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八
そうか、死んだのか。俺は、死んだか。
だったら、俺のこの畑はこれからどうなる。
中に埋めてある女たちの死体はとうに骨になっているだろう。くそ。もう少し眺めていたかった。もう少し感傷に浸りたかった。
あと少し、あいつらの上を踏みつけて歩きたかった。
それにしてもだ、いつ誰が見つけるんだろうか。
はたまた死体が埋まっていることに気づいていない家族が新しく種を撒くのか。もしくは手入れもせず荒れ果てるのか。惜しい。実に惜しいぞ。
でもまあ、もう死んじまったんだから関係ねえか。
司はつい先程、自分の身体を真上から見下ろしていることに気がついたとき、自分が死んだということを理解した。
自分の亡骸を前にして泣く妻や我が子を見ると、やはり殺しておけばよかったと、後悔で胸が疼いた。
根っからの殺人鬼なのだ。
しかし、もう妻も子供達も自分の手で殺すことはできない。
年老いてからというもの、体力も無くなり、視力も悪くなり、足腰も弱く悪いものとなった。
若い頃のように体は動かない。昔のように楽に殺しもできない。殺しても解体に何日もかかってしまう。人一人解体するのは手間も時間もかかることを司は身にしみてわかっていた。
頭、腕、胴体と切り離していく過程と各部位によって肉の感触とにおい、舌触りが違うのを味わうのも楽しみの一つなのだが、時間をかけすぎるとすぐに臭いが出てきてしまう。人の体というものは殺した瞬間から腐り始めるのだ。
なので、体力がものをいう。殺したい願望は胸の奥に押し込め、晩年は気の良い老人を演じてきた。
妻にも優しくなり、子供たちともよく遊ぶようになった。
人殺しのできなくなったクソみたいな人生、早く終わればいいという願いが叶ったのか、ある夜、司はぽっくりと死んだのである。
ピンコロという言葉の通り、全く苦しまず、寝ているうちにすうっと魂が体から抜け出した。
終活なぞまったくしていなかったため、処分しなければならないものがそのままの状態になっている。自分はまだ死なないだろう、あと十数年は生きるだろうという勝手な思い込みがそうしたことだ。
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