EP.6

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EP.6

 小さい頃、親が殺された。一人の女に殺された。名前は知らないし、暗がりでの犯行だったので顔もよく分からなかったけれど、月明かりに照らし出された影はよく覚えている。一瞬だけこちらを見た、あの目が忘れられない。あの殺気も、血の臭いも、ずっと鼻にこびりついている。誰だか分からないのに、他人のくせに、僕の大切な母さんを殺した。  それから、親がいなくなってから僕は孤児院に預けられた。そこにいた子供たちは死んだような人間ばかりだった。生きているのがやっとな子供ばかりで、施設の人間は、よく子供たちに手をあげていた。要は、虐待だ。平手打ちで、何度も、何度も、言う事を聞かない子供を何度も叩いた。子供が血反吐を吐こうか構わない。僕はそれを見て育った。  十二歳の時、知らない男女が施設に来て、僕を連れ帰った。子供が欲しかったらしい。けれど僕のことが可愛くなかったのだろう、だんだん僕にご飯を与えなくなり、「一緒に遊ぼう」と誘わなくなった。寂しかった。母さんに会いたかった。その思いが強くなればなるほど、あの女を憎んだ。憎くて憎くてたまらなかった。僕は気がおかしくなったのだろう。気が動転していたのだろう。その時には、すでに遅かった。その男女を殺していた。僕もついに人殺しになった。  「連続殺人鬼」と名が知れ始めたのは、十四歳の頃だった。  あの頃から僕は変わった。小さい頃、親が殺されてから僕はおかしかった。涙さえ出ず、ただただあの「人殺し」を憎んだ。大切な大切な母さんを殺した。たった一人の家族だった。僕の横で一緒に寝てくれた優しい母さんはもういない。僕の横で寝ているのは、血肉の塊。残骸。……死体だ。同じ人間になってしまった。嫌いなあの人殺しになってしまった。僕の手はもう汚れてしまった。  上海シャンハイの一角には廃れた場所があった。謂わば、ホームレスの町のような、汚い場所だ。そこで人を殺して生き長らえていた。殺す事に抵抗も無くなった。そんなある日の事だ。一人の少女が、僕を呼んだ。  「ね、ねえ、おにいさん、これ」  「連続殺人鬼は金品を奪う」と言われていたため、上海中では話題になっていた僕だが、少女はそれを知ってか知らずか、ほんの少しの小銭を差し出してきた。その金で何が買えるか分かったものではないくらいほんの少しの金だ。僕は小さな少女を殺すほど金に飢えてはいなかった。だから、少女の背丈に合わせて、しゃがんで言った。  「大丈夫、いらないよ」  笑顔で言えば分かってくれると学んだ僕は、笑顔で少女に言った。けれど少女はめげなかった。  「だめ、あげる!」  そう言って小さな手に握られていた金を僕に押し付け、走り去ってしまった。別に殺しはしないのに。と、その時。警官たちの声が聞こえてきた。僕はここで立ち止まるわけにはいかなかった。僕のこの手であの「人殺し」を殺すまで、僕は生きなければならなかった。唯一の生きる為の目標だった。  「いたぞ! 連続殺人犯、梓豪ズーハオ、くたばれ!」  銃を構えた警官が僕に走って向かってくる。逃げなければ。僕は走り出した。無我夢中で走った。前が見えていなかったか、路地裏の行き止まりに来てしまった。嗚呼、これまでか。  その瞬間、僕は訳が分からなかった。視界がぐらりと歪んだ。  「おい!」  「誤射です!すみません!」  発砲音、誤射、……撃たれてしまったのか。そうか、僕も、死ぬのか。母さんの所へ行けるかな。傍に寄り添い、抱き締めてくれるかな。  僕が倒れると、目の前に「僕」が見えた。見下している。これが「死」なのだろうか。そうだ。僕は、ここで、死ぬんだ。  「おい、救急車を呼べ! 応急手当だ!」  「早くしろ!止血しろ!」  警官の努力も空しく、僕は死んだ。  警官のドジのせいで死んだ。  僕は、僕自身の役目を果たすことは無かった。  「……きて、起きてください」  「あ、……夢」  「大丈夫ですか? 魘うなされていましたけれど」  気がついたら、僕の部屋だった。視界の端に、Hの心配そうな顔が見えた。  「あの、朝食の時間ですよ」  「朝食? 今日は、訓練は?」  「え? 私は、聞いてないです、けど」  悪夢を見たせいか頭が痛い。額に手を当てながらゆっくりと上半身を起こした。結局あのまま寝てしまったのか。疲れていたな。後で教官に怒られてしまう。  「今日は、自主練の日、か。忘れてた」  「行きましょ?」  「そう、だね」  Hと共に食堂へ向かった。すると、Iの叫び声が聞こえてきた。  「うわー!どうしよう、どうしよう!」  「何か、あったんですかね?」  「さあね」  料理を受け取った後、Iがいるであろう席へ移動した。そこにはIとCがいた。Eはいない。  「どうしたんだい?」  「あ!Z……き、聞いてよ!Eが!」  話によると、どうやら熱を出したようだった。  「随分要約したね」  「だって、聞く限りだと熱でしょ、それ」  「熱!? し、死んじゃう!」  