おかしな父と母

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おかしな父と母

 朝。会社へ向かうはずの父は、見たこともない文様が刺繍された真っ黒なマントを羽織り、かたわらに立つ母は、裾を引きずるほどに丈の長い真っ白なワンピースを着ていた。 「そんな格好して、どこ行くの?」  小学生のサヤでも不思議に思うくらい、二人の服装は変だった。まるで、おとぎ話にでてくる魔法使いと妖精みたいだよ。と、そうつけくわえたのなら、父と母は顔を見合わせて笑った。 「そうだな。あながち間違いではないな」 「だって、お父さんはまじない師で、お母さんは祈祷師なんだもの」 「マジナイシ? キトウシ?」  サヤは首をかしげた。おかしい。父のユウイチは薬品会社に勤める研究員で、母のミズエはただの専業主婦だったはずなのに。  わけもわからないまま、母を見あげていると、大好きな白い手がサヤの頬にふれた。ワンピースの袖から、ふんわりと甘い花の香りがする。サヤもついていらっしゃい、今度のお仕事は長くなるから、あなたもお屋敷でお世話になるのよ――  草を編んでつくられているらしい履きものをつっかけて、見覚えのないドアから外へと出る。辺りには深い霧が立ちこめていた。首をめぐらせてみても、何も見えない。  一体どうしたら、こんなふうに空気が真っ白になるのだろう。紙パックをひっくり返して飛び散った牛乳が、そのままうんと細かい粒になって、空気と混ざり合ってしまったのなら、こうなるのだろうか。でも、あの独特なにおいは少しもしない。代わりに、ハッカのような、すうっとする香りがした。  両親とはぐれてしまわないよう、サヤは前をゆく背中を慎重に追いかける。ほどなくして、視界を覆っていた霧が晴れた。いつの間にか、サヤの前には石造りの高い塀がそびえていて、少し歩くと立派な門が見えた。真珠のような光沢をもつ白木の扉が、薄ぼんやりと光っている。表面には、細かな彫りものが施されているようだった。  サヤが扉の装飾に目を凝らしていると、父と母がそろえて両の手を打った。数は、二回。神社で参拝するときのように、しっかりと打ち鳴らしている。手を合わせたままの母が、そっと視線を寄こしてくるので、とっさにサヤも二人にならった。サヤの小さな拍手が、追いかけて響く。そのまま、手を合わせてじっとしていると、やがて、ゆっくりと扉が開いた。どうやら、おまじないは「ヒラケゴマ」ではないらしい。  一礼をしてから門をくぐる両親をまねて、サヤも後をついていく。ふいに、男の声がした。  ――決して、在るべき運命を違えてはなりませぬ。違えたが最後、きみは塵ひとつ残さず、この世から消えゆく定めにございます。  足を止めて、振り返る。けれど、そこには誰もいない。扉のむこう――目を凝らした霧の中にさえ、人影らしきものは見当たらない。 「サヤ、どうしたの」  母の声に呼ばれ、サヤははっとした。少し先で立ち止まって、サヤを待つ両親の姿が見える。  サヤは瞬きをひとつ。そして、かぶりを振った。 「ううん、なんでもない」  両親のもとへと駆け寄りながら、サヤはすぐに声のことを頭のすみへと追いやった。  塀の内側に広がる庭では、小さな白い花が咲き乱れていた。奥のほうに見える白い木には、薄紅色の丸い果実が、たわわに実っている。色や形はモモのようでいて、表面にはリンゴのようなつやがあった。ちょうど熟れどきなのか、風に乗って甘い香りが漂ってくる。サヤは母の服をひっぱって、小声で尋ねた。 「おかあさん、あの実はなあに?」 「あれはレテの実よ」  と、答えが返る。聞いたことのない、変な名前だった。 「食べられるの? 甘い?」 「なあに、サヤはレテの実が気になるの?」  こっくりと、うなずく。母は、おだやかな笑みを深くして言った。 「それでは、後でお屋敷の方に聞いてみましょう。レテの実はとても高価なものだから」  母が「お屋敷」と呼んだそれは、先ほどの門と同じで、石で造られた大きな建物だった。建物の真ん中と四隅に、赤いとがった屋根がある。たしか、あれはセントウというのだ。まるで、おとぎ話にでてくるお城みたいだと、サヤは思った。遠い、外国のおとぎ話――特に、サヤの好きな英雄がでてくる本――その挿絵に描かれた建物と、そっくりだった。  きっと、母が言っていた「お世話になるお屋敷」というのは、ここのことなのだろう。そう思ったら、自然とサヤの胸は弾んだ。