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僕は悪魔に憑りつかれていたらしい。両腕にある無数のひっかき傷もその悪魔のせいでそうなったと、そしてその悪魔を体から追い出す際に記憶が消えてしまったのだと語った。若くも年を重ねているようにも見える呪術師は、ふぅーっと呼吸を整えると諭すような口調に変わり、話を続けた。
僕の記憶は戻らない。命と引き換えになって奪われてしまったから、もう元には戻らない、と。
その話の後、僕を知っていた人たちから一人ずつ自己紹介をされた。僕は誰一人知らないのに相手は僕のことを知っているのが、何だか奇妙に感じた。目覚めた当初から見舞いに来てくれていた父や兄と、付きっきりで看病してくれたメイドのベルトさんはすぐに覚えられたけど、他の人はまだ把握しきれていない。とても申し訳ない。
ベルトさんがゆっくりと扉を開ける。扉の隙間からより一層強い光が差し込み、目が眩む。
扉の先は、視界いっぱいに鮮やかな緑が広がっていた。色んな種類の木々や草花、影がすぅーっと横切って何だろうと見上げると大きな蝶が飛んでいた。ここは一族が代々受け継いできた植物園だった。大きな鳥かごのような格子の中に、楽園のような景色が閉じ込められている。
一歩、植物園の中に進むと空気ががらりと変わった。中はとても温かく、湿度もあった。青い匂いの中に、気まぐれに花の香りが混じりこむ。くたくただったはずの足が、二歩三歩と勝手に進む。人をすっぽり覆うほど大きい葉っぱ、作り物みたいに色が濃い花、目に映るもの全てが不思議でわくわくする。
「気に入ったようだな。外に出てはいけないが、この植物園の中ならいつでも遊びに来ていいからな」
『父』だという人が満足そうに笑いながら言う。僕は戸惑いながらも「はい」と答えた。父は小さなこの国の、一番偉い人らしい。
「こっちへおいで、フランツ」
兄が僕を手招く。兄の後をついていくと、ひときわ大きな木の前へ出た。木には小さくて真っ赤な実がたわわに実っている。
「疲れただろう。さぁ、ここに座って」
兄に促されるまま、僕は木の前に置かれたベンチに腰かけた。兄は頻繁に見舞いに来てくれた人だ。まだよくは知らないけど、穏やかで優しくいつも僕を気づかってくれる。
兄は赤い実を一粒もぎ採ると、「ほら」と言って僕にさし出した。受け取った実は一センチぐらいの大きさで、柔らかく弾力があった。
「食べてごらん」
兄が微笑みながら言う。僕は恐る恐る赤い実を口の中に入れた。
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