「死なないし、とっくに俺ら死んでるし」  「あ、そっか」  「ほんっと馬鹿」  「で、でも!」  「それに、医務室があるから大丈夫だって言ってるだろ? 何回言わせるんだよ」  「あ、あはは……うん、ごめん」  二人は随分と仲が良いな。いつの間に打ち解けたんだ。二人の会話を耳にしながらご飯を食べ進めた。今日のご飯はエッグベネディクトか。洒落てるな。今日の料理人が西洋の方の人間だろうか。  「ん?」  Hの様子がおかしい。一向に食べ進める気配がない。  「どうした? H」  「え? あ、えっと、その……」  Hは口をもごもごとさせて一向に喋ろうとしない。それに気付いたIがHに話しかけた。  「どうしたの?」  「あの、じ、実は、さっき、Zの寝言、聞いちゃって」  「寝言、かい?」  「う、うん。女がどうとかって、言ってたから気になっちゃって、多分、Zの過去の事だろうなって思ったから」  寝言を喋っていたのか、だからHの様子がおかしかったのか。  「過去、か」  「……へぇ」  「まあ別に話したくないわけでは無いし、知ってても別に悪い事ではないだろうから、話そうか。でも一つだけ聞いていいかな、Iくん」  「え、おれ?」  「君は気付いただろう? 僕のこと」  「……どういう意味?」  「僕も分かるんだ、鼻が利くから。あと、気配も分かる。君は僕と同じ、人殺しだ。人間の憎悪、血肉の臭い、欲を満たすためではなく、生きることへの執着心で殺していた、僕と同じだ。」  「……」  「図星?」  「そうだけど、何? やっぱり、あんたもそうなんだ。会った時に分かったよ、人を殺した事があるからよく分かる。血の匂いが微かにしたから」  「はは、やっぱり死んだ後も分かるもんなんだね。別に敵対したいわけでは無いよ。無意味だし」  「おれも、一つ聞いていい?」  「何?」  「あの時Hとおれと、Eも一緒にいたけど、どうしてHにしか気が付かなかったの?」  確かに最初に気が付いたのは「I」だった。でも、僕はそれよりも気になってしまったんだ。Hのことが。何故なら、彼女は似ているから。あの時の少女に。怖がった時も、あの雰囲気がたまらなく似ていた。僕は少しあの少女の事が気になっていた。優しくしてくれたから、と言う理由だろうか、他の理由かは分からないけれど。似ているからか、異常に気になったのがHだった。  「最初に気が付いたのは、Iくんだよ。でも、Hのことが一番気になってね」  「あと、なんでEのことに触れなかったの?」  「……似ているからさ、あの女に」  「え?」  すると、食堂の扉が勢いよく開いた。男が現れ、叫んだ。  「大変だ!敵襲が!」  敵襲、その言葉を耳にした途端に騒ぎが一層大きくなった。Iの話だと、Eはまだ部屋にいるだろう。危ない。  「Iくん、君は早くEの所へ行ってあげて」  「……わ、分かった」  Iは走り出した。敵が何をしてくるか分からない。そもそも、敵が何なのか分からない。けれど、何もしないよりはましだ。  「あらあら、敵襲だなんて」  「どうするんですか、イスラーフィール様」  「うん、誤解を招いてしまったみたいだから、どうにかしてあげないと」  ルシフェル塔上空から慌しい光景を見る。嫌な事をしてしまった。目頭に涙が浮かんだ。いけない、雨が降ってしまう。それよりもこの状況の打開策を。  そう思っているとアズラーイールが現れた。  「何をしているんだ」  「ごめんなさい、視察のために、二人で向かっていたの」  「だから一人で行けとあれほど……」  「だってー!」  「いい、もういいからさっさと用事を済ませて帰ってこい、いいな?」  「はーい……」  アズラーイールはそう言うと帰っていった。何のために来たのかは分からないが、彼の言った通り、私がどうにかせねばならない。一緒に冥界に来ていた大天使は慌てた様子だった為、宥めて天界へ戻るように言った。私はサマエルにこの騒動を止めてもらえるように説得しに行った。  「サマエル様!」  「やはりお前だったか」  「ごめんなさい、こんなつもりは」  「視察もほどほどにしろと言ったのに」  城につくと、すぐに見つける事が出来た。赤い蛇が目印だ。  「まあいい、私はこれから軍団に訳を話しに行くところだ。お前は早く帰りなさい」  「ええ、本当に悪かったわ。」  サマエルと分かれ、天界へ戻り、ミカエル様にこの事を伝えた。そうしたら、とても怒られてしまった、ので視察をする時は水晶玉を使って様子を見ろと言われた。  「本当に、私の不注意だわ」  「そうだな」  「約九百年後、あと五日で八百年後になるが、しかし貴様」  「本当にごめんなさい」  宮殿で、ミカエル様の前で私の渾身の土下座を披露した。そうしたらガブリエルに笑われてしまった。  「ふふ、貴方って人は」  「もう!」  「ほら、さっさと自分の持ち場へ戻れ」  「御意」  ミカエル様はとてもあきれた様子で、溜息を漏らしていた。
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