「まじない師」だの「祈祷師」だの「お屋敷」だの――さっきの変な名前の果実もそうだけれど、おとぎ話の世界に入りこんだみたいだ。  広々とした庭の中を、一本の道がまっすぐ屋敷へと伸びている。今はかたく閉ざされた屋敷の扉を、分厚い本の表紙みたいに開いたら、どんなことが待っているのだろう。サヤが、ぼろぼろになるまで読んだ本の物語みたいに、不思議で心おどるようなできごとが待っているのだろうか。本に眠っていたどきどきやわくわくのように、扉のむこうでも素敵なできごとが目覚めを待っているのかもしれない――  父の手が、重そうな扉を開く。黄金色の光が、屋敷からあふれだした。  赤みをおびた光が、ろうそくの先に灯っている。風に揺れる灯かりは、屋敷を飾る調度品たちを財宝のようにきらめかせた。やわらかな曲線を描く燭台、磨きぬかれた木製の家具、毛足の長いつややかな絨毯、それから。  出迎えた屋敷の使用人に案内され、サヤは両親とともに応接室へと向かう。廊下には、燃えるように真っ赤な絨毯が敷かれていて、踏みしめるたびにサヤの足は沈んだ。 「ああ、まじない師様、祈祷師様! お待ちしておりました!」  応接室へと入ったとたん、大きな声がした。びっくりしたサヤは、あわてて母の背から顔をのぞかせる。すると、ひとりの少年と目が合った。  空でも森でもない――ふたつの色を混ぜ合わせたような、きれいな瞳をしている。目鼻立ちがしっかりとしているから、日本人ではないのかもしれない。上等そうな布でできた服を着ているけれど、歳はサヤと同じくらいだろうか。  笑って、小さく手を振ってみる。とたん、父がぴしゃりと言った。 「ご子息に失礼な真似をするものじゃない!」  思わず、サヤは飛びあがった。 「ご、ごめんなさい」  身体をちぢこめて謝るサヤに、けれども、降ってきたのは朗らかな笑い声だった。サヤが目を白黒とさせて見あげれば、がっしりとした体躯の男性と細身の女性とが並んで、やさしげなまなざしを向けてくる。 「かまいません、まじない師様。このテトスは屋敷から出ることも少ない身。お嬢様のような近しい年ごろの友も多くはないのですから、よろこんでおりますよ」 「そうね、こんなに愛らしいお嬢様なんですもの。そうでしょう、テトス?」  話を振られ、テトスと呼ばれた少年は、にこりとした。 「父上と母上のおっしゃるとおりです。気取ることのないお方なのですね」  そう言うや否や、彼はサヤの前で、うやうやしくひざまずく。突然のことに、サヤはぎょっとしてしまった。誰かにひざまずかれるなんてことは、人生で初めてだ。サヤがおろおろとする一方で、テトスの母親は「あらあら」と、笑みを含んだ声をもらしている。微動だにせず、こうべを垂れたままの彼は言った。 「若き言祝ぎの君よ、我が名はテトスと申します。あなた様のお名前をお聞かせ願えますか?」  うつむけられていた顔が、あげられる。碧い目を細めたテトスは、八重歯を見せて笑った。  知らず、サヤは瞬きをした。屋敷から出ることが少ないというものだから、てっきり大人しい性格なのかと思っていたけれど、テトスの口調ははきはきとしていた。品のある立ち振る舞いをしながらも、その笑顔はクラスのいたずらっ子がするものとよく似ている。絡まっていた糸がほどけるように、サヤの緊張がほぐれていく。 「サヤだよ」  するりと、口から言葉がすべり出た。 「わたしの名前、サヤっていうの」 「耳に心地よい響きですね、サヤ嬢」 「サヤでいいよ。敬語もいらない」  おかしな呼び方も敬語も、サヤからしてみれば必要のないものだった。慣れないから、どうにもサヤはむずがゆいし、なんだか彼には似合わないような気がする。 「いつもどおりのあなたでいいよ」  今度は、テトスが瞬きをする番だった。かと思ったら、次にはにやりとした笑みを浮かべて立ちあがる。 「なるほど。では、サヤも俺のことはテトスと」 「うん。よろしくね、テトス」  肩の荷がおりたような気になって、サヤもうなずく。 「おう。よろしくな、サヤ」  人目をはばかることもなく、テトスは歯を見せてにかりと笑った。飾らない、彼の本当の笑顔なのだろう。それが、さっきまでとはまるで別人のようで、少しおかしくなる。サヤが小さくふきだしたら、つられるようにテトスも声をあげて笑った。 「おやおや、すっかり仲良くなってしまいましたな」と、テトスの父親が言う。 「そのようですね」と、サヤの父親は、どこかほっとした顔で笑った。  その日から、サヤは屋敷で世話になるようになった。  