一章:幽霊なるは

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 未練について、お利津はかなり長い時間悩んでみせた。  「私の未練が何か解らないと、千草さんにご迷惑がかかってしまいますよね」  「いやいや、気にしないでよ」  お利津は白魚のような指を組んだりほぐしたり。ようやく「確証はありませんが」と幾つか思い当たる物を挙げて見せた。合計三つ。  曰く、浅草に婚約者が住んでいる。病気の母親もおり、仕事も日々大変そうだった。自分が死んでから何か変わった事は無かったか、健やかか知りたい。  曰く、友人に気に入りの櫛をあげる約束をしていた。仲の良い友達だったが、渡せず仕舞いで死んでしまったので、何とかして送りたい。  曰く、両国に昔世話になった奉公人が住んでいる。最近体調を崩していると聞いたので、何か性の付くものを食べさせてあげたい。  どれが正しくお利津を彷徨わせている原因かは自分でも解らないとの事だった。  恐縮するお利津に、千草の反応はからりとしたものだ。  「未練が何かも解らないよりは、よっぽどいいよ」  複数あるのならば、総当たりで行けばいい。・・と千草は袖をまくってやる気を見せたが、お利津は眉尻を下げて申し訳なさそうだ。  近場から試していこう、とまずは浅草に住んでいるという彼女の婚約者を訪ねることになった。  とはいえ、当の婚約者の店は固く表を閉じており、店の中も無人であるらしかったので・・・・  続いて神田にある彼女の琴の師匠の元へと向かう事になった。  そこに、彼女の言う仲の良かった友人も通っていて、この時間ならそこにいる筈だと言うのだ。  問題は櫛だ。お利津が大切にしていたものならば、一緒に埋葬されている可能性が高い。しかしお利津はからりと否定した。  「大丈夫です。お師匠さんの家の近くにある、お稲荷様の社に預けてありますから」  彼女の言う通り、櫛はお稲荷様の小さな社、その下に埋められた縮緬箱の中に懐紙に包まれて入っていた。  「猫が・・・あ、いえ『猫様』が穴掘り名人で助かりました」  『別に穴掘りが得意なわけでは無いのだけれど』  「厠の時だけだもんね」  千草のむき出しの足に、シロ婆さんの前足が叩きつけられた。ばしんっとなかなか痛そうな音と、実際半泣きで震える千草の姿に、ようやくお利津も笑顔を浮かべた。
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