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EP. 3
俺はイギリスの郊外にある家で暮らしていた。母と二人暮らしだった俺は「女の子」のような格好をさせられていた。まだ俺が小さかったから、違和感も無いし、正直嫌では無かった。可愛い服を着せられ、母はその容姿の「俺」に満足している様子だった。笑顔で写真を撮る母を見て、俺は自分を偽って、母を満足させることだけに努めた。けれど、時が経つにつれ、俺の体はますます男らしくなった。普通は喜ばしい事だろうが、母は嫌った。
「何よ、その体!」
理不尽にもそう言って俺を叩いた。母の暴力は日に日にエスカレートしていったが、いつも悲しそうな顔をして俺を殴った。時には瓶や鋭い物で殴られた事もあった。
俺が十四歳の時、母の暴力が嫌になって過呼吸で苦しくなったことがあった。家を飛び出し、町に出てきた。公園では同い年の子供が遊んでいた。同い年の子供と遊んだ事が無かった俺は、どうしていいか分からなかった。すると、グループで遊んでいた男の子が俺に近寄り、「一緒に遊ぼうよ!」と元気よく声をかけてくれた。正直嬉しかった。認められた気がした。俺自身を見てくれたのだと思った。
それから毎日母の暴力から逃げるようにその公園へ行き、包帯が巻かれている顔を見ても、心配し声をかけてくれた男の子――ダニーはそれでも俺の事を遊びに誘ってくれた。
ある時、ダニーといつも一緒に遊んでいるジェシーという女の子からこんなことを聞かれた。
「チャーリーのお母さんやお父さんってどんな人?」
ありのままを話してしまったら、どうなるのだろう。とふと思った。あまり悪い気を起こさせたくない。どうせ公園でしか会うことは無いだろうから、嘘を言ってもばれないだろう。その時の俺はそう思って嘘を吐いた。これが、人生で二番目に吐いた嘘だ。
「俺の母さんは優しいんだ。いつも俺の事守をってくれるんだ。でも、父さんにはいつも殴られたりしててさ。俺がいけないんだけど、すぐ怒らせちゃって」
「チャーリーだってやんちゃざかりだもんな!」
ははは、とダニーは俺の話を笑い話に変えてくれた。ジェシーだって笑った。嘘ついてもいいんだ、そう思ってしまった。
それからというもの、聞かれるものに対して嘘を吐くようになった。夢のような話だったり、面白おかしく話してみたり。けれど、恐れていた事態が突然起こってしまった。公園を訪れた子連れの母親たちが俺を見るなり、こそこそして俺にも聞こえるくらいに、大袈裟に話した。
「やだ、あの子怪我?」
「包帯巻いてるわね、噂だけど、虐待って話よ?」
「ここいらじゃ見かけない子よね、郊外に住んでる✕✕さんの子かしら?」
「あら?確かにそうよね」
「あの人ならやりかねないわ。きっと旦那を亡くしてから気がおかしくなったのよ」
嫌な言葉が延々と続いた。それは、ダニーにもジェシーにも聞こえていた。ジェシーは気になる事があるとすぐに俺に質問をしてくる。例に倣って、俺に質問を投げかけた。
「ねぇ、チャーリーは、お母さんとお父さんがいるんだよね? お母さんは、優しい人なんでしょ?」
「……」
下手な事を言えば、あの母親たちに何か言われるかもしれない。どうすればいい。俺は、なんて答えればいいんだ?