父と母は仕事があるのだと言い、テトスと地下の部屋にこもってしまったのだけれど、さみしくはなかった。屋敷は広く、サヤの興味をひく珍しいものがたくさんあったし、庭で採れるレテの実は甘くみずみずしく、とてもおいしかった。  テトスの両親も、一人でいるサヤにやさしく接してくれた。かつて、木こりだったというタルファは庭の草木についてとても詳しく、どれそれが食べられるものであるとか、傷に効くものであるとかをサヤに教えてくれた。彼の妻であるティマは針仕事が得意で、サヤのために、細やかな刺繍がほどこされた色鮮やかな服をつくってくれた。 「あれが娘であったのなら、こうした生活もあったのだろうな」  サヤが屋敷にきて、三日が経つころ。ふと、タルファがそんなことを言った。  庭で、やわらかなレテの果肉を頬ばっていたサヤは、瞬きをしてタルファを見あげる。けれど、タルファと目が合うことはなかった。タルファは、黙って屋敷のほうを見つめている。 「そうかもしれない」  やさしくサヤの頭を撫でて、ティマも同じように屋敷のほうへと目をやった。 「けれど、あの子の未来はまだ決まってはいないわ」  二人の横顔は真剣そのもので、それでいて、とても悲しそうだった。  赤の他人で、ましてや幼い子どものサヤには、どうして二人が悲しんでいるのかなんてわからない。ひょっとしたら、二人は悲しんでいるわけではなかったのかもしれない。ただ少なくとも、そのときのサヤの目には、そんなふうに見えたのだ。  果汁まみれになって、つるつるとすべる手で、レテの実の皮をむく。そして、きれいにむけた実を、サヤは二人に差し出した。 「ふたりにも、あげる。甘いもの食べると、元気でるよ」  タルファとティマは、顔をくしゃくしゃにして笑った。どうしてか、今にも泣きだしそうな顔だった。それでも、二人は「ありがとう」と言って受け取ってくれたから、サヤは満足だった。レテの果汁で頬を濡らしながら、新しい果実にかぶりつく。二人が見せた表情の意味を、深く考えようとは思わなかった。  四日目の朝。サヤは部屋を訪れた使用人に連れられ、屋敷の地下へと向かった。  きっと、両親の仕事が終わったのだ。寝ぼけ眼をこすりながら、サヤは冷たい石段を降りていく。タルファやティマとも、これでお別れになるのだろうか。結局、テトスとはほとんど話ができなかったと思うと、少しだけ残念に感じる。  サヤが地下室に入ったとたん、鋭く歪んだ碧い双眸に睨まれた。びくりとした。テトスだった。 「テトス?」  サヤは、困惑気味にその名前を呼んだ。何か嫌われるようなことをしてしまっただろうかと、不安になる。  でも、テトスはサヤから顔をそむけた。何かを耐えるみたいに、きつくこぶしを握る。みしりと、骨のきしむ音が聞こえた気がした。 「……悪い」  低く、かすれた声で言い、テトスは足早に部屋を出ていく。とても声をかけられるような雰囲気ではなくて、サヤは黙ってその背中を見送ることしかできなかった。 「サヤ、こちらへ」  部屋の中心に立っていたティマから、声がかけられる。サヤが言われたとおりに近づくと、部屋にはサヤとティマのほかに、タルファしかいなかった。二人の足もとには、ふくらんだ白い布があって、ろうそくの灯かりで薄らと光っているだけだ。不思議に思って、サヤはもう一度、まじまじと部屋を見渡した。 「おとうさんと、おかあさんは?」 「私たちは、きみに謝らねばならない」  床に膝をついたタルファの手が、白い布のはしを握る。どうしてか、彼の手は小刻みにふるえていた。労わるように、ティマの手が添えられるけれど、やっぱりその手もふるえている。 「ふたりとも、寒いの?」  サヤは首をかしげて言った。 「あのね、おかあさんのつくるホットミルクはね、飲むと身体があったまるんだよ。わたし、大好きなの。ふたりも、一緒に飲もうよ。おかあさんたちのお仕事、終わったんでしょう?」  お別れする前にみんなで一緒に飲みたいな――  きっと楽しいだろうと、そう思って笑ったサヤの言葉に、ティマは顔を覆った。嗚咽が聞こえる。泣いているのだ。これには、サヤもびっくりしてしまった。 「ティマ? ねえ、どうして泣くの」  だけど、ティマはただ「ごめんなさい」と、そう繰り返すばかり。サヤは、ぽかんとしてティマを見つめる。重い口を開くように、タルファが言った。 「サヤ、それはもう叶わないことなんだよ」 「タルファ?」  言われたことの意味がわからない。瞬きをするサヤをよそに、タルファはゆっくりと白い布をめくった。  