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瞳の黒い彼女は深々とおじぎをした後、足早に去って行った。
ベルトさんは持っていたレターセットを僕に渡すと、こぼれた水の片づけ始めた。「手伝いましょうか」と訊くと「仕えている方のお手をわずらわせる事は使用人の恥ですから」と断られてしまった。
再び部屋に戻った時には、もうコッペリアはいなかった。なんて自由なんだろうか。
結局手紙はまとまらず、この日のうちには完成しなかった。
書いても書いても何かが変で、直せば直すほどおかしくなっていく。このままでは駄目だと思い、気分転換に植物園へ行くことにした。
植物園の土がむき出しになっていた場所には、今はライチの苗が植わっている。ほんの少しずつだけど、その苗は日に日に大きくなっていた。とりあえずこの苗の絵でも描こうと思い、スケッチブックを抱えて植物園へ来た。
しばらくして、それなりのスケッチが描けた頃、パン、パンと何か小さいものがぶつかる音が聞こえた。その音はしだいに数が多くなり、激しい轟音になった。雨が降ってきて、雨粒がガラスの屋根や壁を叩いて音を立てていたのだ。
外を見ると大粒の雨がザァザァと降っていて、湖の水面を激しくたたいている。それなのに空は明るく、遠くには青空も見えた。通り雨のようだ。
僕はしばらく、明るいのに雨が降っている不思議な光景を眺めていた。時間がたつごとに明るさは増し、雨も小降りになってきた。すっと日が差し込み、濡れた世界が照らされる。
雨が止んだ後も、ぼーっと外を眺めていた。ふと別館へ続く廊下に人影が見えた。別館へは限られた人間しか立ち入れないはずだ。医者だろうかと目を凝らして見ると、その人があまりにも異様な姿をしている事に気づき驚いた。
全身を覆うほど大きな、黒いマントを羽織っている。頭もフードですっぽり覆われ、顔には不気味なマスクを付けている。どう見ても怪物だった。
怪物のような人影が振り向く。こちらを見られてしまうような気がして、とっさに木の陰に隠れた。
あれは何なのだろう。たしか前に読んだ本に、似たような恰好の医者の話があった。そうだ、きっとそれだ。僕は自分にそう言い聞かせ、急いで自室へ戻った。
数日後の朝、僕は宮殿の中を散歩していた。専属の教師が急に来れなくなり、時間がぽっかり空いたのだ。
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