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[転]トオリスガリ
「どうぞ。」
不意に傍らで声がして…彼女は弾かれた様に、そちらを振り返った。いつの間にか、隣に見知らぬ青年が立っている。
差し出された傘は、持ち主の生真面目さが感じられる様な、清潔感ある格子柄だった。
「良かったら使って下さい。」
遠慮がちに云う青年に、彼女は、ぎこちない笑みを返す。
「あの…有難うございます。でも、大丈夫ですから。」
丁重に其れを辞退すれば、青年はその足元を指差して──
「ワンピース…」
「はい?」
「裾に泥が跳ねちゃってますよ。綺麗な服なのに──勿体無い。」
「え…えぇ!」
突然の指摘に、彼女は慌てて其れを確かめた。
──見れば成程。
淡いシフォンを重ねた裾の切り替え辺りが、黒い泥染みで汚れていた。雨に濡れ、水気を含んだ繊細な生地は、すっかり張りを失っている。
「嘘…やだ、どうしよう!」
愕然とする彼女の隣で、青年は、ハンカチを差し出した。
「使って下さい。早く拭かないと染みが取れなくなる。」
穏やかな物腰でそう云われて、彼女は、今度こそ其れを受け取った。
「…すみません、お借りします。」
殊勝に頭を下げると、彼女は木綿のハンカチで、裾の泥跳ねを優しく叩く様にして拭い取った。
「あの──ハンカチ、洗ってお返ししますから。」
作業する手を休める事無く彼女は、ポツリとそう告げる…すると。青年の口から、驚くべき答えが返って来た。
「返さなくて良いですよ。どうせ安物ですから。使い終わったら、そのまま棄てて下さい。」
「そんな──!」
「デートですか?」
「え…!?」
「ごめんなさい、余計な詮索でした。」
そう言って、ペコリと頭を下げると…
青年は不意に前を向いて、沈黙してしまった。
大音量で降り続ける豪雨が、途切れた会話の隙間を埋めていく。
…それ以上、言葉が続かない。
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