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「なんで? 相思相愛かもしれないのに、勿体ないじゃない」
あげは姉さんは屈託ない言葉で、私に話しかけてくる。ユキヤママは困ったような顔をして、肩を落とした。
ここまで言われたのなら、話してしまおうか。口当たりの良いお酒の力が、封印した辛い記憶の蓋を開け始めていた。
「……私は気持ち悪くなっちゃうんです。男の人が…」
「…なにがあったの?」
あげは姉さんが、声を小さくして近くでそっと囁くように聞いた。
私の事を知らない人に聞かれるのは、初めてのことで。今までは、小さい頃から近くにいた人にしか質問されなかったから、うまく応えられなかった。話すことが怖かった。でも、今なら…。
「…私はとっても悪いことをしたんです」
「悪いこと?」
「…うちの母は、潔癖症で…。父に浮気されたと知って、家の中ひっくり返す勢いで暴れて、不眠症になって睡眠薬を飲んで…。ひどく荒れていた時期があったんです」
二人は黙って聞いている。私の一言一句を、待っている。
「中学生二年になって…、夏でした。勉強も手につかないし、ご飯も自分でなんとかしなくちゃいけない、そんな日々に疲れてました。母の財布から千円抜いて、ファーストフードで食べて…、でもある日それが悪いことだってママに怒られて。頬を叩かれました。
その日から、ママに叩かれるようになりました。些細なことでも、ママが機嫌悪いときはなんくせつけられて、都合悪いことは全部私のせいにされて」
ユキヤママは大抵のことはもう知っている筈だ。保育園で出会ってからうちのママとはママ友になったのだから。でも、黙って聞いてくれている。
「家に居ると、ママに絡まれる。そう思って、家に帰らなくなりました。
私はユキヤの女トモダチの家に連れてってもらって。そこの家も家庭の事情が複雑で、大人がいない家だった…。だから、若い子のたまり場になってました。
高校生もいたし、学校に通ってない子もいました。学校から戻るたびに初めて会う子が必ず一人ぐらいいて…。
本当は人見知りだし、一人になれないような場所は好きじゃないけど、家に帰るよりマシだと思って、皆雑魚寝する部屋の片隅でいつも本を読んでました。そこの家の子は私の性格を知って、放っておいてくれました。
時々、ユキヤも遊びに来て愛想のない私のことを仲間に説明して、呼びかけてくれてました」
「……そんなことならうちに連れて来てくれたらよかったのにね」
「あの頃は、ユキヤママは手術したばかりで体調が悪かったじゃないですか」
「あぁ、そうだったわね。そんなこともあったわね」
ユキヤママは髪をかき上げ、あげは姉さんは優しくその腕を叩いている。
「…とにかく始めの頃は何も問題なんてなかった。でも、その仲間内で恋愛事で揉め始めたんです。高校生の彼氏がいる女の子が、別れたのに付き纏われて皆で守ってあげていた…。私も少なからず協力して、いつも食べるものを買ってくれる人達に恩を返すなら今だ、と思って」
膝の上に重ねて置いた手が、震え出す。
「え? どうしたの? 顔色が悪いけど…」
「…すいません、お手洗いに」
そう言って席を立った。カウンター用の椅子は脚が長く、ぶらぶらしていた足を床に降ろした途端に、グラリと目の前が90度も傾いた。
「あ!!」
みんなの声が重なったのを最後に、意識が途切れた。
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