退職願

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退職願

「あの、課長、お話があります。 今、お時間、ありますか?」 6月も半ばの今日、私は、不透明なクリアファイルを手に速水(はやみ)課長の席で声を掛ける。 「ん? なんだ? 改まって。 時間は大丈夫だけど、どうした?」 速水課長の優しい声に、固まったはずの決心が揺らぎそうになる。 「そこの会議室までお願いしたいんですが。」 私がそう言うと、課長は一瞬目を見開き、真剣な表情浮かべた。 「分かった。 すぐに行くから、中で待ってろ。」 うちの会社では、退職する時は自分で会議室を予約し、上司を呼び出して、他の人に見られない所で退職願を渡すのが慣例となっている。 課長も私がこれから退職願を提出することに気づいたんだろうな。 速水龍之介(りゅうのすけ)課長。 学生時代はテニスの強化選手だった彼は、身長185㎝の一見細身にも見える体型だが、ボタンダウンの半袖シャツからは、筋肉質の腕が伸びている。 現在35歳だが、その凛々しく涼やかな容姿は、女性社員からの視線を集めるともなく集めている。 一方、私、立川(たちかわ)(あきら)は、営業事務を務める27歳。 一度も染めたこともパーマをかけたこともなく、髪だけならシャンプーのCMに出られそうなロングヘア以外は、なんの特徴もない地味なOL。
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