僕のはじまり

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 ぎゅっと実を噛んだ瞬間、薄い皮がパンと弾けた。中に詰まっていた甘い果汁といい香りが口いっぱいに広がる。衝撃だった。今まで口にした食べ物は、味なんてほとんどなかった。こんな、こんなものが世の中にあるなんて。  「ね、おいしいでしょう」  僕は力いっぱいうなずいた。  兄は赤い実を両手いっぱいになるほど採ってくれた。しかし、まだ体の負担になるからとベルトさんにだいぶ取り上げられてしまった。残った実を一粒一粒噛みしめていると、父が嬉しそうにニコニコ笑いながら僕に話しかけてきた。  「フランツよ、他に食べたい果物はあるかい? (じつ)は新しい木を植えようと思っていてね。ほら、そこだよ」  父の指す先には、ぽっかり空いた場所があった。そこだけ何も植えられておらず、土がむき出しになっている。  「ここに食べられる果物の木を植えようと思ってな、せっかくだからフランツの好きな物を植えられたらどうだろうかと……どうだ」  そう言われ考えてみた。考えてみたけど、今手にしている赤い実以外何があるのか分からなかった。この実だって何という名前なのか知らない。  「旦那様、フランツ様は果物の種類も忘れてしまっているので……」  ベルトさんが気まずそうにささやく。僕が失った記憶は思い出だけではなかった。  『木』や『花』という大まかな名前は覚えているけど、その種類の名前までは分からない。他にも道具の使い方や文字など分からないことが多かった。  呪術師は四、五歳くらいの知識量に後退してしまっていると言っていた。それが前と比べてどれくらい知識がないのかよく分からなかったが、僕の年齢がもうすぐ十三歳だと聞くとかなり悪い状態だということだけは分かった。  「あぁ、そうだった。すまない……そうだ、夕食に集められるだけの果物を用意させよう。その中から気に入ったものを」  「旦那様、体に障るので多量の果物は食べさせられないと、先ほど言ったばかりなのですが」  「そう……だったな」  父は、君主の威厳をまるで感じさせない情けない声でどもる。兄がくすくす笑い、車椅子を押していた男性ともう一人のメイドが和やかな表情で眺めている。その微笑ましい雰囲気の中、僕は疎外感を感じていた。
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