夏のひかり

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 どうしよう、どうしよう、どうしよう。  湊は泣きたくなる思いで、こぶしをぎゅっと握った。  連絡先は訊いていなかった。その前に湊のせいで気まずくなってしまったからだ。この上見送りにいくと言っていた湊が現れなかったら、正樹はきっと誤解してしまうだろう。  きのうの言い訳もまだできていなかった。正樹にちゃんと謝れてもいない。それなのに足がもつれたように早く走ることができない。気ばかりが焦ってしまう。  きっともう会えない……!  それは確信だった。きょうを逃したら、正樹は二度とこの村を訪れることはないだろう。  間に合わない……!  胸をこみ上げるものを、湊はぐっとこらえた。 「湊!」  振り向くと、嵐が誰のものとも知らないママチャリに乗っていた。 「病院から借りてきた。おまえ、どこまでいきたいんだ?」 「駅に……!」  張りつめていた気持ちがゆるんだように、湊の目からぽろっと涙が零れた。それを見て、嵐が戸惑うようにたじろいだ。ぐしゃっと湊の髪を乱暴にかき混ぜる。 「泣くな! 早く乗れ!」  湊は涙をこらえるように、ぐっと瞼に力を入れた。 「……ありがとう」  湊を後ろに乗せた嵐のこぐ自転車が、ぐんぐんと風を切る。事情は知らないのに、湊の窮状を敏感に察知して、汗をかいて必死で駆けてくれる幼なじみの大きな背中を、湊はぎゅっと握りしめた。  ようやく数十メートル先に駅が見えてきたときだった。 「おい、そこのふたり! 止まりなさい!」  制服を着た警察官が湊たちを呼び止める。普段二人乗りを咎められることなどほとんどないのに、なぜよりによってこんなときにと湊は叫びたい思いがした。話を聞いている時間などない。正樹が乗る電車が出てしまう。 「湊、いいからいけ!」  そのとき、ぽん、と嵐が湊の背中を押した。それにつられるように、湊は前に足を踏み出す。 「こら! きみ! 待ちなさい!」  警察官の制止の声が聞こえた。それに応じる嵐の声を申し訳なく思いながら、湊は後ろを振り返らずに駅へと駆け込んだ。ホームに停車している列車の中から正樹の姿を探す。  心臓が壊れるくらいに激しく鳴っている。見つからなかったらどうしよう。 「湊!」  そのとき、車内にいた正樹が湊に気づいて、列車のドアから下りてきた。 「正樹……!」  自分に向かって伸ばされた手にしがみつくように、湊はその手を握りしめた。 「よかった、もう間に合わないかと思った……!」 「湊……」  言いたいことはたくさんあった。祖母が倒れて待ち合わせに遅れた理由とか、きのうおかしな態度を取ってしまった理由だとか。二度と会えないかもと思い、怖かった気持ち。どうしても正樹にもう一度会いたかったこと。さまざまな思いがあふれるように湊の中を駆けめぐる。  会ったばかりでこんな気持ちになるなんておかしい。けれど、もう一度正樹に会えたうれしさが湊の胸を満たしていた。 「俺、俺、正樹に会えてよかった……! うまく言えないけど、俺……!」  じわりと視界が滲む。まだ息が上がりながらも、満面の笑みを浮かべる湊に、正樹は驚いたように目を瞠った。  ジリリリ……と発車のベルが鳴った。ホームの後ろに下がろうとした湊の手を、正樹がつかんだ。 「次の休みにまたくるから……!」  正樹は湊の手を離すと、ひらりと列車に飛び乗った。ドアが閉まる。ガラス越しに、初めて目にする正樹のくっきりした笑顔が見えた。  列車がゆっくりと動き出す。無意識のうちに列車を追いかけるように、湊は足を動かした。  ーーまた会える。  それは希望だった。  湊は正樹に見えるように、ぶんぶんと大きく手を振った。  次第に小さくなる列車が、遠くのほうで陽炎のように揺らめく。ひとりぽつんと残されたホームで、湊は列車を見送った。  みーんみんみんみー。みーんみんみんみー。  忘れていたように、額から汗が滴り落ちる。そのとき湊は、いまもまだ警察官に止められているだろう幼なじみを思い出した。 「いけない、嵐!」  ばたばたと、慌てて改札に向かう。口元が自然に綻んでしまう。うれしさで胸がいっぱいになる。  雲ひとつない青空。田園の向こうに、みかん山がきょうも鮮やかに見えた。 END
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