EP.1

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EP.1

 「待て!このクソガキ!」  「やなこった!」  わざわざスラム街を抜け出し、町までおりてきたのだ。ここで折れるわけにはいかない。仲間の為に、このパン一つでも持ち帰るんだ。何としてでも。  おれはヤッファ地区のスラム街で生まれ育った。イザヤと名付けられ、ここ数十年はこうして町へおりては、仲間の為にパン屋などの出店に向かいパンなどを盗んでいる。たまにスラム街に来た人間を殺して金を巻き上げる事もある。そうでもしなければ生きる事が出来ないほどだった。少なくてもおれの住む場所では。街には、注射をするための注射器が落ちていたりする。生きることより快楽を選んだものが堕ちる末だ。おれは、ああはなりたくない。  「この野郎! どこ行きやがった!」  ふぅ、と息を整える。体力があまりないので、隠れたりしてやり過ごす。路地裏を通り、そのままスラム街へ戻った。  「おい、遅ぇよ!」  仲間のヤンだ。一番付き合いが長く、一緒に盗賊なんてした事がある。  「悪かったな。ほら、パンだぞ」  「お!やるじゃねーか! 次はパン二つがいいな」  「おれだってそうしてやりたいけど、さすがに無理がある」  「まあ、そうだよな。次は俺も行くぜ」  「頼りにしているよ」  ヤンには兄弟がいる。二つ離れた妹と、三つ離れた弟だ。ヤンは兄弟の為に、おれは仲間の為に、自分を犠牲にしてでも守りたいものがあり、そのためには手段を選ばない。そんな連中だ。  だから、こうなった。  虚ろな目。霞む視界。骨ばった手が見える。顔を触ってみようにも手が重くて動かない。これが、飢餓か。スラム街ではよく見る光景だ。おれは、死ぬのだろうか。頭がぼんやりする。  ヤンが、こちらに走ってきた。しかし、ヤンは親に引き留められている。死ぬ人間は一番危ないからだ。感染病に掛かったら、ヤンだって死ぬ。それは防がねばならない。ヤンの母親は、おれに毛布を掛けた、頭から。長さ的に足りなかったのだろう爪先は出てしまっている。死んだ。  それからどれほど経ったのだろう。おれはずっと死んだ場所にいた。  「……ヤン」  誰にも届くはずのない声。それでも気付いてほしくて呟く。  おれが死んでから、ヤンはおれがやっていた事を繰り返していたようだった。そのたびに苦しそうだった。自分の食べるものはなく、親や兄弟に分け与えていた。その後親は死んだ。病気だった。ヤンは泣けど泣けど、行為は続けた。繰り返した。兄弟の為に。守る為に。おれはそれを見て苦しくなった。もう、やめてくれ……。  その時、誰かがおれの前に立った。見えているのか? 死んだおれのことが。  「苦しい?」  ガスマスクとフードで顔は分からないし、変な、ラクダのような動物を引き連れている。女性のようなきれいな声でおれに聞いた。  「辛い?」  「あんたは、おれのこと見えてるの?」  「見える。何故なら私も同じだから」  私も同じ、とはどういうことだ。同じ死人と言う事だろうか。  「私はあなたを迎えに来た。これにのって」  「あの、名前」  「名前? ……Eと呼んで」  「E?」  「本名は言ってはいけない決まりだから」  「わ、わかった」  Eはラクダのような動物におれをのせ、あっという間にスラム街を抜けた。その途端、おれは何故だか気を失ってしまった。  「あ、……忘れてた。マスク、つけなきゃだった」  Eのその言葉が最後に聞こえた。    *  「着いたよ、起きて」  Eがおれの体を揺さぶり、目が覚めた。あの瞬間から記憶が飛んでいる。しかも、おれの服は着替えられていて、黒いだぼっとしたシャツにきれいにアイロンがけされたズボン。初めての感触だ、これがベッドか。ベッドの脇の窓から空が見えた。赤い空だ。分厚い雲に覆われて暗いはずなのに、街のようなその場所は、とてもにぎわっていて明るかった。  「大丈夫?」  「あ、ああ。大丈夫」  「よかった。これ、着替えて。あと、マスクも付けないとだから」  Eは衣装箪笥から上着を取り出した。Eのものと柄は違えど同じ種類の上着の様だ。どうやら制服らしい。それとマスクを着けられた。ペストマスクと言う、鳥の嘴くちばしの様なマスクだ。Eのマスクと同様に、目の部分と口の部分が取り外せるらしく、建物内にいる時は付けなくても大丈夫だと言われた。  「ここの団長に挨拶しないとだけど、今は留守らしいから、私がここの説明をするね」  銀色のぼさっとした髪に紫色の瞳、やはり死んでいるからか目に光は宿っていない。人とは思えないほど蒼白な肌だ。建物内の案内をしているEの横顔を見て不思議な人だと思った。  「何?」  「え、ううん」  「そういえば、君の名前の頭文字は何て言うの?」  