嘘を吐き続けてきたから分かる。嘘は、嘘でしか誤魔化す事はできない。嘘を吐けば、嘘が積み重なる。その分、罪悪感がぬぐえなくなる。だんだん、後に引けなくなってしまう。俺が一番わかっているはずだ。なのに。
「うそつき」
ジェシーの横でやり取りを聞いていたダニーがそう言った。
俺が一番聞きたくなかった言葉だ。
一番怖かった言葉が、ダニーの口から漏れ出した。
俺の中でだけか、「親友」だと思っていたのは。
「この嘘吐き者。……もう口もききたくないよ」
ダニーはジェシーの手を引いて公園から出て行った。
また、一人になった。
家に帰りたくない。公園のブランコを揺らしながらめそめそと泣いた。嫌だ。あの家にはいたくない。俺のこの体が嫌で、母はすぐに理不尽に怒り、殴って、蹴って、ご飯も食べさせてくれない。たまに残飯はくれるけれど、どうして、俺はダメなんだ。塞ぎ込んで辺りが暗くなり、街灯がぽつぽつとつき始めてもその場で泣いた。心のどこかで期待していた。母が捜しに来てくれると。そんなことはない、愛されていないから。母が笑顔で写真を撮っていたのは、女の子の「俺」だから。別に俺自身を認めて、見てくれていたわけでは無かったんだ。分かっていたはずなのに。俺は自分に嘘を吐きすぎた。だから、こんなに重いんだ。
帰ろう。
家に帰る道、俺の体は鉛のように重かった。家に着くと、母は怒っている素振りを見せず、そのまま俺を外に突き放し、玄関の戸を閉めた。家から閉め出されてしまった。俺は力なく、玄関の戸を叩いたが、一向に開けてくれる気配はなかった。翌日になると、静かに玄関の戸が開いた。俺は微笑み、母にしっかりと謝った。玄関の戸を閉め、久しぶりに母が俺の為に料理を振る舞ってくれた。母は泣いていた。いかにも葛藤しているように見えた。息子の成長を認めるべきなのに、あの頃の息子にまた戻ってほしいという願いが心のどこかであるのだろう。俺だってそうしてやりたい。けれど――。
俺は自分に嘘を吐く事をやめた。俺は勇気を出し、息を整えてから、母に言った。
「母さん」
そう言うと母はゆっくりと顔をあげた。
「もう母さんの苦しむ顔は見たくないよ。だから」
母の前で、自分の性器を切り落とした。よく切れる包丁で。大量出血したが、母の為だと思えば痛くはない。母はぎょっと驚いた顔をした。
「これで、俺も女の子になれるよね?」
「……なれないわ」
「え?」
「そんなことしたって、もう、無駄なのよ」
母の手も、声も震えていた。今にも泣きだしそうな声色だった。母は立ち上がり、俺の肩を揺さぶった。
「もう分かった!いい加減にしなさい! 私はもう疲れたわ!」
ミント色の綺麗な瞳には、涙が浮かんでいた。髪はぼさぼさで整えることもせず、ただ俺を揺さぶった。
「もう終わりにしましょう、私も……もう、しないから、痛いのしないから、もうやめて……やめて……」
「……分かった」
これで許してくれると思ったがそうでは無かったようだ。手に包丁を握り締めたまま、母を座らせた。
「それ、危な」
「何? ……ああ、これ? 大丈夫だよ母さん、今楽にしてあげるから」
今更遅いよ母さん。
終わりにするのは俺の方かもしれない。
最後まで俺は自分を責め続けた。自分を偽り、母の笑顔がただ見たかっただけなのに嫌われ、挙句の果てに暴力の嵐。そして初めてできた親友にも嫌われてしまった。あの後、あの場にいた子供たちから「嘘吐きチャーリー」と言われ始めた。そんな異名がついてしまった。俺の名前にぴったりだ。
俺は母さんの首に鋭利な刃をつけた。そして、勢いよく――。
「俺ね、あの後自殺したんだ。首吊り。もう生きる必要ないと思って」
話し終えると、EもIもずっとだんまりだった。一呼吸おいて、Iが口を開いた。
「い、痛い話だな、最後」
「はは、同じ男なら分かるだろうね」
「何の話?」
「とはいえ、本名、言って大丈夫なの、C」
「ここは頑丈に守られているから、そう簡単には敵はこないよ」
「それにしても悲しい話ね」
「悲しいって?」とIは聞いた。
「だって、ただ愛されたかっただけなのに嘘を吐かないといけないだなんてあんまりよ。それにたとえ吐いても吐かなくても、そのまま愛されることは無かったかもしれない。あなたがもし母親を殺さなくても、愛される保証なんてどこにも無いわ」
「真顔でそんな事を言うもんだから怖いよ?」
「元々よ」
「ほんとうかなあ」
「さて」と俺は立ち上がった。
「昔話は済んだことだし、帰ろっか」
すると、Iは立ち上がるや否や、「最初にCは、『本当の話』って言っていたけど、それって」
「さあ? それはご想像にお任せするよ」
《嘘吐きチャーリー》は今も健在だ。だって、それが本来の俺だから。母の為にした事は本音を言ったうえでの行為だから本当の事だ。だけど、どこか嘘が混じってる。それが俺の昔話。どれが嘘で、どれが本当なのか、誰にも分からない。
話には出さなかったが、母さんは生きているよ。どこかでね。
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