一章:幽霊なるは

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一章:幽霊なるは

 ――江戸浅草。  我妻橋へと繋がる廣小路には、途中かの有名な雷門があり、金龍山浅草寺までの道を開いている。  道の両側には仲見世と呼ばれる、玩具屋や菓子屋、土産物屋等の商店が軒を連ねていた。特に有名なのは伝法寺付近に集中する二十軒茶屋だろう。  茶屋ではそれぞれ美しい娘を茶汲み女として抱えていて、たまに瓦版を騒がせている。かつて江戸三大美女とうたわれた、『蔦屋』お芳もここで働いていたそうだ。  店の売り上げは茶汲み娘の美しさや人あしらいの上手さで大きく左右されるものだから、娘達は絶えず見えぬ火花をぶつけ合っていた。  見るからに堅物そうな武家が、千草達のいる茶屋の看板娘に声をかけられ、顔を緩めながら店の中に引き寄せられる様には笑えてしまう。  とはいえ、千草とシロ婆さんにはそんな俗世事情は一切関係がない。  何せ千草は幽霊なのだ。今だって、つい先ほど案内されてきた武家が、千草達の座る床机の前まで来て、「――何か近寄りがたい席だなぁ」と呟きながら、別の床机まで移動した。人間、見えなくとも気配ぐらいは感じ取れるものだし、床机の足元で、白猫が悠々丸まっていても、誰も注意しない。  おかげで好きな時に、最も見晴らしが良い席を千草とシロ婆さんで独占できてしまう。  千草は浅草でのんびり時間を過ごすのが好きだ。ここは一日中、江戸の中から外から様々な人間が集まる。 恵比寿稲荷に薬師堂、涅槃堂、閻魔堂。祀られているのは、毘沙門天に弁天様、普賢菩薩に文殊菩薩、熊野権現。叶う願いはそれぞれ。  年齢も身分もばらばらな者達が、表情も悲喜交々。通りを行き来する様を心行くまで眺めるのは、なかなか飽きがこない。  予定の無い日は、シロ婆さんと一日中ここでのんびり、何て日もあるくらいだが――今日は立派に予定が、千草の隣に所在無さげに腰かけていた。  「―――つまり、私は死んだのですね?」  「うん、そうだね」  「そうですか・・・」と俯く顔に影が落ちる。若く美しい娘だ。歳は十七だと聞いた。名前はお利津。解れ一つ無く綺麗に結われた銀杏返し。櫛、簪は奢侈禁止令が出ている昨今において許される、最大限の意匠、材質。  縞木綿の裾から僅かに見える裏地は美しい紅色に菊の江戸小紋。襟は桃色の付け襟。かなり裕福な家の娘だと、見ただけで解る。 ちょこんと紅を乗せた、小さな唇が戦慄いている様は、何とも痛々しい。  通常ならば乳母傘で、お付の一人か二人はいなければおかしいのに、現在彼女の隣にいるのは、つい先程まで赤の他人であった千草が一人。あとは足元に猫が二匹。シロ婆さんと茶と白の斑の子猫だ。  千草同様、お利津も幽霊だ。故に周りの人間から見咎められる事も無い。  「それで、貴方は私の心残りを解決して下さる、と。  あの、貴方は仏様の使いの方でしょうか?」  「え、いやいやいや・・・」  『安心しなさい、この子は貴女と同じ、ただの逝き損ないの幽霊よ』  足元でシロ婆さんが欠伸と共に突っ込んだ。  娘の黒々とした瞳に見つめられて、どぎまぎと心臓を押さえていた千草は、む。とシロ婆さんを睨んだ。年老いた白猫は、人間の反応などどこ吹く風、丸くなってまた大欠伸。
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