青い傘

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青い傘

久しぶりに母と出かけた。以前母と一緒に外出したのはいつだったろう。そんなことも思い出せないくらい日々のサイクルはめまぐるしかった。命令された課題を、まるで奴隷のようにこなしていく。感情を押し殺した日々が鬼のように過ぎていった。  生きている為に働いているのか、働く為に生きているのか。はっきり言って、そんなことはどちらでも良かった。そんなことを考える余力さえなかった。そうかと言って、割り切って生きていくほどの強さもなかった。  「新しい傘が欲しいから」確か母はそんなことを言っていた。母とは何かと揉めることが多かったが、結局はこうして一緒に出かける。なんだかんだ言って、私に一番近い存在なのだ。けんかするほど仲がいいと言うのは、こういうことなのかもしれない。 季節は初夏だった。梅雨はまだもう少し先だろう。けれども、売り場のあちこちに傘が並べられている。いや、店と言うのは本来こういうものだ。 母は「持ち手の細い傘が好き」とか言って、持ち手が細い傘ばかり物色している。  一方の私は、束の間の休息を私なりに噛みしめていた。今だけ日常のサイクルから抜け出している気がした。けれども、明日からまた元の生活に戻ると思うと憂鬱だった。サイクルの中にいる間は何も考えない。考えられない。私は何をしているのだろう。ふと気づくと自問自答を繰り返している。そういうときは決まって、サイクルから抜けたときだ。  そんなことを考えているうちに、結局自分が何をしているのか分からなくなって結論を見失う。その瞬間、得体の知れない不安が押し寄せてきて頭が真っ白になる。そうなったら、なかなか取り返しがつかない。これがいわゆる「自我同一性拡散」ってやつだろうか。自分を見失うのはこれで何度目だろう。  しばらく二人で傘を物色していた。母は私の胸の内など知るよしもない。なんとか自分を取り戻した私は、母の隣でいくつか傘を開いたり閉じたりして「これはどう?」と言ってみたりした。ただ、目新しい傘を見て夢中になっている時間は楽しかった。仕事に集中している時間と買い物に夢中になっている時間は似ているようで全く違う。今だけでもこの時間を大切にしよう。そう思うと、少しだけ心が楽になった気がした。  いくらか見た中で、深い青色の傘が目に止まった。とても大きな、品のある傘だ。それも同じように開いてみると、品のある見た目とは違って、色とりどりの可愛らしい水草が描かれていた。浮き草みたいな植物であったから、てっきり湖をイメージしたものかと思っていたが、デザインタイトルは「海底」であった。母と私は声をそろえて同時に笑った。  「これがいい」と私は言った。  その傘は、母が好きな「持ち手の細い傘」ではなかった。そもそも新しい傘が欲しいと言ったのは母の方だ。結局のところ、私の好みで傘を買った。しかし、よく考えたらいつもそうだったかもしれない。私が母を買い物に誘うときも、勝手に付いていくときも、購入の決め手は私だった。母はいつも私の意見を尊重してくれたのだ。そう思うと、なんだか涙がこぼれてきた。母と揉めることは多かったが、母を遠ざけていたのは私の方だったのかもしれない。母はいつも私を見てくれていたのだ。  自分の都合ばかりで、イライラすると母にあたっていた。うまくいかないと母にあたっていた。  母はいつもテレビを見ていて、楽しそうに過ごしていた。私が仕事で失敗し、落ち込んで帰ってきた日も、期限内に間に合いそうもない課題に、血相を変えて取り組んでいるときも、テレビを眺め、大声をあげて笑っていた。そんな母を見ると、余計にイライラした。  母はテレビを見る以外は慌ただしく家事をこなしている。自ら進んでやる、というよりは仕方なくやらされている感じがする。掃除や洗濯は綺麗になるから好きとか言いながら、実際は怒りながらしているときも多い。私に似ていて情緒不安定で、よくかんしゃくを起こす。いや、本当は私の方が母に似てしまったのかもしれない。  私に一番近い人。私が一番嫌いな人。それでも、あの人は私の母なのだ。  数日後、私はあの傘のことをすっかり忘れていた。まためまぐるしい日常のサイクルに戻ったのだ。  気がつくと、いつの間にかあの傘は靴箱の取っ手にかかっていた。誰も触れない値札が付いたままの傘。  あの青い傘は今もまだあの場所にかかったままなのだ。
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