地下室の床に敷かれた毛布。その上に横たわっていたのは、サヤの両親だった。二人とも目を閉じて、じっと胸の上で手を組んでいる。眠っているのかと思う反面で、ふいにサヤの胸はざわめく。こうして、胸の上で手を組んでいる人の絵を、本で見たことがあった。たくさんの人に惜しまれながら、送られる――物語の登場人物たち。息絶え、もう動くことのない――死者の姿。 「おとうさん、おかあさん」  しゃがみこんで、頬にふれる。とっさに、手をひっこめた。それくらい、冷たかった。氷みたいだった。死んでしまった人は冷たくなると、よくそういうけれど、それはつまり、 「うそだ」  声が、ふるえる。鼻が、つんとする。目頭が熱くて、視界がぼやけて、何も考えられなくなる。おとうさん、おかあさん。そう必死に呼んだ声に、返る答えはなくて。  泣いた。叫んだ。動かない二人に、しがみついた。信じられなかった。信じたくなかった。だのに、どこか遠くから聞こえてくる声は言う。きみのご両親は死んだ、妖精の呪いからテトスを救うために命を落とされた、今際にきみを私たちへと託して――  混濁する意識は、やがて深いところへと落ちていく。暗んだ世界に、ぼんやりと浮かぶ景色があった。そこは、ぐるりを本棚に囲まれた円形の部屋だった。軍隊の将校みたいな出で立ちをした男がひとり、古びた本を手にたたずんでいる。 「これは、如何なる者にも変えられぬ定め。運命にございます」  静かな声で、男は言った。 「仮に、この結末を退けたとて、きみのご両親は必ずや別のかたちで命を落とす――避けられぬことでございます」  目深にかぶった帽子の下から、金色の瞳がのぞいている。 「しかし、このハザマにある書物を通して、古き言い伝えに入りこんでしまったのであれば、きみは気をつけねばなりません。なぜならば、人の魂に与えられた器は、ただひとつのみ。ウツツに生きるその身も、イメとなる言い伝えに生きるその身も、同じものにほかなりません。イメといえど、真なる夢ではないのです。ウツツはもちろんのこと、イメで生じたことも、すべては現実となるのでございます」  すり切れた本のページが、見えない何かによって、めくられていく。 「ところで、きみは私の言葉を覚えておいででしょうか? 決して、在るべき運命を違えてはなりませぬ。違えたが最後、きみは塵ひとつ残さず、この世から消えゆく定めにございます――くれぐれも、お忘れなきよう」  目に見えない何かは、男の言葉とともにページを駆け抜け、やがて終わりへとたどり着く。開かれていた本は、音もなく閉じた。 「この本は、お渡しいたしましょう。必ずや、きみのお役に立つことでしょうから」  それでは、またお会いいたしましょう。男の唇がつりあがると同時、すべての景色が急激に遠ざかる。  目が覚めたとき、サヤは布団の中だった。見慣れた木目の天井が、歪な輪を描いている。知らないうちに、にじんでいた汗で、額には前髪がべったりと貼りついていた。  いやな夢をみた。ぼんやりと、サヤはそう思った。とても、いやな夢をみたのだと。重たい身体を起こしながら、隣で眠っている両親に手を伸ばす。おとうさんおかあさんねえきいて、なんだか今日はすごくいやな夢をみたんだよ――  けれど、ふれた身体は手をひっこめたくなるくらいに、冷たい。血の気がひいた。頭の芯が、びりびりとしびれる。思い出すのは、図書館のような部屋にいた男の言葉。ウツツはもちろんのこと、イメで生じたことも、すべては現実となるのでございます――  サヤには、「ウツツ」だとか「イメ」だとかはわからない。だけれど、もしも、夢でのことが現実になるのだとしたら。  胸が、押しつぶされそうだった。怖くなって、不安で、誰でもいいから助けてほしくて、部屋の中を見渡す。そこで、サヤは気がついた。  いつの間にか、サヤの枕もとに一冊の本が置いてある。表紙のところどころがすり切れた、古びた本。見覚えが、あった。  心臓が、どくどくと耳もとで鳴っていた。ふるえる手で、本を開く。開いたページには、サヤもよく知る英雄の物語が記されていた。妖精の怒りを買った木こりと村娘の間に生まれた、呪われた英雄の話。白き枝角と呼ばれる英雄の生涯。  サヤは呆然とした。どうして、気づかなかったのだろう。さっきまでみていた夢は、この物語の一部をなぞらえていたのだということに。
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