、まるで封印が解かれたみたいにその時のことを琉汰も思い出した。
火葬場で、他の親戚たちは控え室に戻ったのに、保は雨の中、外にずっと立っていた。皆がしばらくそっとしておこうと言っていたけれども、琉汰はその場から立ち去ることはできなかった。
徐々に雨が保のスーツを、髪を濡らしていく。袖口から水滴が滝のように流れている。それでも保は微動だにしなかった。
保の背中はただただ死者を悼んでいた。
自分以外に、いやもしかしたら自分以上に姉の死を芯から悼む人がいることに、どうしてか琉汰の悲しみが微かにやわらいでいくのを感じた。
だから傘をさしかけた。後ろからそっと。無言のままで。
振り返った保はひどく驚いた表情をしていた。まるで初めて会うかのように琉汰を無言で見つめて、その後、痛みの混ざった笑顔を浮かべた。
『……ありがとう、琉汰くん』
雨と涙でぐしょぬれのまま、それでも保は笑ってくれた。その笑顔を言葉をようやく思い出せた。
「あの時、俺は、ひとりじゃないって思えたんだ。君がいる限り、俺は」
わずかに保の言葉がつまる。もしかしたら彼も泣いているのかもしれない。デカイ図体のくせに泣き虫な熊さんだ。
あの時自分たちは、互いの心に傘をさし掛けていたんだな、と今さら気づいた。そこまでは照れ臭くて言えなかったけど。
「あんなことでよかったら、……何回でもしてあげるよ」
かすれた声でそれだけは言うと、琉汰は熱で潤んだ瞳を閉じた。
次に目を開けた時は、もう少しだけ保に優しくできるようになるといいなと思いながら。
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