「え?」  「わかる?」  「……分からない」  「そう。なら、団長が戻られた時に決めましょう」  Eの話だと、この建物は寮で、軍団と呼ばれる組織の人間が住まう場所。おれとEは同室らしい。他の部屋も二人部屋で、同室の人間と係や当番の仕事をする。掃除や料理、洗濯なども共に行う。性別の壁はなく、年代も問わない為、皆平等に扱われているらしい。現世ではそんなこと絶対になかった。  そしてこの世界は、《ヴァルデ・ルート》と呼ばれる街で構成されていて、天国と地獄の狭間にあるらしい。この街を支配している悪魔がいて、その悪魔がこの軍団を作ったそう。理由は明確にされていない。  「私たちは、何のために戦っているのか、わからない」  「戦う? 戦うの?」  「戦うよ。銃で、剣で、戦うの」  この寮は、街の中心にある様だ。窓から見える景色はほとんど一緒。しかし、どれほど大きいのだろう。  「バベルの塔って知ってる?」  「何それ?」  「そういう神話みたいなものがあるの。人間の所業で、建てられた建造物だったけれど、神に近づこうとしたので神が怒って、バベルの塔は崩壊した。そのバベルの塔をモチーフに作られたのがこの寮なの。」  「へぇ、バベルの塔、か。」  「うん。そして、寮は、各階につき、医療室、倉庫がそれぞれあって、そこに番人と呼ばれる動物がいるの。今日はそこへ行きましょ」  「わかった」  幅の広い階段があり、その近くに二つは向かい合うように存在するらしい。  まず初めに医務室へ向かった。  「こんにちわ、モグロウ」  中へ入ると、モグラのような動物が出迎えてくれた。白衣を着ていて、目が大きく、白めの部分が大きい。正直言って気持ちが悪い。  「ヤアヤア! 新入リカイ?」  「そうよ」  「初メマシテ! オレはモグロウってんダ。ココノ番人だよ。そして、ケガトカヒンシになったら、イツデモ来ナヨ」  おれの膝丈くらいのモグロウは握手を求めてきた。豚足の様な左の前足と握手を交わした。  「名前は?」  「まだ」  「ソウカイ。……おっと、そうだソウダ! ここにな、新しい機種があるんだ! 最新の機種ダ! 何も聞かずとも、相手の詳細が分かる代物サ!」  「悪用されそうね」  「大丈夫! そこら辺は安心シナ!」  モグロウは部屋の奥へ行き、棚の上にあった変な機械を手に取った。モグロウからすれば重そうだ。  「オットット、コレ、頭につけるんだ」  「ヘッドフォンみたいね」  「ヘッドフォンって何?」  「耳につけて、音楽を聴いたりするもの。それも、耳につけるんじゃないの?」  Eが言うのだから間違いは無いだろう。おれはその装置を耳につけた。結構がっしりとしていて、痛い。あまり引っ張ると壊れてしまいそうだから慎重に取り扱った。おれがそれを付けると、モグロウは機械のあった棚の上から小さな箱のような機械を取り出した。画面をタッチしたりスワイプしたりして操作している。その途端、頭に電撃が走ったような感覚に陥った。耳と頭が痛くなったが、それはすぐにおさまった。  「OK! 分かったぜ、団長ガイナクテモ、オレがいれば安心ダナ!」  「すごいね、モグロウ。分かったの?」  「オウヨ!」  おれはすぐに装置を外し、元の場所へ戻した。  「新入リノことは、今後「I」と呼ベ!」  「アイ、……分かったわ。I。これからよろしくね」  表情一つ変えず、Eは手を出し握手を求めた。おれもそれに応えた。  「次は倉庫にでも行クノカイ?」  「うん」  「ふーん。アイツには気を付ケルンダナ!」  「え?」  「分かったわ。行きましょ」  モグロウは手を振り、別れた。医務室の先にある倉庫へ足を運ぶ。  「お、新入りカ?」  今度は先程のモグロウと同じ体格だが、種類が違う。ネズミだ。左耳に鉢巻を掛けている。腰にはエプロンが巻かれている。こちらも白目の部分が多い、大きな目がぎらついている。不気味で気持ち悪い。尚且つネズミの独特な尻尾がちらちらとしている。そして、ネズミは煙草を吸っているようだ。倉庫が煙たい。だが煙草の臭いはしない。何を吸っているのだろう。  「よう。おれっちはオズってーんダ。よろしくナ」  とてもさっぱりしている挨拶を交わし、ここの説明を受けた。  「要は、武器庫だナ。用があればおれっちに聞くといイ。何でも教えてやル」  「ありがとう」  「いいってもんサ。お互い仲良くしようヤ」  短い前足を交差させ、まるで腕を組んでいるようだ。  「また何吸っているの?」Eが訊ねた。  「今日はフローラルにしてみタ」  「良い香りね」  「良いだろウ? お前にゃあ分かる様ダ」  「じゃあ、私たち他にも用があるから」  「おうヨ。また来ナ」
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